幼き日の邂逅

勇者の少女

 その日はいつもと何一つ変わらない、ごく普通の始まりだった。

 

 少女、アリア・アルブレイズはベッドの上で意識を覚醒させる。

 窓から差し込む陽が心地良い夢現ゆめうつつを邪魔してくることに若干不快そうに眉を顰めながらうっすらと目を開けた彼女はそこでようやく朝がやってきたことを理解する。

 

 

「んぅ〜〜〜、っと…」

 

 

 肩に掛かるほどの柔らかそうな印象を受ける白い髪を揺らしながら体を起こした彼女は両手を上に上げ思い切り背伸びをする。

 ふと時計を確認すれば針が指すのはいつも己が起きている時間よりもいくらか遅い。そのことに一瞬焦りを覚えるが今日が休日であったことを思い出し一人でほっと安堵する。

 

 しかし休日であるからと言っていつまでもだらけてはいられないと、己の立場を思い起こしつつ毛布を弾き床に足を下ろした。

 

 

 ———アルブレイズ家。

 

 それは彼の勇者の血を引く誇りある一族であり、同時に古くから王家に忠誠を誓う由諸正しき臣下でもある。

 代々勇者の称号を与えられるアルブレイズ家当主はそのいずれもが王国における最高戦力と呼ばれ、王の剣としてその力を奮い国を守ってきた。

 更には王に仕える身でありながら王に近しい発言権をも与えられており、時には王に意見することさえ許されている。

 そしてその力は王国内外問わず通用する。

 

 まさに唯一無二の特別な存在と言えるだろう。

 

 未だこの世に生を受けて13年とはいえ、アリアはいずれはそんな家系における次期当主を務める責務がある。

 故に、このような朝の温もりになどいつまでも浸ってはいられないのだ。

 

 彼女はささっと着替えを済ませる。

 因みに元は家臣に着替えを手伝わせてはいたが、彼女自身が子供とはいえそれぐらい自分で出来なくては、と拒否するようになったのだ。

 

 部屋の扉を開け廊下に出る。

 長い長い廊下には豪華絢爛な装飾やら美術品やらが壁や隅に飾られている。主張の激しい輝きを放っているそれに目を遣りつつ未だそれらにあまり価値を見出すことのできない彼女は貴族としてはまだまだなのだろうか。

 

 壁や置物とは打って変わってシンプルな赤の絨毯が敷かれた床を食堂目指して歩いていると皺の目立つ老年の使用人が向こうからやってきた。

 

 老人はアリアに気がつくとぴたりと足を止め深々と頭を下げる。

 

 

「おはようございます、アリア様。」

 

「おはようジーク。今日も良い朝だね。」

 

「ええ、丁度お部屋へ参ろうかと思っていたのですが…今日はお早いのですね。」

 

「休日ということを忘れて少し焦ったんだけど…目が覚めちゃってね。」

 

「なるほど。休日といえど時間を無駄にしないその姿勢、流石にございます。」

 

「そんなことで褒めないでよ…。」

 

 

 嬉しいと感じる反面、早起き程度で褒められては面子が立たないと苦笑いするアリア。

 

 ジークはこのアルブレイズ家に先代当主より仕える最古参の使用人の一人である。

 ほっほっほっ、と朗らかに笑いながらアリアを見るその目は使用人というよりは孫を見るようであり、公私を分けてはいるもののアリア自身も何処か祖父に接するような感覚で相対している。

 

 今では顔に深い皺が刻まれている老爺ではあるものの、若い頃は大陸に名を轟かせる程の実力者であったという。

 それ故か現当主である父も彼には家臣として接しつつも敬意を払っている節がある。

 アリアもそれに倣い彼をある種の模範として見ている。

 

 

「朝食の準備はできておりますのでお供させて頂きます。」

 

「うん、ありがとう。」

 

 

 朝の挨拶と少しの会話を終えるとジークがアリアの斜め後ろへと侍り再び食堂へと向かい始める。

 

 太陽は既に完全に顔を出し王都を照らしていた。

 窓から外を覗けば庭園には何人かの庭師が姿をみえており己の仕事に勤しんでいる。

 

 アリアは貴族の威厳を保ってくれている彼らに心の中で感謝をしつつ背後に控えるジークへ話を振る。

 

 

「…そう言えばジーク、実は今日の鍛錬が終わった後少し北の森の方に行きたいと思ってるんだ。」

 

「と言いますと、視察でございましょうか?」

 

「ん、まぁそんな感じかな。今の王都がどんなものなのか気になっててね。ほら、最近は王都の周りにも魔物が増え始めたようだし、街の人たちの様子も含めて自分の目で確かめたいと思ってたんだよ。」

 

「なんと…大変ご立派にございます。でしたら当主様には私からもお言葉添えさせていただきたく思います。」

 

「…ホントに?助かるよ。」

 

 

 未来の当主が民を気にかけるその姿に感銘を受けたように目を見開くジーク。

 

 実力、忠誠心、共に本物である彼が説得してくれるならば今日の外出は難しくないかもしれない、と安堵するアリア。

 

