第32話 夢の最後まで③

「タカ君だけが足りなかった。前に、私の思うタカ君を創ってみたんだけどさ、やっぱまがいものじゃ本物には勝てないんだよね」


 淡々と、綾乃はとんでもないことを言う。


「私の理想の答えしか言ってくれないタカ君には何の魅力もなかった。だから本物が欲しいなって思ってたら、本当に来てくれた」

「じゃあ、僕が綾乃の世界に来たのは綾乃が現実の僕を求めたから?」

「そうだね」


 夢の世界でなんでもできるのはわかる。でも、僕をこの世界に呼びつけるなら現実の僕に干渉しなきゃいけない。そんなことできるのか?


 いや、実際にできているから否定のしようもないのか。


 現実の僕と、夢の僕は切り離して考えればいいんだろうか。まぁ、考えても仕方ない。


「本物のタカ君が来てくれたから、私はなんの未練もなく現実を捨てられた」

「……僕が最後の後押しをしたのか」

「だから違うって。私が選んだの! タカ君は一方的な被害者だよ!」

「綾乃の両親はどうなる? それも捨てたって言うのか?」

「うん。そうだよ」

「っ……」


 本当になんの未練もなく、綾乃は軽い調子で言い切った。


 なんで……そんな簡単に言える? 僕は、ベッドで眠る綾乃に縋りついていて泣いている二人を見てきた。愛されてないならまだその言葉に納得できる要素はある。でも、綾乃は愛されていたんだ。それは間違いない。


「だって、私がいじめられているのに気づかないんだもん。おかしいよね。体操服とかボロボロになってたり、ノートがぐちゃぐちゃになったりしてたのにね」


 そんなことが……僕の知らなかったことだ。


「自分の娘がいじめられてるって信じたくなかったのかな? ま、もうどうでもいいけど」

「でも……病院で泣いてたんだぞ?」

「私は家で泣いてたよ?」

「っ……」

「後悔先に立たずって言葉はあるけどさ、でも……遅いよ」


 何も言い返せなかった。本当に、綾乃は現実世界に絶望してしまったんだ。


 いじめられっ子を助けた自分を異分子とする世界そのものに。


 僕は……そんな綾乃の絶望を全然知らなかった。


「私と……それにヒカゲちゃんも自分の意思でこの世界で生きることを選んだんだよ。だから、タカ君は自分を責めないで。私、タカ君の辛そうな顔は見たくないよ」

「……」


 自分で選んだから僕は悪くない。


 言い換えれば、やはり僕ではどうしようもできない現実を突きつけられただけだ。


「だから、もう一個隠していたことを教えてあげる」

「次はどんな酷いことを教えてくれるんだ?」

「えっとね、この世界の終わらせ方」

「……は?」


 また、綾乃は簡単にとんでもないことを言う。


「うう……そんな怖い顔で睨まないでよ……」


 この世界の終わらせ方、僕がずっと探していたそれ。綾乃はずっと知っていたのか。


 まぁ、納得できる部分は大きい。綾乃はこの世界を熟知している。それなら当然、世界の終わらせ方を知っていてもおかしくはない。


 今まで知らないフリをしていたのも、この世界に留まりたい綾乃からすれば当然だな。


 でも、どうして今になって急に教えてくれる気になったんだ?


