英雄の最期

 少女は走る。

 

 未だ駆け巡る戦闘音を聞きながら。

 

 

「ッ、はぁ…っ、はっ…!」

 

 

 父があの大地を砕いた時、全てが終わったと思った。

 

 すぐにでも父の元へ向かいその勇ましい姿を、無事である姿を目に焼き付けたかった。

 

 そんな想いが周囲には透けて見えたのか、今こうして広場を抜け出す後押しまでされてしまった。

 

 

『…仕方ない奴め…行ってこい。何かあればオレが皆を守る。…今回だけだぞ』

 

『我等のことなど気にせずどうか勇者様の下へ…子が親を想うのは当然でございます』

 

 

 すぐにでも駆けつけたい、けれどみんなを置いて行きたくはない。

 そんな葛藤に立ち竦んでいた己の背中を押してくれた皆に感謝する。

 

 

「はぁ…っ、はっ…、お父、様…っ!」

 

 

 少女は駆ける。

 

 その先にあるであろう光を目指して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それでも拭えない

 

 こびり付いた暗い感情を、押し殺して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王都の景色は変わり果てていた。

 

 中央に積み上がっていた町の残骸である瓦礫の山さえ消し飛び、今ではただの無機質な大地と化している。

 

 真ん中のみが雑にくり抜かれたように崩壊した王都の風景は、それはそれで趣があるのかもしれない。

 

 

「…」

 

「…」

 

 

 そんな王都の中央には二人の男が向かい合っていた。

 

 一人はボロボロの肉体で膝を突き、一人は服装の所々に小さな裂傷を見せ、しかし直立している。

 

 黒い男は剣を杖代わりにするボロボロの男を見下ろしていた。

 

 

「…恐ろしい男だな。まさか僅かでもこの俺に傷を負わせるとは思わなかった…痛みなど、久々に感じたぞ」

 

 

 男が負ったのは文字通りほんのかすり傷や軽い火傷のようなものだった。

 

 しかしそれでも眼下の男が自身の肉体を傷つけたことに少なからず驚愕していた。

 

 

「今の一撃を喰らってなお膝を付くのみに終わっていることも…正直驚いた」

 

 

 いっそ拍手するようなそう褒め称える男。

 

 満身創痍の男———グラムは聞いているのかいないのか、沈黙するのみである。

 

 

「旧き英雄と言ったこと、謝罪しよう。お前は正しく今の国を護るに値する男だ」

 

 

 男の顔は仮面で覆われておりその表情は読み取れない。

 だがその声にはグラムに対する確かな称賛の意が含まれていた。

 

 男はグラムに近づく。

 

 

「———が、相手が悪かった」

 

「…ハハ、手厳…しい、な…」

 

 

 男の言葉にそう掠れた声を溢すグラム。

 

 

「…君は…このまま…ゴホ…ッ…王、都を…滅ぼすの、かい…?」

 

「なんだ?まだ止めようと言うのか?」

 

「出来れ、ば…ね…」

 

「…そうか…」

 

 

 すると男は何かを考えるように黙り込む。

 

 そうして、彼の問いに答えるべく口を開く。

 

 

「今ここで、お前だからこそ言うが…別に俺は王都陥落も世界征服などもどうでもいい」

 

「…物、語…って、やつかい…?」

 

「…ああ」

 

「…」

 

 

 物語。

 彼は戦う前、英雄の物語を求めていると語っていた。

 

 グラムにはそれが何のことだか全くわからなかった。

 

 だが、今では一つ思い浮かぶものがあった。

 

 

「———ゴホッ…っ!…い、いつか…」

 

 

 グラムは語る。

 

 

「いつか…私の、娘が…アリアが…君、を…倒す…」

 

「それが、きっと…君の、望む…物語、に、なる…はずさ…ッ」

 

 

 グラムの言葉を男は静かに聞き入れる。

 

 

「…それは、遺言か?」

 

「…」

 

 

 ハハッ、と男は面白そうに笑った。

 

 

「良いだろう。楽しみにしておこう」

 

 

 男はそう言って彼の前に立つ。

 

 

「さて…」

 

 

 そして、グラムの首を掴むと軽々と持ち上げる。

 

 

「先の言以外で、何か言い残すことはあるか?」

 

「…」

 

 

 男はその沈黙を肯定と見做す。

 

 

「そうか…ではな。存外に楽しかったぞ———」

 

 

 

 

 そうして黒く染まった手を構える。

 

 

 

 

 

「———然らばだ、《勇者》グラム・アルブレイズ———ッ!」

 

 

 

 ———ッッ

 

 

 

 ———男の腕が、グラムの胸を貫いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「———お父、様…?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ま、町が…」

 

 

 少女が其処へ辿り着いた時には既に町は荒地へと回帰していた。

 

 人の住まう民家や営みの溢れる市場どころか街道や石畳一つ無い、まるで神の如き存在に没収されたかのようにごっそりと抉れていた。

 

 恐らくは先程の魔力の衝突によるものだろう。

 

 一つは父のもの。

 

 もう一つは…分からない。

 

 少女は動揺に揺れる瞳でその光景をただ眺めていた。

 

