物語の始まりは突然に
「フッ…!」
「グルォッ!」
緑で彩られる森の中で鮮やかな赤が飛び散る。
決められた型をなぞる様に迷いなく振るわれた剣は獣の首に吸い込まれる様にして切り裂いた。
「———」
ドサリ、と地に伏せる。
残りの力を全て吐き出すように一度大きく痙攣して、それ以降その死体が動くことはなかった。
「…ふぅ。」
つい先程死角より飛びかかってきた魔物———グレイウルフを斬り伏せたアリアは小さく息を吐いた。
既に森の中へと踏み込んでから数刻、数十体もの魔物と相対していた。
体の所々に乾いたシミが付いており戦いの血生臭さを表している。
一部の貴族が傭兵や狩人を野蛮だなどと貶すことを考えれば、とても上流階級の人間の風貌とは思えないことだろう。
正直アリアからすれば、その野蛮な者達が居なければ生活することもできない彼等の方がどうしようもなく哀れに思えて仕方ないが。
「よい、しょっと。」
近くに横たわる丸太に剣を立てかけ腰を下ろす。
休憩もこれで十を超える。
「本当に多いなぁ。」
魔物が大量発生しているとは聞いていたものの、まさかコレ程とは思ってもいなかった。
もともと王都の周辺というのは魔物が減少傾向にあったはずだ。
故に商人や一般人が馬車などを使って出入りすることもリスクが小さく、他の都市よりも産業が発展しやすいというのが王都の特徴の一つでもあった。
しかし最近では経済に影響するほどでは無いにしろ明らかに物流に変化が生じている。
このまま王都の景気が不安定になってしまえばいずれ王国全体にその影響が及ぶことになるだろう。
この森の異変は純粋な魔物の脅威による市民の不安だけでなく、商人達の経済的不況による不安も煽っているのだ。
アリアは町を出る前に話をした王都の人々の顔を思い返す。
「期待…してくれてるのかな。」
誰の顔を思い出してもその表情は皆一様に笑顔。
自分で言うのも気恥ずかしいが、その内には彼らの言う様に確かに自分と顔を合わせた「喜び」が見えた。
『元気そうで安心した』
『みんな心配している』
決して嘘じゃ無いんだろう。
だがそれ以上に感じられたのだ。
将来自分達を守ってくれる存在になることへの期待が。
応えねばならない。
自分は彼らの英雄にならねばならないのだ。
「ジークにも、少し悪いことしたなぁ。」
ふとここへ入る時のことを思い出す。
本来であれば、貴族の中でも大貴族と呼ばれるアルブレイズ家の跡取りである彼女が一人で魔物の巣窟であるこの森へ入るなど言語道断である。
故に当初はジークも一緒に森へ入る予定だったのだ。
だがアリアはいざ森へ踏み入る時になってジークに向き直り言ったのだ。
『どうか一人で行かせて欲しい』
勿論ジークは断固として受け入れなかった。
彼はグラムから彼女を任せられている身であり、同時に彼女のことを孫の様にも思っているのだ。
仕事も私情も含め彼女を一人で危険な地へと行かせるなど許せなかった。
しかしそれでも彼女は食い下がった。
『それじゃここに来た意味がないんだ』
彼女は何よりも自分のためにここに来た。
今までは安全な場所で何を倒すわけでもなく襲われるわけでもなく、敵のいない何処かへ向かって剣を振るっていただけだった。
もし隣にジークがいるならきっと己は安心してしまう。甘えてしまう。
それでは本当の自分は示せない。
アリアのその鬼気迫る様子に何かを感じたのか、最終的にジークは森の前で待つことを了承してくれたのだ。
場合によっては彼が罰せられることさえあるだろうに。
アリアは籠手を外し先程まで剣を握っていた手を見つめる。
所々にマメができ、女の子特有の柔らかさがあまり感じられないそれは、しかし間違いなく彼女が日々剣を握り振ってきた証だ。
「…大丈夫。強くなってる。」
こうして休憩は挟むものの長時間戦う体力もついている。
硬質な魔物の皮膚を切り裂く剣の技量も身に付いてきている。
きっと皆が望む、己が目指す姿へと近づいているはずだ。
「よしっ。」
アリアは何かを確かめる様に掌を何度か握りしめると再び籠手を取り付け剣を手に取る。
そうしてフードを被り帰路に就こうとした。
その時だった。
「ッ!」
背後で枝が踏み折られる音がした。
アリアは直様身を翻し剣の柄に手を掛ける。
「グォ…ォォ…」
そこに居たのは人型の魔物であった。
五体があり、人と同じく頂点に頭部を持ちながらも獣のような唸り声をあげている。
浅黒い鋼のような肉体と丸太のような手脚によって振るわれる暴力はまさに脅威だろう。
そして何よりその存在を象徴するのは頭部より生えた2本の角である。
「オーガ…?」
現れたソレにアリアは怪訝そうな視線を向ける。
オーガ。
人型としてかなりメジャーな存在であるこの魔物は森林や山岳地帯に同種あるいはゴブリンやオークといった格下の魔物を従え生息している。