「なんで今になって……と思ってるね?」

「思ってる」

「飴をあげないと、タカ君が壊れちゃいそうだから」

「ちょっと鞭が強すぎてそろそろ死にそうだったよ」

「あとは、タカ君に気を遣われ過ぎるのもそろそろしんどいなって私が思ったから」


 たぶん、こっちが本音かな。


「それで、どうしたらこの世界を終わらせることができるんだ?」

「私たちが、自分の意思で夢より現実を選べばいいんだよ」

「……」

「ここは意思の世界。この世界より現実を選べば、その意思は尊重されるってわけ」


 簡単そうに言ってくるけど、難易度としては相当なものだった。


 どちらの世界で生きるのか。綾乃の話によれば、その選択権は世界の創造主、つまり綾乃かヒカゲに委ねられている。そして、二人はこの世界を選んだ。


 夢と現実。それを一度天秤にかけて答えを出した人が、はたしてその天秤を逆にできるのだろうか。


「綾乃にその意思はないんだろ?」

「……そうだね」


 僕は歯をギュッと噛み締めた。


「でも、ヒカゲちゃんはそうとは決まってない」

「……ヒカゲだって自分で選んだんだろ?」

「けど、まだ未練はあるんじゃない?」

「どうしてそう思う?」

「なんとなく。女の勘」


 どうにもあてにしていいのかわからないレベルのものだ。


「それに……仮にそうだとしても、僕はもうヒカゲには会えない」

「なんで?」

「僕はヒカゲに拒絶されたからだよ」


 ヒカゲのことを想いながら寝ても、ヒカゲの世界に入れないこと。ヒカゲがあの日僕に言ったことを綾乃に説明した。世界を閉じて、誰の干渉もできなくすることを。


「なら、尚更チャンスあるんじゃない?」


 綾乃の答えは僕が予想していないものだった。


 チャンス? 今の話のどこにそんな要素があったのか。行こうにも行けないから詰んでいるって話だったけど。


「タカ君を拒絶するってのは、逆に言えばタカ君に会うと決心が揺らぐからとも言えるよね」

「さりげなく自分は絶対に揺らがないアピールはやめてくれ」


 もう僕のメンタルポイントは限りなく底に近いんだ。これ以上攻撃しないでほしい。


「だとしても、会いに行く手段がない」

「ノンノン。タカ君はこの世界をわかってないねぇ」


 綾乃は小馬鹿にするよう人差し指を横に振った。少し、イラっとする。


「言ったでしょ。ここは意思の世界だって」


 綾乃はその人差し指を、今度は僕の胸に当てる。


「拒絶されたなら、それを上回る意思で突き破ればいいんだよ」

「無茶苦茶な……」

「こういうのは、想いの強い方が勝つって相場が決まってるのさ」


 どんな相場だよ。


「タカ君に足りないのは、それだよ」

「それじゃわからない」

「本音。心の底から思ってる本音をぶつければきっと行けるよ」


 どこか含みを感じさせる言い方。


「まるで僕が普段は本音を言ってないみたいだな?」

「違うの?」

「……」

「タカ君はなんだかんだ優しいから、いつも相手を思いやる言葉を選んでる」

「思いやりは大切だからな」

「でもそれだけじゃ、届かないものもあるよ」


 ハッキリと、綾乃は言い放つ。


「たまにはさ、心の奥底にある本音をちゃんと言わなきゃダメだよ」

「僕の本音……」

「それができれば、きっと大丈夫」


 そう言って、綾乃は僕の手に何かを握らせた。


 とても柔らかい小さな巾着袋。お守りだった。


「これは……?」

「タカ君を愛する幼馴染からの贈り物。いざという時、きっとタカ君を助けてくれる、はず」

「この夢から覚めたら消えるんじゃないのか?」


 それに、この夢でもらったものをヒカゲの世界に持ち込めるんだろうか?


「愛の力は無限大だとなぜ気づかぬか……残念だよ」


 わざとらしく肩を竦めてみせる綾乃。


 効能はともかく、僕はそれをズボンのポケットにしまった。


 違う服の時、ちゃんとお守りは残っているんだろうか。


「迷う心を持つ人と、迷わない心を持つ人、強いのはどっちかなんて、そんなの決まってるよね」


 トン、と綾乃は僕の胸を叩いた。


「ウジウジした姿なんて似合わないんだから、さっさと立ち直ってよ。私は、いつもの飄々としてるタカ君が好きなんだけどな」

「どうして、僕は僕の心を折ってきた張本人に慰められているんだろうな」


 それがおかしくて、思わず笑みが零れてしまう。


「でも、そうだな……まだ僕にできることがあるなら、立ち止まってる場合じゃないか」

「そうそう。それでこそタカ君だ。あとはもう少し情熱があれば完ぺき」


 それ、青井にも言われたな。


「とは言え、ヒカゲは最後に僕を無理やり夢の世界から追い出した。仮にヒカゲの世界に飛び込めたとしても、あれをやられたら太刀打ちできない」

「なら、対策してから行けばいいんじゃない?」

「対策? そんなのあるのか?」

「あるでしょ。だって、ここは夢の世界だよ?」

「だからなんだよ?」

「この世界から追い出されると、現実世界の自分が目を覚ます。なら、現実世界でそう簡単に目が覚めない状況になれば、その技は無効化できる可能性が大きい」

「無茶苦茶な……」


 すごいことを言ってくれる。


 現実世界でそう簡単に目が覚めない。ただ寝るんじゃなくて、起きたくても起きられない状況を作るってことだろ? 気絶とかそんなやつ。


 ヒカゲを想いながら気絶。車に轢かれるとか? だいぶ死にそうな気がするし、当たり屋もいいとこだ。よそに迷惑をかけすぎる。


 じゃあ、死なないレベルで簡単に目が覚めない気絶って、どうするんだよ。


「でも、対策って言ったらそれしかないかぁ」


 綾乃の言ってることは納得できる。


 何があっても目が覚めない状態を作れば、意識を無理やり現実に戻される心配はない。だって、起きなければ意識は夢に残ったままなんだから。


 どう考えても、対策はそれしかなかった。


「もしそれで死んじゃったら、一緒にこの世界で愛を深めようね」

「僕としては、死なない方にベットしてほしいんだけど」


 見つめ合い、僕たちは笑いあった。久しぶりの感覚だった。


 思えばずっと、僕はこの世界でちゃんと笑っていなかったような気がする。


「とりあえず、やれるだけやってみるよ」

「失敗しても、私が慰めてあげるから安心してね」

「そうならないように頑張るよ」


 そうして、僕は確かな決意をもって綾乃の世界を後にした。

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