 そうこうしているうちに両開きの大きな扉が見えてきた。

 どうやら食堂に到着したようである。

 

 先程まで背後に控えていたジークがアリアの気付かぬ間に扉の傍に立ち取手に手を掛けた。

 ほんの一瞬軋むような音を鳴らしながら扉が開かれる。

 

 だだっ広い食堂の中央に設置されたテーブルの上には今日の朝食と思われる料理が並んでいた。

 起きたばかりとは言え腹が減っている以上真っ先に目に止まってしまう。

 

 

 しかしこの食堂において最も強い存在感を放っていたのはソレではなかった。

 

 

「おはよう、アリア。」

 

 

 彼女の席とは反対に位置する席に座る男がそう言葉を発する。

 

 アリアと同じ柔らかそうな白の短髪、ナイフを思わせる鋭い金色の瞳。

 オーラとでもいうべきか、老いを感じさせない若々しい肉体は細身ながら隠しきれない力が溢れている。

 

 彼の名はグラム・アルブレイズ。

 アルブレイズ家現当主にして《勇者》の称号を与えられた男である。

 王の剣であり盾でもあるこの男が王国に属しているという事実が他国への牽制となり、ひいては現在の世界全体のパワーバランスを保っていると言っても過言ではない。

 当然それは他国に存在している五源英雄の血筋も同様のことが言えるが、やはり厄災を祓った本人であるとされる勇者を祖とするという事実は大きな意味を持つのだ。

 

 グラムが穏やかな笑みを浮かべつつそう声を掛けるのとは対照的にアリアは顔を強張らせる。

 

 

「…お待たせしてしまい申し訳ございません。」

 

「気にすることはないよ、まだ手を付けていなかっただけさ。寧ろ普段よりも随分と早起きじゃないか。」

 

「…ありがとうございます。」

 

 

 彼の労いの言葉も響いていないのか彼女の表情は晴れない。

 しかしこうしているうちにも朝食の熱は引いてゆく。そういつまでも留まっているわけにはいかないと思い直したアリアはグラムに頭を下げ己の席へ向かった。

 

 そんな二人の様子にジークは少し困ったように微笑みながら彼女の椅子を引く。

 

 

「…」

 

「…」

 

 

 食器同士が僅かに擦れ合う音のみが食堂に鳴り響く。とても親子揃っての朝食とは思えないほどに静かな時間が過ぎて行く。

 

 相も変わらず表情の柔らかいグラム。

 とても食事をする表情とは思えないほど硬い表情のアリア。

 

 

「…お父様。一つお願いがあるのです。」

 

「!……なんだい?言ってごらん。」

 

 

 そんな静寂を破るように声を発したのはアリアであった。

 

 彼女のその一言にグラムは僅かに眉をピクリと動かすも続きを促す。

 

 

「今日、午前の鍛錬が終わり次第北の森へ潜りたいのです。」

 

「北の森、か。理由を聞こうか。」

 

「ここ数年、この近辺では魔物が増加していると聞きます。当然対応はされていますが傭兵組合が中心になって動いている以上王都民もそのことを少なからず知っているでしょう。だから私は一貴族として、アルブレイズの者としてその実情を己の目で確かめたいのです。少しでも彼らに安寧を与えたいのです。」

 

 

 アリアは彼に一息でそう伝える。

 

 ノブレス・オブリージュ———誇り高き貴族として日々民に支えられている己が彼等に寄り添わぬ道理は無い。

 

 彼女は本心から生まれる強い想いをその目に宿し偉大なる父を睨みつけるように見詰める。

 

 

「…なるほどね。」

 

 

 それを聞いたグラムは顎に手をやり目を細め、真正面から彼女を見据える。

 

 

「———ジークはどう思う?」

 

「おや、私に意見をお求めに?」

 

「どうせ助け舟でも出すようにお願いされているんだろう?」

 

「ほっほっほ、バレておりましたか。」

 

 

 どこか呆れたように、しかし確信を持ってそう尋ねるグラムにジークはつい笑ってしまう。

 

 

「で、どうだい?」

 

「私が見る限りではアリア様の実力があれば十分でしょう。そう深いところに潜ることがなければ安全かと。」

 

「そうか…。」

 

 

 彼の言葉を聞き終えるとグラムは目を瞑り僅かに俯く。

 そうしてゆっくりと目を開けると再びアリアへと視線を合わせる。

 

 

「———良いだろう。」

 

「っ!」

 

 

 緊張の見えた表情に小さな驚きが混じる。

 

 

「…良いの、ですか?」

 

「ああ。実を言うとね、そろそろそういう時期・・・・・・なんじゃないかと思っていたんだ。…君が傷つく事は耐え難いが、いつまでも影に覆われた箱の中では花は咲かないからね…。」

 

「お父様…。」

 

 

 そこで初めて明確に彼女の瞳に光が灯る。

 緊張から解放され隠しきれない喜色が滲み出る。

 

 

「ありがとうございます…!」

 

 

