第5話

広場を抜けると、小さい商店が立ち並ぶ市場通りが始まる。年季の入った石レンガ造りの壁に蔦やバラが絡まって茂り、さわさわと風に揺れている。

花屋、雑貨店、八百屋…いい匂いが漂うパン屋に、あの棚に並ぶ怪しげな瓶やハーブが吊るされた店は薬…いやポーション屋かもしれない。物珍し気に店頭を眺めながら歩いていると、ようやく目的の場所に着いた。

市場通りの路地を入った突き当り、バラのアーチをくぐり抜けた先に秘密基地のようにその宿屋はあった。エモすぎる外観に私の期待はうなぎ登りである。

服屋の店主さん、ここをオススメしてくれてありがとうございます!圧倒的感謝!!

軒先の看板には三日月に黒猫。2階建てのやや大きめの建物で、手入れの行き届いているのがわかる。

「ここですね。」

リオが、先だって扉の取手に手をかける。扉を引くとチリリンと小さく鐘が鳴った、と思った次の瞬間、リオは勢い良く扉を閉めた。

「えっ?」

何があったのかと彼の顔を見ると、驚いた様な困惑した様な表情で、私と目が合うやいなや何か言おうと口を開いた。…のだが、それよりも早く、今閉めたはずの扉がバーンと開いて、デカ目の何かが飛び出してきた。

「ちょっとちょっと、閉めることないじゃなーい!」

「?!」

リオが私を庇うように前に立ち、少しずつ後ずさりながら飛び出してきた何かとの間合いを取る。緊迫した雰囲気を感じながら、リオの影から『何か』の正体を見ようと覗いてみると…

「あらぁ、カワイイお客さん!『月夜の黒猫亭』へようこそ!」

はち切れんばかりに盛り上がった筋肉、ピッチピチのチューブドレスを着こなすしなやかな動き、バッッチリメイクに燃えるような赤毛をアップでまとめたヘアスタイル、低音なのにテンションの高い声音…

(お…オネェキャラだーー!!)

宿屋『月夜の黒猫亭』から出てきたのは、分かりやすくムキムキなオネェさんだった。二次元作品で慣れている私とは違って、初見のリオは脳が処理に追い付かないのか若干混乱している様子…いや、無理もない。

オネェさんはしなやかかつ、俊敏な動きでリオに近づくと、ふむふむと全身を(特に顔面を)見てウフンと笑った。ついでに私の事もチラッと見た。

「あんたたちお客さんでしょ?アタシ、店主のバーバラよ。」

バーバラ…?いや、確か服屋の店主さんから聞いていた名前はもう少し違った気がするが…

「あの…『月夜の黒猫亭』のバルバドスさんって聞いてきたんですけど」

私が恐る恐る尋ねると、オネェさんはオホホと笑いながら腕をブンブン振った。その風圧でリオの黒髪がそよそよと揺れる。

「やっっだ〜〜!バルバドスなんてゴッツい名前言わないでよぅ!バーバラって呼・ん・で♡」

アッ、なるほど源氏名でしたか…

じゃあ、ここは紹介された宿屋で間違いなさそうだ。私達は再び顔を見合わせると、どちらともなく吹き出して笑った。


なにはともあれ、この『月夜の黒猫亭』がこれからの数日間の拠点になるのだ。それにしても、さっきのリオの慌てた表情…ちょっといつもと違う感じで面白かったな~等と思ってしまう私だった。




 数時間後の夕暮れ時、ウィトの街より南に位置する街道の宿場町『ベラ』。それ程大きくないこの町は、王城からの商隊と聖女様の到着に沸いていた。町のそこかしこに夜を照らす提灯が吊るされ、大人もこどもも楽しそうに笑いながら飲めや歌えの大騒ぎ。そんな様子を町で一番の宿屋の一番いい部屋のテラスからぼんやり眺めている人影が一つ。

「…はぁー…みんな元気よね~…」

彼女は頬杖をつきながら、皿に盛られたフルーツを口に放り込んだ。

「聖女様、お行儀が悪いですよ」

と、部屋の中から声。振り返ると、緩くウェーブした金髪に端正な顔立ちの男性がワインボトルとグラスを持って歩いてきている。

「あッ、テオドール様ぁ~」

その姿を視界に入れた途端、聖女と呼ばれた女性は姿勢を正し、テヘッと笑った。彼女は上原砂央里うえはら さおり、異世界から召喚されてこの世界ラディネルにやって来た『聖女』。国の中枢である王城から巡礼の旅で各地を廻っている。

そして、彼は聖女の護衛騎士隊長を務めているテオドール・フィンレイ。整った顔立ちとストイックな性格、それに見合った揺るがない強さから王城でも女性ファンが多くいる。いわゆる『王道堅物騎士』というやつだ。

砂央里はテオドールの持ってきたグラスを受け取ると嬉しそうに口をつける。テオドールはそれを見ながら言った。

「ここからは町の者に見られてしまいますので、休まれるのであればお部屋にお戻り下さい。」

「え〜でもぉ、テオドール様ともっと一緒に居たいしぃ…どうしよっかな?」

コテンと首を傾げて上目遣いで見てくる砂央里を、彼は一瞥するとコホンと咳払いをした。

「…それでは、聖女様のお役目と明日からのご予定をおさらいしましょう。」

その言葉を聞いて、砂央里はゲッと眉をひそめた。もちろん、彼に気付かれぬように。

「良いですか、聖女様。神殿の司祭殿との学習を覚えていますか?この世界には精霊の存在があること。そして精霊と契約して彼等の力を引き出し、使う事が『魔法』と呼ばれること。」

すると、砂央里も神殿の司祭の口調を真似てそれに続く。

「聖女様はこの国の各地を訪れて、精霊と対話し契約して来るのですじゃ。そして溜まった瘴気を浄化し、魔物が発生するのを防ぐ。それが精霊に愛される聖女様のお役目ですぞ~?」

「…フッ…」

テオドールは、若干似ているモノマネに不覚にも少し笑ってしまった。それを砂央里が見逃す訳もなく、彼女はすかさずツッコミを入れてくる。

「あ~テオドール様、笑ったぁ!カ〜ワ〜イ〜イ〜」

「ゴホン!」

「ぴゃっ」

強めの咳払いをして、強引に砂央里を黙らすとテオドールは少し突き放すように言った。

「明日はこの先の街『ウィト』に向けて出発します。報告では、ウィト周辺の農作物の生育に著しい遅れがあるそうです。何かしら原因があると見て良いでしょう。しっかりとお休みになられて、明日に備えてください。」

「ふぇ~ん、大変そう…」

「でしたら、しっかりとお休みください。」

そう言うとテオドールは一礼して彼女の側を離れた。砂央里は部屋を出ていく彼の背中を切なそうに見つめていたが、やがてその姿が扉の向こうに消えると、ため息をついた。

「はーあ…、なかなかテオの好感度上がんないなぁ~。ま、でも?このキャラならこのくらいガードが堅くないと、攻略しがいが無いっていうか?」

そして、勢い良くグラスのワインを飲み干すと、夜空に向かってグラスを掲げた。

「絶対、全員攻略してやるんだから!」

夜空には、元の世界より大きな月が明るく輝いている。

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