正義と正しさ

「———で、勝手に突っ走った理由を聞こうか?」

 

 

 ハイネスが啜ったコーヒーをコースターの上に置く。

 緩慢なその動作は落ち着いているように見えて、その実内に秘める怒りを抑え込んでいることに他ならない。

 

 ソファの対面に座るアリアはその事実に気づいているのか、行儀良く座ったまま気まずそうに目を逸らした。

 

 「ふぅ…」とハイネスが熱を吐き出す。

 

 

「死者七名、重傷者二名…もしもお前が参戦していなければ生き残った二名も帰って来なかった可能性もあった…。」

 

 

 彼はただ事実を確認するように淡々と告げる。

 

 

「前もそうだった。あの時はまた別の変異種だったが、お前に助けられたと言う彼等の声が無ければお前に相応のペナルティを課すところだったんだ。」

 

 

 アリアから視線を外し片手に過去の資料を読み返す。

 

 

「俺はお前が唯の善悪の判断もつかない我儘な餓鬼なんかじゃねぇと思っている。…だが一度や二度ならともかく三度も四度も同じことで違反するなら流石に書類上だけでの対処とは行かねぇ。だから、何か理由があるなら聞いてやると言っている。」

 

 

 見定めるようにスッ、と目を細める彼は再度アリアへと視線を遣る。

 

 彼女がただ規約違反を繰り返すだけの良識の無い人間であるならばその力や権力を利用することくらいいくらでも出来る。

 

 規約違反したことを口止めするわけでもなく、力で暴れ回るわけでもない。

 

 何より彼女の性格を顧みれば何か事情があって然るべきだ。

 

 暫く彼がそうして無言で詰めれば、彼女も視線と雰囲気に耐えられたくなったのか静かに切り出した。

 

 

「…変異種の依頼は殆どの場合で人が帰って来ない。」

 

 

 ハイネスの眉がピクリと反応する。

 

 

「確かに傭兵業は自己責任だし、仮に派遣先で死んじゃっても事情を理解してる人達は何も言わないと思う。」

 

 

 傭兵業は自己責任。

 

 傭兵を生業としている者ならば誰もが一番最初に教え込まれ、そして常に念頭に置いている常識。

 

 傭兵を始めることも危険な依頼を選ぶこともその先で手足を失うことも———死ぬことも。

 その全てが自己責任であり本人も周囲の者も誰も強く責めることはできない暗黙の了解なのだ。

 

 ハイネスはそのことをここに居る誰よりも実感している。

 

 勿論、だからと言って人の死を何とも思わない訳ではないが、上に立つものとしてその姿勢を崩した事はない。

 

 

「けど…だからって見捨てる理由にはならない。」

 

 

 故に、目の前の少女の言わんとしていることも十分に理解しており、その正義感も否定するつもりは微塵もない。

 

 

「ボクはアルブレイズ家の者として目の前にいる民の死を指を咥えて眺めている訳にはいかないッ。」

 

 

 しかし、

 

 

「…それだけか?」

 

「ッ!」

 

 

 彼は段々と語気の強くなる彼女の言葉をたった一言でバッサリと切り捨てる。

 

 

「それだけって———」

 

「———今のお前は傭兵だ。貴族でも、況してやアルブレイズ家の末裔でもない。ただの一等級傭兵のアリアだ。…お前のとこの家ともそう話は付けている。」

 

 

 噛み付くアリアに構わず彼は続ける。

 

 

「たとえお前がどれだけ高尚な精神を掲げていようが、それをこちらが汲み取らなければならない道理もない。」

 

 

 ハイネスにとってアリア・アルブレイズとはまさしく誰もが思い描くような『民に寄り添う正義』だ。

 

 困った者が居れば何も聞かずに手を貸し、苦しむ者が居れば剣を抜く。

 理由もなく泣き喚く赤子から死の淵を彷徨う浮浪者まで老若男女問わず、分け隔てなく救いの手を差し伸べる。

 

 昔からそうであったが最初の変異種の報告があってからはよりその印象が強まったように思う。

 

 しかし、だからこそ彼は彼女がただ徒にこのようなことをしているわけではないということくらいは理解しているつもりであった。

 

 だが今の彼女の様子を見れば過大評価だったのかもしれない、と密かに失望する。

 

 

「…話は以上か?なら帰れ。俺はまだ仕事が残ってるんでな。」

 

 

 ハイネスは手を払いそう無慈悲に告げる。

 

 話は終わりとばかりにソファから腰を上げ、書類の積み重なったデスクに向かう。

 

 

「…」

 

 

 背を向けられたアリアは座り込んだまま動かず、俯いたその様子からは表情も窺えない。

 

 

「…お互い暇な身じゃないだろ。さっさと出———」

 

「———ハイネスさんもさ、気付いてるよね?」

 

 

 ハイネスの足がピタリと止まる。

 

 

