持つべき使命、在るべき姿

「な、に…」

 

 

 いつの間にかアリアの背後に立っていた怪物は奇声を上げながらデュークの創る結界を殴りつけている。

 

 肥大化した頭部の目元にはまた別の人間の顔面が埋め込まれており、まるで脂肪をこねくり回した様な身体の腹は大きく裂けずらりと臼歯が並んでいる。

 両手の指はそれぞれが人間の腕のようになっており、十本あるそれぞれの腕が何かを掴もうとうねうねと指を忙しなく動かしていた。

 

 基盤ベースは人間に近く異形となってもなお肌の色は人間のソレであり、漏れ出る声音も僅かに人間味が残っているのが忌避感を増幅させる。

 

 頭部が異様に大きく全体的に赤子を思わせるシルエットは、しかし愛らしさなど欠片も有りはしない。

 

 アリアはあまりに異常な光景に呆然と立ち尽くしてしまう。

 

 

「う、うわぁぁぁぁ!!」

 

「きゃあぁぁぁぁあ!」

 

「逃げろぉぉ!!」

 

 

 とうとう状況を理解した観客達がパニックになり始める。

 盛り上がっていた先の光景から一転、人を押し除け、我先にと悲鳴を上げながら必死に会場から逃げ惑う。

 

 アリアにはそれが一種の地獄の様にも思えた。

 

 

「アリア!しっかりしろ!」

 

「っ!」

 

 

 デュークの声にハッとする。

 

 そうだ、今怪物の目の前にいるのは己である。

 ならばこの状況をどうにかせねば。

 

 

「少なくともコイツは今結界の中に入った!結界がある以上外に出ることは出来ない!」

 

 

 その通りだ。

 この円庭は結界が張られているが、それは外からの侵入を許しても中からの脱出は出来ない。

 

 この結界があるならば少なくとも民衆の安全は確保できるはずだ。

 

 

「衛兵、民衆を安全な場所へと誘導しろ!相手の能力も分からん以上、結界は消す———」

 

 

 ———消すな。

 

 彼がそう指示を飛ばそうとした時、それは起こる。

 

 

「うぐ…ッ、あぁ…ッ!」

 

 

 突然、逃げる民衆のうちの一人がその場に蹲った。

 

 周りの人間は自分のことで精一杯なのか、彼を足蹴にする様に踏み付け乗り越えて行く。

 

 その時アリアも彼の存在に気がつく。

 

 

「あ、みんなッ、待って…ッ!」

 

 

 このままでは彼が逃げ遅れるかも知れない。

 そうで無くとも大怪我を負ってしまうかも知れない。

 

 そう思った彼女は皆に彼の存在を伝えようとした。

 

 だが彼らにはそんな彼女の声は届かない。

 

 

「あぁ゛…ッ!ああア゛ッ!」

 

 

 彼の異常は加速する。

 

 まるで胎動する様に肉体が肥大と縮小を繰り返す。

 服は破け、全身に血管が浮かび上がる。

 

 

「———ぉあ゛…ッ!お゛ォ゛ぁぁァァァああアア゛ッ!!」


 

 そしてついには肉の怪物と同じく肉体が醜く膨れ上がり始めた。

 

 何倍にも肥大化する肉体は周囲の民衆を押し除け潰すようにして膨張する。

 

 

「ああぁ゛…!オ゛ぉァア゛…!」

 

 

 そうして完成した怪物は一体目とは違い全身を腕で編み絡み合ったかの様な姿をしていた。

 

 おそらく頭部であろう場所には苦悶の表情を浮かべる男性の顔が埋まっており、まるでその苦しみを表すかの様に全身の腕を蠢かせている。

 

 

「何だとッ!?」

 

「な、何で…ッ!?」

 

 

 二体目の怪物の登場。

 一体だけではないと言う事実にデュークは動揺する。

 

 そして人混みの中に突如現れた異形は民衆のさらなる混乱を呼び寄せる。

 

 

 ———な、何だ!?

 

 ———うわぁぁあ!殺されるぅぅ!

 

 ———おいどけよっ!

 

 ———いやだぁ!死にたくな——ッ

 

 

 そこにもはや秩序というものは存在しない。

 一人一人が己の生存のみを考えそれ以外をいないものの様に扱う。

 

 デュークの指示通り衛兵が誘導しようにもそんなものさえ彼らの視界には入らないのか、皆が出口へと一目散に駆ける。

 

 

「あ…!」

 

 

 そんな中、一人の少年が躓き転んでしまう。

 小柄な彼が周囲の大人に突き飛ばされればそうなるのも当然だろう。

 

 ———そんな彼を巨大な影が覆う。

 

 

「あぁあ゛…ッ!おお゛ぁああ゛…ッ!」

 

 

 彼女が振り返れば覆い被さる様に迫る腕の怪物が血走る目で彼を凝視していた。

 

 もともと同じ人間の姿をしていたとは思えないその姿はあまりに強烈で少年も声を上げることさえできない。

 