 

「…っ!」

 

 

 その時だった。

 

 抉れた大地の中央、そこに何かの影を見た。

 瞬間、少女は再び駆け出す。

 

 はっきりとは見えない。

 だが間違いなく父だと言う確信はあった。

 

 

「はっ!、は…ぁッ!」

 

 

 鬱陶しく舞い漂う砂埃の中、段々とその正体が見えてくる。

 

 堂々と立ったままの者、力無く膝を着いて項垂れる者。

 

 それは正しく勝者と敗者を二分する構図である。

 

 

「っ!」

 

 

 だからこそ、少女が父の勝利を疑わなかったのは至極当然と言えることであった。

 

 民の前に立ち盾となるその背は山の如く、国を守らんと振るうその剣は烈火の如し。

 

 正義きぼうが巨悪ぜつぼうに負けるなどあり得ないのだから。

 

 

「はぁ…ッ!は、ぁ…!」

 

 走る。

 英雄父の勝利を願い信じて。

 

 

 

「———」

 

 

 

 そうして辿り着いた少女は己の父の名を呼ばんと口を開く。

 

 

 

 ———。

 

 

 

 

 ———砂埃が晴れる。

 

 

 

 

 

 

「…ぇ」

 

 

 

 

 

 そこにあったのは、黒い男に胸を貫かれる英雄父の姿。

 

 

「お父、様…?」

 

 

 消え入るような声が漏れる。

 

 

「…」

 

 

 呆然とするグラムと同じくと真っ白な髪をした少女は

 

 まるで理解が出来ないかのように。

 まるで現実を受け入れられないかのように。

 

 

「何、が…」

 

 

 男がズルりと手を引き抜けば、グラムは糸が切れたようにその場に膝から崩れ落ちた。

 

 

「っ!……お父様…ッッ!!」

 

 

 グラムの唯ならぬ様子に彼の下へと少女は駆け寄る。

 

 

「お父様…ッ!お父様ッ!」

 

 

 男の存在など気にも留めず、倒れそうになる彼を受け止め必死に支える少女。

 

 

「い…一体、何が…ッ!」

 

 

 一体何があったのか。

 一体何が起きているのか。

 

 二つの深い混乱を孕んだ言葉は、ぽっかりと胸に空いた穴を見て途切れる。

 

 

「お父様…何で、治さないの…ッ!魔術を、早く魔術を…ッ!」

 

 

 彼ならば欠損した部位であろうときっと直せる。

 

 幼い頃、自分が興味本位で真剣を振り回し誤って指を切り落としてしまった時だって瞬く間に治していたでは無いか。

 

 撫でるように優しく手を翳しただけで気がつけば治してしまっていたではないか。

 

 今回だってきっと治せる。

 彼が行使すれば問題は無いはずだ。

 

 なのに、何故。

 

 

「早くッ!早———ッ」

 

 

 もう一か八か自分が何とかできないか、そう自棄になって伽藍堂な穴に目を遣ればあることに気がつく。

 

 

「な、何、これ…」

 

 

 彼の貫かれた胸。

 

 その傷口からは奇妙なことに血が滴っていなかったのだ。

 

 代わりにその傷口を覆うのは、燃えるように揺らぐ黒い魔力。

 

 あまりに禍々しく、悍ましい黒の焔。

 

 それが溢れ出る血さえも焼き払うように消し去っていた。

 

 

「ッ!、こんなもの———ぁぐ…ッ!」

 

 

 間違いない。

 これが彼の回復を邪魔している。

 

 そう確信した彼女はそれを払おうと魔力を滾らせる手を翳す。

 

 しかし触れた瞬間に己の魔力が逆に呑まれ皮膚が灼かれてしまう。

 

 

「くっ…ぅああッ!」

 

 

 それでも彼女は諦めずに再び魔力を———

 

 

「———止め、なさい…アリア…」

 

「ッ!お父様!」

 

 

 その手を大きな手が制する。

 

 

「止めないでよッ!これさえ祓えば———」

 

「———無駄だよ、アリア…無駄、なんだ……」

 

 

 まるで諦めたかのように落ち着いていて、それでいて静かな声で彼は言う。

 

 何故貴方がそんなことを言うのか。

 

 他でも無い貴方がそれ・・を言ってしまうのか。

 

 

「無駄なんかじゃ…ッ、まだ何か手が———ッ!」

 

「分かるんだ…自分の…最期、くらいは…不思議、だね…ハハ…ゴホ…ッ」

 

 

 聞きたく無い。

 

 

「アリア…いいかい…?」

 

 

 嫌だ。

 

 

「私はもう…長くは、ない…」

 

 

 そんなことを言わないでくれ。

 

 

「だからね…これだけ、は…言って、おきた…かった…」

 

 

 アリアは思わず目を瞑り、耳を塞ごうとする。

 

 英雄の最期など受け入れたくなかった。

 

 

「っ!」

 

 

 だが己の手を掴む彼の手がそれを許さなかった。 

 

 

 

 そうしてグラムはアリアを抱えるようにして言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「———英雄になんてね、ならなくても…良いん、だ…」

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