第3話 世界の運命を左右する
エインの放つ静かな威圧感に、学生たちが圧倒されていたところで、終業のベルが鳴り響いた。
「ちょうど時間になりました。今日の講義はここまでです。次回は実際の数式を交えてより詳しく光量子仮説を紐解いていきます。みなさん、復習を怠らないように」
エインは教卓に広げていた講義資料を片付け始め、学生たちもノートや筆記用具を片付け、三々五々講義室から出ていく。
板書を写している学生がいなくなっていることを確認し、エインは黒板消しで板書を消していく。
と、そこで、横から声をかけられた。
「ごきげんよう。エイン・アルブライト教授」
声の方に視線を向けると、講義室の出入り口に、中年の紳士が立っていた。
ネイビーブルーのスーツに身を包み、アイボリーの中折れ帽を目深に被っている。
顔はほっそりとしており、左眼を囲むように大きな火傷の跡があった。
「またですか……Mr.トールマン」
男――Mr.トールマンの姿を見て、エインはうんざりといった顔でため息をついた。
「お忙しいところ大変恐縮です」
「本当にそうお思いであれば、諦めて頂けると幸いなのですが」
黒板消しを動かすエインの手には、露骨にいら立ちがにじみ出ていた。
「残念ながら、それできるほどことが小さくありません」
そんなエインの様子を気にする素振りを一切見せず、トールマンは話を続けた。
「盗聴を避けるために、いつものように外でお話しましょう」
黒板をきれいにしたあと、エインはトールマンとともに、渋々大学の中庭に出た。
「改めて申し上げます。エイン・アルブライト教授。我々に協力を」
「このお話、もう何度目でしょうね……」
あてもなく中庭を歩き回りながら、エインはまたため息をつく。
「その回数がいくつかは無意味です。あなたが首を縦に振るまで我々は何度でも来るのですから」
「確かに、回数がいくつかは無意味ですね。何度来られても私は首を縦に振らないのですから」
このセリフすらももう何度も繰り返している。
そして、話はいつも平行線のまま終わるのだ。
「アルブライト教授、ことは世界の命運を大きく左右します」
「左右するのではなく、左右したのです」
エインの口調はそれまでより強くなった。
「貴方がたもすでにご存知でしょう? “アレ”が生み出されたことによって“
エインは強い意志のこもった目でトールマンを睨み、力強く言い放つ。
「私はこの世界に、“彼の世界”と同じ運命を辿らせたくありません。お引き取りを」
トールマンを追い返したあと、エインは手荷物をまとめて大学を出た。
正門を出てすぐ右に曲がり、石畳の歩道をしばらく歩いていると、見慣れた車が路肩に停められているのを見つける。
ボネットに一人の男が腰かけ、煙草と思しき白いスティックを口にくわえている。
が、先端に火はついていない。
「遅かったじゃないか?」
男はそう言って、スティックを手に持って口から出した。
スティックは先端に球状の飴がついたスティックキャンディーだった。
男は赤い髪で、重々しい黒いコートを着ていた。
エインの研究パートナー――エディ・トンプソンである。
「すみません、招かざる客の対応に時間を取られました」
エディは運転席に、エインは助手席に乗り込み、車は走り出した。
二人を乗せた車は、首都ユグノーヴァのメインストリートを突っ切り、郊外に向けて走っていく。
「また、国防研究委員会か……」
「ええ、彼らはどうしても“アレ”をこの世界に生み出したいようです」
「この世界に生み出したいんじゃなくて、自分達が手に入れたい、だろう? もし、他の国、特にゲルムラントなんかに先を越されたりしたら、連中じゃなくてもぞっとする」
彼らが住むこの国の名はアルメビアと言い、建国百数十年ほどの新興の民主国家である。
対してゲルムラントは元は帝政だったが、革命を繰り返し、現在は軍事政権の独裁国家となっており、現在この世界で最も好戦的と目される国家である。
エディの意味するところは、危険な国に強大な力を持たせるくらいだったら、自分たちが先に手に入れてしまおうというこの国の政府の考えも、理解できなくはないということだった。
だが、エインはその考えに強く反発した。
「だから、自分たちが先に持つべきだと言うんですか? その結果“彼の世界”がどうなっていったか、あなたにも何度も話して聞かせたでしょう!?」
語気を荒げるエインに、エディは「やべ、めんどくさい地雷を踏んじまった」という顔する。
「あー、わかった、わかった、禁句だった。そもそも俺の領分じゃない。俺は口は挟まない。お前の信じたようにすればいいさ」
エディがそう言ってフォローを入れたが、エインは不機嫌なままフロントドアに頬杖をついて明後日の方を向いてしまった。
そんなエインの様子をさして気にせず、エディは進行方向を睨んでニヤリと笑う。
「それに、俺達には他にやるべきことがある」
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