 アリアは感情を抑え込むようにそう言うと少々淑女としてよろしくない勢いで朝食を食べ進め、あっという間に完食してしまうと直ぐ様何処かへ行ってしまった。

 

 そんな様子を呆気に取られたように眺めるグラムとジーク。

 

 

「…親というのは難しいものだね、ジーク…。」

 

「そうですなぁ…。」

 

 

 グラムは苦笑しつつ噛み締めるように、ジークは髭をいじりながら何処か楽しそうにそう言葉を溢すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の午後、一人の少女が執事服に身を包む老人と共に市を闊歩していた。

 

 他でもないアリアとジークである。

 彼女はたった今午前の鍛錬を終え、宣言通り北の森へと向かうところなのであった。

 

 彼女はその立場故こうして市場にやってくることさえそう容易いことではない。

 そのため本来であれば民との交流も少なく直接的な認識も深くはないはずである。

 

 しかし周囲の彼女を見る目はそれはそれは温かく、誰がどう見ても迎え入れていると一目で分かる程であった。

 

 

「おや、アリア様!こんなところに来るとは珍しい!」

 

「やあフレデリックさん、久しぶりだね。」

 

「ええ。以前お会いしたのは何時でしたか…ともかくお元気そうで安心致しました。」

 

「ふふ、ちょっと会わなかっただけでしょ?」

 

「それでもです。卑しい身であるが故こうしてお会いすることも有難いこととは自覚しておりますが、皆貴女様を日々心配しているのですよ。」

 

「気持ちは嬉しいけど自分をそう卑下しないでよ。ボク・・にとっては皆等しく大切な民なんだ。」

 

「おぉ…。」

 

 

 彼女が本心をそう吐露すればフレデリックと呼ばれたパン屋の店主は目尻に涙を溜め、感無量というふうに顔を綻ばせる。

 

 そう、アリアは非常に愛されている。

 それは僅かな交流でも彼女がひどく純粋で聖人の如く慈悲深い少女であることが理解できたからだ。

 

 今だってこうして当たり前のように労いの言葉を与え周囲の感謝の視線を一身に受けている。

 

 故に王都の人間であれば誰もが言う。

 

 

『彼女こそ次代の英雄に相応しい』

 

 

 と。

 

 本人が何を思おうときっと人々を救う、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 市や街にて民との交流を経たアリアは今馬車に揺られていた。

 

 北の森へと続くそこそこ舗装された道を僅かな揺れのみだけで客貴族にストレスを与えず進むそれは中々に豪奢な造りである。

 

 これがただの馬車であればきっと道の傍から生えてきた賊共に襲われ、最悪金品やその身、あるいは命までを奪われていたことだろう。

 

 しかしアルブレイズ家の家紋の意匠が施されたこの馬車を襲おうなどと言う賊はいない。

 もし居たならば、それはきっと今日こんにちまで生きていようはずもないだろう。

 

 

「アリア様、くれぐれも森の深部へは向かわないでくださいませ。」

 

「そう何度も言われなくとも分かってるよ。今の森の危険性も…自分の実力も。」

 

 

 北の森。

 最近になって魔物の発生率、目撃件数が増加している王都北部にある大規模な森である。

 

 森の深部には傭兵組合でさえ手を焼く様な強力な魔物が複数体確認されており、一定以上の力量がなければ立ち入りは禁止されているほどだ。

 

 そこにアリアは今から行く。

 国のため、民のため、そして何より———自分のため。

 

 民衆は彼女の優しさを受け彼女のことを聖人だ次代の英雄だと持て囃す。

 

 しかし彼女自身は自分のことを酷いエゴイストだと、そう思っている。

 

 彼女の父親であるグラム・アルブレイズはこの世界に名を轟かせる王国の英雄だ。

 その立場上王家住まう王城のある王都を離れることは想像できないが、これまで国を襲ってきた数々の危機をその剣の下打ち払ってきた。

 

 誰もが知る、誰もが認める英雄。

 民から絶大な信頼を得る騎士。

 王の剣にして盾。

 

 アリアはそんな天上人の様な父の跡を継ぎ、彼と同じかあるいはそれ以上の期待に応えねばならない。

 

 だから彼女はまず誰よりも父に認めてもらいたかった。

 自分の力を証明したかった。

 

 そうして此処へ行くことを宣言し許しを得た今日、彼女は初めて己が成長しているんだと実感できた気がしたのだ。

 

 そんな彼女にとって今日の出来事は今までの人生の中でもこれからの人生の中でも大きな意味を持つことだろう。

 

 

「そろそろ到着いたします。」

 

 

 自身を呼ぶ御者の声に応えるように彼女は腰に佩いた剣の柄を握り締める。

 

 しばらくすると馬車が止まり扉が開かれた。

 

 

「足下、お気をつけ下さいませ。」

 

「うん…よっ、と。」

 

 

 ゆっくりと馬車を降りた彼女は己の目の前に広がる昏い森を視界に入れる。

 

 

「…」

 

「参りましょう。」

 

「…うん。」

 

 

 そうして彼女は足を踏み出した。

 

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