「…何がだ。」

 

「森の異変がどう考えてもおかしいことだよ。」

 

 

 勢いのままに立ち上がった彼女はまるでお返しとばかりに、叩きつけるように言い返す。

 

 

「変異種の時だけ死亡率が変に高いし、依頼の時以外殆ど姿を現さない。今回は死体が無くなってた。生き残ってた人達は間違いなく彼らは死んだって言ってた。」

 

「首が無くなってたりお腹に穴が空いてたり…そんな状態でボクが戦ってる間に森から抜け出したの?そんな訳ないよね。」

 

「死亡率が高いのも、まるでこっちの動きを知ってるみたいに依頼の時以外見ないのもそう。どう考えたって何かが森の異変に関わってる。」

 

 

 そう、吐き出すように一息で言い切った。

 浅く呼吸をする彼女からは興奮していることがいて取れる。

 

 

「これだけあってハイネスさんが気付いてない訳ないよね。」

 

 

 ハイネスは彼女に背を向け目を合わせない。

 

 

「…それなのに、見捨てるの?」

 

 

 しかしそれでも彼女は彼から視線を外すことなく問う。

 

 

「…」

 

 

 黙ったまま止めていた足を動かしデスクの前の椅子に腰を掛けるハイネス。

 

 そうして徐に煙草を取り出し咥えると指先から火を出し蒸し、灰色の煙を吐き出す。

 

 

「…物事には、順序と役割がある。」

 

 

 彼女の問いに対する答えなのか、熱くなる彼女とは対照的に冷め切ったように語り出す。

 

 

「どんなことでも組織として動くなら『可能性』ではなく『確証』が必要だ。可能性を見出したならそれを確証に変える動きが必要になる。」

 

「組合で言うなら調査依頼がそれに当たる。」

 

「だから俺も一連の異変に関して定期的に調査依頼を手配している。その結果、決定的な証拠は見つからなかった。…いや、今も続けているから正確には見つかっていない、だな。」

 

「可能性としては十分だ。だが確証には至らない。」

 

「死亡率が高いのは単に強力な魔物だから。姿を表さないのは偶然。死体の件も…混乱していたかそこらの魔物が食っちまったって言えばそれまでだ。今のところ向こうに明確な攻撃性が無いこともそうだ。」

 

「無理があるのは分かってる。だが組織ってのはそんなもんだ。」

 

「人も金も無駄に使うことは許されない。それが組織で動く上での順序なんだ。」

 

「だがそれでも無視できない以上派遣はしなくちゃならねぇ。それが組合に与えられた役割だからな。」

 

「これだけの異変、人為的なものだと明らかになれば一等級どころか特級だろうが、内容によれば超級だろうが召喚できるさ。」

 

「それが出来ないのは、そうするだけの事態だと判断できる根拠が無いからだ。」

 

 

 彼が無感情にそう語るのをアリアは黙って聞いていた。

 しかし揺れる瞳からはその動揺が読み取れた。

 

 

「国は…国は、なんで動かないの?」

 

「勿論合同で調査を行ったさ。だが結局人為的な証拠は得られなかった。それに組合全体の面子もあるからな、何度も泣きつくなんて出来ないんだ。」

 

「…お父様は…」

 

「それこそ無理だ。勇者は余程のことがない限り王都から離れることはできない。お前もよく知ってんだろ?」

 

「……なら他の支部は?要請すれば来てくれるでしょ?」

 

 

 彼女の言葉に初めてハイネスの表情が変わる。

 

 

「…した。」

 

「え?」

 

「要請はした…だが返事は未だ帰ってこない。」

 

 

 苦虫を噛み潰したようにそう溢す彼。

 アリアはその信じられない言葉に絶句する。

 

 

「そんな…」

 

「場合によっては一等級でさえ危険と判断される事案だ。向こうも戦力を減らしたくないと考えているのか…あるいは向こうにも既に手が回っているのか。」

 

 

『動きたくても動けない』

 湧き出る感情を抑えるようにいう彼の姿からはそれがありありと伝わってくる。

 

 

「…なら、ボクが———」

 

「バカ言うな。そんなこと出来るか。」

 

 

 彼女の言おうとしたことを遮るようにピシャリと言い放つ。

 

 

「お前は確かにここじゃただのアリアだが…所詮は口約束みたいなもんだ。死んじまったら俺は責任が取れない。」

 

「…」

 

 

 自分の立場が自分を邪魔している。

 

 貴族の誇りとそれをかなぐり捨ててしまいたいと言う思いが胸の中で暴れ回る。

 

 

「今、伝文ではなく直接職員を送っている。流石にこれなら無視は出来ないはずだ。だからお前は大人しくしていろ…頼む。」

 

 

 彼は事実を伝えると言うよりは、まるで彼女の気を紛らわせるようにそう付け加えた。

 

 組織は統率されればされる程力を得ることが出来る。

 