力もさることながらある程度の知能も持っており、群れを相手にするのは中々に骨が折れる魔物として知られている。
この北の森にだって居てもおかしくは無いだろう。
しかし、このオーガに至っては何処か様子がおかしかった。
「グゥ…ゥオ…!」
アリアにはまるで何かに苦しんでいる様な、何かを抑えている様な、そんな風に見えた。
「———」
目が合う。
その瞬間彼女を射抜いたのは尋常では無いほどの殺気だった。
きっと現れた段階では彼女のことを認識さえしていなかったのだろう。
その殺してやるという悍ましい程に強い怨念はたった今爆発したのだから。
「ッ」
思わず剣を握る手に余計な力が入る。
それでも彼女は湧き上がるその感情を必死に抑え込み剣をまっすぐに構えた。
「…大丈夫。」
自分に言い聞かせる様にそう呟く。
睨み合う両者。
距離が一歩、また一歩と縮まって行く。
「…グォオオッ!」
最初に動き始めたのはオーガ。
咆哮と共に我武者羅な様子で走り出し大きく振りかぶった腕をアリアの胴目掛けて放つ。
それを彼女は潜る様にして躱す。
そして屈むと同時、下段に構えた剣を己の背後へと流し、オーガの傍をすり抜ける様にして背後に回る。
そしてすれ違う瞬間にその足首を横薙ぎに斬りつける。
鋭い傷口から赤い鮮血が勢いよく噴き出す。
「グォォッ!」
しかしオーガは痛がる様子を一切見せないどころか、攻撃された怒りを感じたように吼える。
「フッ!」
オーガが背後に回った彼女の頭を掴もうと腕を伸ばす。
先程よりも更に繊細さに欠いたその挙動をアリアはしっかりと見切り、横にステップを刻みつつ胴を切り裂いた。
「大丈夫…いける。」
躱しては斬り、躱しては斬る。
時に距離を取りまた躱して斬る。
小さく身軽な彼女の体躯を存分に活かしたヒットアンドアウェイによってオーガに一つ、また一つと小さくない傷が増えてゆく。
「ハッ!」
スパッ、と鋭利な金属と血肉が擦れ合う音と共にオーガの腕が血を撒き散らしながら宙を舞う。
それと同時にとうとうオーガが膝から崩れ落ちた。
「はぁ…はぁ…!」
満身創痍であるオーガをアリアは肩で息をしながら見下ろす。
人間とは比べ物にならない程硬い筋肉に頑丈な骨。
皮膚でさえそこらの木の幹の方が深く切りつけられる程。
そんな者をアリアが相手にするならば必要なのは手数である。
全身を切りつけ血を流させ、同じ箇所を切りつけ削る様にして切断する。
そうでなければ通用しない。
結果、この様な惨い殺し方をしてしまった。
「…。」
アリアは罪悪感を抱く。
今まで魔物を殺す———命を奪うという行為をしたことがなかったわけではない。
だがやはりそれでもこうして一つの命を自らの手で散らすというのは思うところがあった。
せめて一思いに、とアリアは剣に魔力を流す。
まだ慣れてはいないが、刃を魔力で覆うことによってその強度を高め切れ味を増幅させるという技術である。
彼女は倒れ伏すオーガの首元に立ち、魔力を纏った剣を上段に構える。
「…さようなら。」
そうして振り下ろそうと力を込める。
「———ッ!」
再び、目が合った。
それは先程と変わらない…いや、より一層深い憎悪と殺意に塗れた泥の様な眼だった。
「ッ!…うわぁぁっ!!」
目を瞑り、その感情を誤魔化す様な叫び声と共に剣を振り下ろす。
数瞬後、手応えと共に顔に生温かい何かがかかるのを感じた。
「ハァッ!…ハァッ!…」
荒い呼吸をしつつゆっくりと目を開ければ、そこには胴と頭に別れた魔物の死体があった。
眼は…虚を向いていた。
アリアは緊張から解放されるとドッと来た疲れを感じその場に座り込んだ。
「…何だったんだろう…。」
この魔物は一体なんだったのだろうか。
会ったこともない魔物にあれ程のモノを向けられる覚えは彼女にはない。
思い出すと体が小さく震える。
「…帰ろう。」
一刻も早くあの視線を忘れてしまいたかった彼女は、区切りが付いたと立ち上がり帰路に就く。
彼女の足元が影で覆われる。
「———ぇ」
振り返った時にはもう遅い。
死んだはずの鬼の拳はもう眼前まで迫って———
「よいしょっと。」
瞬間、一気に視界が開けた。
「…………え?」
しばらく呆然としたアリアは目の前に広がる血飛沫と見覚えのある肉片を見てやっと理解する。
そこでようやく彼女は己があとほんの僅かで死んでいたことを自覚し、ペタンとその場にへたり込んでしまう。
「首が無いのに動くなんてねぇ…不思議だぁ…。」
背後からそんな何処か気楽な声がした。
アリアは呆けた顔のまま声の主の方へと振り返る。
「ちょっと君。危なかったみたいだけど大、丈……夫……………え。」
そこに居たのは、引き攣った顔で冷や汗を流しながらコチラを覗いてくる黒髪黒目の男だった。
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