第35話 夢の最後まで⑥

 一直線に、ヒカゲが目にもとまらぬ速さで突撃し、僕に必殺の一撃を打ち込む。


「っく……」


 それを辛うじて杖で受け止めれば、遅れて風切り音がやってくる。


「現実離れした動きをしてくるなよ……!」


 普通に考えれば、男である僕の方が力は強い。


 だけど、ここは現実じゃない。現に、僕は明らかにヒカゲに力負けして押されている。


「司さんの意思はこの程度ですか!」

「僕は近接戦闘タイプじゃないんだよ!」


 押される力を利用して後方に回避。


 後ろに飛んだ僕の身のこなしもまた、現実離れした動きだ。


 そもそも、初撃を受け止められた時点で僕の感覚も相当に研ぎ澄まされている。


 僕の戦闘スタイルは賢者の職を与えられただけあって、ほぼ魔法一辺倒。


 近接戦闘を主とするヒカゲとの相性は圧倒的に悪い。


「聖なる焔よ……」

「遅いです!」


 魔法の詠唱をしている最中にヒカゲの攻撃を受ける。


 それの繰り返しで、僕は防戦一方になっていた。


「っ……詠唱中は攻撃しちゃいけないのはお約束だろ!」


 ターン制バトルのゲームだったらクレームどころの騒ぎじゃない。


「それだけ私も負けられないんです!」


 どうする? 僕にできるのは魔法だけだ。それを邪魔されては攻撃の手段がない。


 ここでは僕よりヒカゲの方が力強い。このままじゃジリ貧で僕が押され続けるだけだ。


「私は司さんに勝って、自分の選択が間違ってないと証明するんです!」


 再びのつばぜり合い。ヒカゲは鬼気迫る表情で僕を打ち倒そうとしてくる。


「どうしてこの世界にこだわる? この世界の何がいいんだ!」

「この世界がいいんじゃないです! 私はただ、現実が嫌なだけです!」

「どうして! 学校に行きたいって気持ちは嘘だったのか!」

「嘘じゃないから、辛いんですよ!」

「なにが辛いんだ! 言ってくれないとわからないだろ!」

「司さんに言ってもわからないですよ! 強い司さんに弱い人の気持ちは!」

「ぐっ……」


 くそ……なんなんだよちくしょう。


 僕が強いだと? そんなことない。僕は強くない。強くありたいだけだ。


 たった一人を守れる力が欲しかった。包み込める優しさが欲しかった。


 気持ちがわからない? 当たり前だ。僕はエスパーじゃない。


 綾乃は僕に言った。ちゃんと本音でぶつかれと。


 僕は……ちゃんと想いを伝えたはずだ。ヒカゲの選択は間違ってるって、こんなの間違ってるって、僕の言葉で伝えたはずだ。でも、届かない。あとは何が足りない?


『そんなの全然本音じゃないからだよ』


 ふと、脳内に綾乃の言葉が響き渡る。幻聴?


『まだ、タカ君は曝け出してない。心の奥底にある魂の言葉を』


 魂の言葉?


『正論は正しいけど、正しくはない。最後に人の心に響くのは、感情だよ』


 感情……。


『タカ君、本当は私に言ってやりたいことたくさんあるでしょ? そういうの全部、ぶちまけなよ』


 まるで本当に会話をしているように、綾乃の言葉が脳に響き続ける。


 知った口を聞いて。言ってやりたいこと? あるに決まっている。ありまくるに決まっているだろ。


『いつまで心に蓋をしているの? 相手を思いやるだけじゃ、届かないって言ったよね?』


 その時、僕の中で何かが切れた。


「ああもう! どいつもこいつも……好きなことばかり言いやがって!」


 瞬間、何も詠唱していないのに燃え盛る爆炎がヒカゲを襲う。


「っ!」


 咄嗟に距離を取ってそれを回避するヒカゲ。


 なんだ……僕もやればできるじゃないか。


 この世界は創造主の意思によってすべてが創られる世界。そう思っていた。


 でもそれは違う。僕はさっき、自分の意思で世界の壁をぶち壊した。そう、僕の意思で。


 つまり、この世界では、僕は僕の意思を力に変えることができる。


 魔法は詠唱して使うもの。そんなものはゲームの常識であってここの常識ではない。


 僕ができると思えば、それはここでの常識になる。


「ここに来て成長するとか……やはり司さんはラスボスにふさわしいですね」


 どうしてこの状況でお前は笑う? どうして楽しそうにする?