 しかし同時にそれは明確なルールに基づいた動きしか許されなくなるということでもある。

 

 司令塔を始め末端に至るまで、一律の動きをするからこそ力を発揮するのが『群れ』なのであり、それが一度崩れて仕舞えばまるでドミノ倒しのように全体が崩壊する。

 

 その司令塔である彼ならば尚更だ。

 権力とは力であり、同時に枷でもある。

 

 本来なら彼とてその枷さえ無ければ一人の人間として戦うのだろう。

 

 

「…そっか。」

 

 

 俯いたまま沈黙する彼女は小さく呟く。

 そうしてゆっくりと彼に背を向けた。

 

 

「分かった。迷惑かけてごめんね、ハイネスさん。」

 

「…ああ。」

 

 

 そう謝罪を残し、悲壮感を漂わせたまま部屋を後にするアリア。

 

 ハイネスは最後まで、彼女を見ることは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 組合のロビーは傭兵達の溜まり場である。

 

 ただ依頼の発行所と受付が存在するだけでは無く休憩するための椅子とテーブルが一面に並べられており、酒や料理さえ注文することができるそこは、いつも飲んだくれで溢れ殴り合いやら掴み合い、怒号の飛び交う無法地帯と化している。

 

 しかしその日の組合のロビーにはいつものようなガヤガヤとした雰囲気は鳴りを潜めていた。

 

 

「おい、あれ…」

 

「何だ…ドヤされたか?」

 

「いや、そんなことで…」

 

 

 喧しい会話もヒソヒソとした小声によるものばかり。

 

 そんな傭兵達の盗み見るような視線は一点に集中している。

 

 

「…」

 

 

 彼らの視線の先、そこには机に突っ伏したまま微動だにしない少女が一人。

 

 いつも天真爛漫という言葉がピッタリと当てはまるような彼女。

 それがここまで消沈しているというのは非常に珍しい光景であった。

 

 

「なーに落ち込んでるの?」

 

 

 そんなアリアに向かい側から声が掛かる。

 

 腕に埋めていた顔を上げれば、そこには綺麗なウェーブの掛かった桃色の髪を揺らす女性が立っていた。

 

 

「…カローナさん。」

 

 

 カローナ、それが女性の名であった。

 

 魔術師である彼女はアリアのように剣を持たず比較的露出度の少ない服と動き易そうな軽装に身を包み、身軽な立ち回りと多彩な魔術によって相手を追い詰めるのを得意としている。

 

 色々な意味での汚れ仕事も少なくはない傭兵業において、数少ない同性である彼女はアリアにとって気兼ね無く話のできる貴重な友人であった。

 

 カローナはアリアの対面に腰掛けると頬杖をついた。

 

 

「貴女が珍しく落ち込んでるもんだからみんな心配してるんだよ?」

 

「…ごめんなさい。」

 

「いや、謝らなくて良いから。」

 

 

 いつに無くブルーなアリアに苦笑いするカローナ。

 

 いつも明るいだけにここまで暗いとやりずらいというものだ。

 

 

「それで、何があったの?私で良かったら聞くよ?」

 

「…実は———」

 

 

 アリアは先程の執務室での一連のやり取りを彼女に話す。

 

 規約違反を注意されたことから始まり、森の異変が意図して起こされている可能性、それに対して組合が動きが著しくないというハイネスの言ことば。

 

 そして自分の立場によって行動が制限されている現状。

 

 それら全てを余すことなく伝えた。

 

 その話を聞いたカローナは難しい顔をする。

 

 

「うーん…なるほどねぇ〜。」

 

「ボク、何も出来ないのかな…」

 

「何もできないって訳じゃないけど、ハイネスさんが言うように傭兵以前にアリアはあのアルブレイズ家の跡取りだし。あんまり勝手に動かれたらあの人も気が気じゃ無いと思うよ?」

 

「でも…」

 

「貴女が死んじゃったら誰が《勇者》を継ぐの?」

 

「…」

 

 

 勇者の後継。

 国の要とも言えるその立場がアリアにある以上、彼女の命はもはや彼女だけのものとは言えない。

 

 

「…ならボクが死なないくらい強くなれば良いってこと?」

 

「んー、何でこの見た目でこんな脳筋なのかなぁ…」

 

「脳筋…?」

 

「あー、うん…何でもない。」

 

 

 流石に上流階級の高等教育の教科書に脳筋などと言う言葉は無いらしい。

 

 良く言えば純粋。

 悪く言えば無鉄砲。

 それがアリアという少女である。

 

 カローナは目の前の小首を傾げる少女の脳筋ぶりに頭を抱える。

 

 

「ねぇ、カローナさん———」

 

 

 するとその様子を見ていたアリアは何かを思いついたのか苦笑する友人に向き直る。

 

 

「———ボクに、魔術を教えてくれないかな?」

 

「…はい?」

 

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