第2話 エイン・アルブライト
カッ、カッ、カッ、カッ、カッ、カッ……
歴史を感じさせる古めかしくも広い講義室に、チョークの黒板を打つ音が響いている。
音の奏者は、20代後半の青年。
ブラウンの少し長めの髪を丁寧に整えており、ベージュのスタイリッシュなスーツに身を包んでいる。
顔立ちはとても理知的で、その目は世界の全てを見通そうとしているかのような思慮深さが窺えた。
彼が黒板に書きだしている文字は、まるで音楽の譜面のように規則正しく一直線に並んでいた。
・限界振動数ν0≧振動数νのとき、どんなに光の振幅を大きくしても光電効果は起こらない。
・限界振動数ν0≦振動数νのとき、どんなに光の振幅を小さくしても光電効果は起こる。
・飛び出す電子の運動エネルギーの最大値は光の振幅によらず、振動数で決まる。
そこまで書き終わったところでチョークを置き、青年は振り返った。
階段状の席には100人近い学生が座っており、彼の書き出した文字を一心不乱に書き写している。
「これが光電効果の実験結果の概要です。今日は理解を優先し、かなり噛み砕いた表現にしています」
几帳面そうな角ばった文字とは対照的に、柔らかく親しみやすい声で彼はそう言った。
「光は
彼は再びチョークを手に取り、黒板に文字を書き込む。
振動数:粒子一つあたりのエネルギー量
振幅:粒子の数
「この考え方を元に先ほどの光電効果の実験結果を解釈するとこのようになります」
喋りながらさらに文字を書き連ねる。
・弱いエネルギーの光子を集めても光電効果は起こらない。
・強いエネルギーの光子を減らしても光電効果は起こる。
・光子の数によらず1個あたりのエネルギーで決まる。
「ここまでの話を一度要約しましょう」
黒板は上下スライド式になっており、彼は今まで文字を書き込んでいた黒板を上に押し上げ、入れ替わりに下りてきた黒板に新たな文章を書き込む。
・光は波の性質と粒子の性質の両方を持っている。
・光電効果とは光子が電子に衝突し、光子のエネルギーを電子に分け与えることによって起こる現象である。
・光電効果が起こるかどうかは、光子の数によらず光子1個あたりのエネルギーで決まる。
彼はチョークを置き、再び学生たちに向き直った。
「今日の話で最も重要なことは、光が粒子の性質をもつということ。つまり、光量子仮説です。なぜ、重要かというと、この光量子仮説が量子力学を考える基礎となるからです」
そこで一人の学生が手を上げる。
「エイン先生、質問よろしいでしょうか?」
「どうぞ」
「光が波でもあり、粒子でもあるという性質は、“魔法”の光にも当てはまるのでしょうか?」
その学生の質問に他の学生たちがざわついた。
彼――エイン・アルブライトにとって、魔法の話が地雷だというのは学内で有名だった。
あるとき、講義中に魔法に絡んだ質問をした生徒を自室に呼び出し、数時間にわたって、「魔法のこういう点について君はどう考える?」「魔法の発動原理を君はどう考えている?」「そもそも得体のしれない現象をひとくくりに魔法と呼んでいるが、そもそも魔法の定義とはなんだ?」と執拗なまでに質問攻めにし、その生徒は泣きながら帰ってきたという。
講義室全体の空気がぴりついているのを、当のエイン自身も肌で感じ取っていた。
すっかり悪いイメージが定着してしまったな、と少し反省しながら、エインは質問に答えた。
「みなさんもご存知かと思いますが、私は魔法に関しては少し苦手意識を持っています。光量子仮説は魔法の光にもおそらくは当てはまるのではないかと私も思っていますが、魔法には既存の科学と矛盾する部分が多数あります。魔法は少なくとも“質量保存の法則”や“エネルギー保存の法則”を超越した現象を起こしていますからね。そのあたりが私の苦手意識の原因でもあるわけですが……もしかすると、魔法による光は全く別の性質を持っている可能性もあります」
その回答が意外であったため、学生たちはさらにざわついた。
学内でエインは反魔法論者であるとばかり思われていたからだ。
ざわつく学生たちをエインは右手をあげて制した。
「ですが、既存の科学で説明できない魔法の裏側にも、必ず解析できる法則や理論が存在するはずです。なぜならば……」
世界の全てを見通そうとしているかのような深淵の目で学生たちを見渡し、エイン・アルブライトはその言葉を発した。
「“神はサイコロを振らない”」
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