「ったく……なんなんだよお前たちは……」


 わかった。わかったよ。


 もう気にしない。ヒカゲのこととか、綾乃のこととか。今は全部いい。


 髪の毛を無造作に搔きむしり、僕は深淵の扉を開く。


「人の気持ちがわからない? じゃあ、お前たちはどうだって言うんだ?」

「たち? 何を言ってるんですか?」

「一人で勝手に夢の世界に浸って、僕のことはどうでもいいって言うのかよ!」


 感情のままに杖を振れば、無数の氷刃が無造作に目標へ襲い掛かる。


「なんでもできる夢の世界? 自分の知ってることしかできない世界の何がいい!」

「自分の理想がそこにあるんですよ!」

「だとして! ここには未来がない! ここにあるのは時が止まった仮初の理想だけだ!」


 荒れ狂う風が、唸るような地響きが、僕の感情に呼応して発動する。


「それでも! ここにしかないものがあるんです!」


 ヒカゲはそれらの魔法を斬り伏せる。


「それで現実を全部捨てるっていうのか! 自分の未来があとどれくらいあると思ってるんだ!」

「未来を見たくないからここにいるんです! 私はつらい明日なんていらない! 理想の今があればいいんです!」

「ふざけるな! そんなことで現実を捨てるなよ!」


 剣戟が、魔法が、地面や壁を抉り取っていく。


 痛みのない世界において、これは茶番に見えるかもしれない。


 関係ない。これは、感情のぶつかり合い。不思議な世界における喧嘩なんだ。


「じゃあ司さんは! 辛くても逃げるなって言いたいんですか!」

「そうは言わない! 辛いときは逃げたっていい!」

「じゃあどうして私を否定するんですか! その答えは矛盾してます!」

「逃げ続けちゃダメなんだよ!」

「っ!」


 僕の魔法が、初めてヒカゲの剣を弾く。


 この機を逃さず、僕はひたすらに魔法を放ち続ける。


「僕じゃ足りなかったか! 僕だけじゃ現実を選ぶ理由にならなかったか!」

「くっ……」

「そばにいてくれるだけでよかった! 辛いことから逃げても、ただそこにいてくれるだけでよかったんだ! 僕は!」


 それは、ヒカゲに向けているようで、ここにはいない誰かに向けての言葉。


 現実が嫌になったって、夢の世界で一生を過ごす選択なんて選ばないでほしかった。


 学校なんて行かなくてもいい。辛いことから逃げたっていい。


 僕の近くで生きていてくれれば、それ以上は望んでいなかった。


「何を言ってるのかわかりませんよ!」

「行きたいところがたくさんあった! 二人で見たい景色がたくさんあった!」


 変わらない街並み。現実のようでどこか違和感を覚える景観の数々。


 夢は所詮記憶の整理。自分の想像が形になるだけ。星の輝きも、潮風の匂いも、似ているようでどこか嘘くさかった。所詮は自分の想像に着色しているだけだから。


「その未来を全部捨てるほど、この世界に価値なんてない!」

「それを決めるのは司さんじゃない!」

「ああ! だから、こんな世界より僕を選べよ! 僕との現実を選べよ!」

「っ!」


 魔法を発動しながら、僕は全速力で加速してヒカゲに突進する。


「僕と遊んだ現実はつまらなかったか! 退屈だったか!」

「そ、そんなことはっ……!」

「僕は楽しかった! 夢でも現実でも、ヒカゲと過ごす日々は楽しかったんだ!」


 初めは使命感の方が強かったと思う。また綾乃みたいに夢の世界に閉じ込めさせるわけにはいかないって。だから何とかしようって。


 でも、ヒカゲと一緒にいるうちに、使命感ではなく、僕の意思でヒカゲを助けたいと思うようになっていた。いつからかわからない。気づいたらそうなっていた。


 この子と一緒に学校生活を送ったら、きっと楽しいだろうなって。


 だから助けたかった。夢の世界に囚われて欲しくなかった。


「ヒカゲは違うのか!」


 なのに、ヒカゲは自分の意思で夢の世界に閉じこもった。


 僕と過ごした現実を、あっさりと捨ててしまった。


「初めてのオフ会も! 夜に遊んだゲームセンターも! 学校に忍び込んだのだって! 僕は! 全部楽しかったんだぞ!」

「そんなの……私だって!」

「なら選べよ! 僕を! 僕にはこんなくそったれな世界より価値はないっていうのか! 僕との時間は、その程度のものだったのかよ!」


 ヒカゲの懐に飛び込む。


 剣と杖が激しい音を立ててぶつかり合う。


 もう、僕が押されることはない。僕の意思が力になる。


「一人で勝手に……現実を諦めるなよ!」

「あ……」


 杖に弾かれた剣が宙を舞い、乾いた金属音が部屋に響く。


「じゃないと……僕が寂しいだろ……」


 ヒカゲの喉元に、僕は自分の杖を突きたてた。


「僕を……一人にしないでくれよ……」


 これが……僕の本音だ。

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