 唯一の人間としての名残とも言える顔面も大きく歪み、まるで虫が鳴き声を発する様に呻いている。

 

 

「ぁ…」

 

 

 一本一本がまるで生き物の様に犇めく腕の大群は食らおうとするかのように彼に向かって伸びていく。

 

 だが指先が彼に触れる寸前、その腕ごと怪物の上半身が消し飛ぶ。

 

 

「…一体何が起きているんだ」

 

 

 半身となった怪物の上に立ち、そう溢すのは一本の剣を手にする白髪の男であった。

 

 

「ゆうしゃ、さま…?」

 

「君、ここにいては危ないから早く逃げなさい」

 

「…あ、あの、ありがとうございました!」

 

「ああ…」

 

 

 少年は律儀にそう御礼を言うと、彼の言う通り逃げ惑う人々の後を追っていった。

 

 それを見届けた彼はこの混沌とした空間を見渡す。

 

 見れば、異形化している人間は二体だけではない。

 会場から脱出しようとする者達が一人、また一人と怪物へと変貌している。

 

 そしてそんなヤツ等が向かうのは当然———町である。

 

 何が条件で、何が原因でこの現象が起きているのかは分からない。

 

 だが少なくともこの状況で彼等を町へ向かわせるのが不味いということだけは確かであった。

 

 白髪の男———グラムは眉を顰め状況を把握する。

 

 

「———お父様!」

 

「…アリア、私は今から町の方へ向かう」

 

 

 グラムは結界内から呼びかけるアリアを真っ直ぐとした目で見つめ返す。

 

 

「この場を…任せてもいいかな?」

 

「ッ!———はいっ!」

 

「…頼んだよ」

 

 

 グラムはそれだけ言うとその場から颯爽と姿を消した。

 残されたアリアは未だ会場で暴れる怪物達に目を向ける。

 

 観客達はもうほとんどが会場を脱出しており、残っているのはデュークとアリア、そして怪物のみであった。

 

 

「デューク、陛下は?」

 

「既に避難なされた。後はコイツらを処理するだけだ」

 

 

 アリアは王の安否を確認する。

 

 王はこの国の要である。

 王位継承が迫ってきているとはいえ何かあっては一大事では済まない。

 

 

「逃げた民衆の方は大丈夫なのか?」

 

「うん、お父様が向かったからね」

 

「———そうか」

 

 

 その一言でデュークは納得、そして安堵する。

 

 彼かの《勇者》がいるならば万が一さえ起きようはずもないだろう、と言う信頼がありありと見える。

 

 

「さて…準備は良いか?」

 

 

 アリアから視線を外し怪物へと向き直ったデュークは己の魔力の巡りを確かめる。

 

 

「…問題ないよ」

 

 

 怪物に恐怖する民、そしてそんな彼等が異形と化してしまったことに強く心を痛めたことは確かであるが、それでも試合の後だからか身体は好調だ。

 

 アリアは剣を握り直し呼吸を整える。

 

 

 

 

「なら…始めよう」

 

 

 

 

 そうして———結界が解かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッ、フッ!」

 

 

 振り下ろされる拳を軽いステップで交わして行くアリア。

 

 怪物の腕はアリアの胴をも遥かに上回るほどに太く、丸太どころかもはや石柱の様な重圧を感じさせる。

 

 

「ハッ!」


 

 鋭い音と共に怪物の腕に数本の裂傷が生まれる。

 

 噴き出る血はドス黒く濁った赤。

 

 

「アぁアああ゛!!」

 

 

 痛覚はあるのか怪物は痛みを紛らわす様に腕を振りまわし暴れ回る。

 

 宙に振り撒かれる血は地面に飛散し、怪物を中心に地面を染めて行く。

 

 アリアは追撃するべく刻んだ傷に向け、さらに剣撃を浴びせる。

 

 二度、三度と違わず同じ部位を斬りつければ如何に大きかろうといずれ傷は深くなる。

 

 

「え゛あア゛ぁァあ゛ッ!!!いだイ゛ィぃああ゛ッ!!!」

 

「ッ…!ごめん…ッ!」

 

 

 アリアはその表情を悲痛に歪める。

 

 それでも噴き出す赤を身に受けながら、彼女は少しでも早く終わらせるべく剣を振るう。

 

 

 とうとうその腕が完全に切断され地面に落ちる。

 

 湿った肉が叩きつけられる不快な音が響き渡る。

 

 

「あぁ゛イダィぃい゛ッ!イ゛だいぃいいい゛い゛ッ!!!」

 

 

 足を切り裂く。

 

 腕を失った怪物は地面に手を着こうにも半ばから先の無いソレは空を切り、顔面から地面に崩れ落ちる。

 

 アリアは無防備となった怪物の背中に乗り逆手に持った剣を両手で頭上に掲げた。


 

「ア゛、ガッッ!??」

 

 

 そうして思い切り振り下ろし首の片端へと突き立てる。

 

 模擬剣とは違う確かな鋭さを持つ真剣は人間の肉質のままであった怪物の首筋を容易に貫いた。

 

 

「オゴッッ!!オ゛ォォオ゛ぉ゛ぉお゛ぉオオ゛」

 

 

 激痛から這いつくばったまま暴れ回る怪物。

 

 

「くっ…ッ!———ッッ!!」

 

 

 アリアは振り落とされないよう剣を握り締め、力のままに横へと引く。

 

 

「オ゛ゴォオ゛ぉごォオ゛っッ!!」

 

 

 筋繊維を裂き、血管を断ち、骨を削る感覚が剣身を通して彼女の手の平へと伝わる。

 

 生暖かい血が顔に飛び散る。

 

 

「っ!———アアアッッ!!」

 

 

 鬼気迫る叫び声と共に剣を振り切る。

 

 

「イ゛ァ゛ィ———」

 

 

 血と肉を巻き込んだ剣身が顕になる。

 同時に、のたうち回っていた怪物の肉体は一度痙攣すると糸が切れた人形の様に静かになった。

 

 落ちた首がゴロリと転がりアリアの方へと向く。

 

 ———目が、合った気がした。

 

 その哀しみに満ちた様な、恨みに溢れた様な目が、二年前に見た目と重なって見えた。

 

 

「ぅ…ッ!」

 

 

 記憶が蘇る。

 

 今まで魔物を狩るなかで薄まっていたはずの、自身が命を奪ったという感覚。

 

 恐ろしくて目を背けようにも回り込む様にしてついてくる現実。

 

 自分は取り返しがつかないことをしたのではないかという罪悪感。

 

 

「ご、ごめ———」

 

「———《雷柱トル=ヴェイン》」

 

 

 アリアの視界を埋めるような雷光が明滅する。

 思わず目を閉じる

 

 再び鳴り響く空気を震わす轟音。

 

 アリアがうっすらと目を開ければ、そこには全身から煙を上げながら黒炭になった怪物が居た。

 

 足元に立つデュークは怪物の死体へと手を翳したまま俯いている。

 

 

「…デューク…?」

 

「…不快だな…コレ・・も、お前のその顔も」

 

「え…?」

 

 

 顔を上げた彼は咎める様な目でアリアを見ていた。

 

 

「何故、お前が謝る?」

 

「…だ、だって———」

 

「———謝るべきはお前ではなく…この惨状を引き起こした者だろう?」

 

「っ…!」

 

 

 アリアは目を見開く。

 

 デュークは王族だ。

 そんな国の未来を主る人間の一人である彼は当然この国の情勢について詳しく把握しているつもりである。

 

 故に今起きている森の異変についても何度か国も調査に携わることである程度の概要も、そしてその中にある不自然な点も理解している。

 

 正体が不明な以上深く踏み入ることはできない。

 だがそれでもこの異変が自然に起きたものではないということくらいはわかる。

 

 そしてそんな立て続けに起こる異変の中で起きたのがこの事件だったのだ。

 

 これを繋がっていないと捨て見るのは、上に立つものとして節穴と言わざるを得ない。

 

 

「悲しみに濡れるのではなく怒りに燃えろ。剣を研ぎ澄まし悪を裁け。今お前が抱えるべきは罪悪感ではなく使命だ」

 

「…お前自身の私情は、全てが終わってから吐き出せば良い」

 

「デューク…」

 

 

 十年以上の付き合いのある彼は、未だ嘗て見たことがない程に強い眼差しでアリアを見据えている。

 

 彼は言葉が強いことはあるが民を思う優しき人間であり、誇り高き王族である。

 

 きっと彼とて泣きたいのだろう。

 

 しかしそれでも己の使命を全うするために、涙を流し足を止めるのではなく怒りを燃やし前に進んでいる。

 

 これが国を担う一族の末裔としての在るべき姿だと言わんばかりに。

 

 

「…分かっ、た」

 

「…まだ終わっていない。怪物共は理性が死んでいるのか周りにあるものを壊すことくらいしか能が無い。…直ぐに片付けるぞ」

 

「…うん」

 

 

 デュークは身を翻すと残る残党の方へと向かった。

 

 

「…」

 

 

 己の立場を明確に理解し、その役割を果たすべくその感情を抑えてでも邁進せんとするデュークと迷いに駆られ立ち止まってしまう自分。

 

 どんな闇に包まれようともその中から光を探し出そうとするような勇ましい姿を見せる彼を目にすると、二年前のあの日から前に進めたと感じている自分が酷く小さく感じる。

 

 剣を下げるアリアは、暫くその場から動くことができずに呆然と黒い死体を眺めていた。

 

 

「…?」

 

 

 すると死体の一部に小さく輝く何がが在ることに気がつく。

 

 それは死体に巻き込まれたように挟まっており、目を凝らしてやっと見える程の大きさであった。

 

 アリアは死体に近づくと身を屈め、それを引き抜いた。

 

 

「ッ!!」

 

 

 彼女は引き抜いたものが何かを確認すると目を見張る。

 

 

「…これ…っ」

 

 

 彼女の震える手の中にあったものは———傭兵の証明証であった。

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