第31話 夢の最後まで②
その日はどうやって寝たのか覚えていない。
ただヒカゲのことを思い浮かべながら寝たことだけは覚えていて、それでもヒカゲの世界に行くことはできなかった。ずっと広がる闇の世界を歩き続けた。ヒカゲの世界は、そこにはなかった。
次の日。僕は体調不良を理由に学校を休んだ。
青井から心配の連絡が来たから、ヒカゲから熱を移されたことにした。
なにもする気になれず、一日中グダグダして過ごす。
そして夜。僕は久しぶりに綾乃の世界へ顔を出すことにした。
いつも通り、綾乃は僕を笑顔で迎え入れる。その変わらない笑顔に少しだけ救われる。
「やあやあタカ君。今日は来るのが遅いね。もしかして夜?」
「よくわかったな」
「経験から来る予測ってやつだね。やっと私を構う気になったか!」
「そうか」
「……なにかあった?」
心配そうに、綾乃は僕の顔を覗き込む。
「どうして?」
「いつにもまして元気がないから。あと顔が死んでる。生気を感じない」
「そこまで言われるのか……」
「そこまでの顔をしてるからね。本当になにかあった?」
「……ヒカゲが綾乃と同じ状態になった」
取り繕う必要もないので、素直に報告した。
「へ……」
綾乃が驚いたように目を見開く。
綾乃にはずっと近況報告をしていたし、夜に学校で遊んだことも伝えている。
だから突然のことに驚くのも無理はない。
「そっか……大丈夫?」
「大丈夫に見えるか? また一人夢の世界に囚われたんだぞ?」
「私が言いたいのはタカ君の方だよ」
「僕?」
「タカ君、どうせ責任感じちゃってたりするでしょ」
「当たり前だろ。僕はまた助けられなかったんだぞ」
「タカ君……」
「学校に行きたいって……ヒカゲの日記に書いてあったんだよ」
震える文字で、大きく書かれていた。
それなのに、彼女は夢の世界に閉じ込められた。
「どうして、この世界は現実と向き合おうとする人まで無理やり閉じ込めるんだ……」
一度世界を創ってしまったら、もうあとは時間の問題だって言いたいのか?
自分の好きにできる世界を創る代償が、夢の世界への永住だって言うなら、それはあんまりだろ。立ち上がろうとしたその意志さえ踏みにじるって言うのか。
「僕が……僕が今までしてきたことは何だったんだよ……」
この世界は、どうしてこうも残酷なんだ。
覚めない夢を永遠に見続けさせて、なんになるって言うんだよ。
「タカ君……」
綾乃が僕の頬を両手で優しく包み込む。
「……ワンダーランドは意思の世界。前に私が説明したのは覚えてる?」
「もちろん。僕が誰のワンダーランドへ行くか選ぶのも、その意思が関わってるんだろ?」
でも、どうして今その話をするんだろうか。
「うん。この世界に起こる結果はね、必ず私たちの意思によって決められるの」
「珍しく回りくどい言い方をするんだな。何が言いたい?」
いつもの綾乃なら、もっとこうスパッと結論を言いそうな気がする。
「あはは……タカ君鋭いね」
綾乃は僕の指摘に苦笑い。
「だてに幼馴染やってないからな」
「そろそろ私も腹を括るときが来たってわけか……」
「……綾乃?」
聞こえないくらいぼそぼそとした声に、僕は聞き返す。
「これ以上タカ君の苦しむ顔は見たくないしね」
僕の頬から手を離して、綾乃は大きく深呼吸をした。
「タカ君はさ、ひとつ大きな勘違いをしているよ」
「勘違い?」
「いや、正確にはある一点を意図的に考えないようにしている、が正しいかな」
「なにを?」
「タカ君は、どうして私たちが夢の世界に閉じ込められた被害者だと思ってるの?」
「……は?」
一瞬、何を言ったのか理解できなかった。
そして理解して、僕は戦慄する。
「いや、ちょっと待ってくれ綾乃……それはさすがに冗談きついぞ……」
綾乃はまだ疑問しか投げがけていない。だけど、それはもう答えなんだ。
その質問をするということは、その逆が答えだと自ら告げている。
「綾乃も……ヒカゲも……自分の意思で夢の世界に閉じ込められたって言いたいのか?」
「さすがタカ君……ご明察」
綾乃はとても儚く笑った。
「待て。待てよ。そんなの……おかしいだろ……」
「なにがおかしいのかな?」
「だってそうだろ……どうして自分の手で未来を捨てるんだよ……これから先、一生をここで過ごすって言うのか?」
「私は、それを選んだんだよ」
その選択は、あまりに残された側の人間に酷だ。
「それを加味した上で、私は決めたの」
「どうして……」
ただただ言葉を失う。僕の思考の前提が音を立てて崩れていく。
夢の世界に閉じ込められたと思ってた。だから、なんとかして助けようと思っていた。
でも違った。そんなのは僕の勝手な妄想で、実際は彼女たちがこの結末を選んだだけだった。
どうしようもないほどに単純な答え。そして、どうしようもできない答えだ。
本人たちが選んだことを、僕にどうできるっていうんだ?
「本当は、薄々気がついてたでしょ? だからすぐにその結論が出てきたんだよね?」
その言葉が、僕にとってのトドメだった。
「……信じたくなかったんだよ」
だから、僕はずっと見えていた可能性のひとつに蓋をした。
薄々感づいていた。もしかしたら、綾乃は自らの意思でここにいるんじゃないかって。
世界に囚われていても一切悲観しないどころか、綾乃はこの世界を満喫していた。毎日を楽しんで、僕が何て言おうと、まるで現実に帰れなくても仕方ないみたいな発言をよくしていた。
そう。現実をまるで気にしていなかった。
「だから言ったでしょ、タカ君は悪くないって」
僕は悪くない。自分で決めたことの責任は僕にないと、綾乃はそう言い続けてきたんだ。
僕が解釈を勝手に捻じ曲げて、その現実から目を逸らし続けて来た。
僕もまた、それをわかっていながら目の前の現実から逃げ続けていたんだ。
そして、僕も現実と向き合う時が来てしまっただけ。
もう目を逸らせない。僕はその事実を受け止めなきゃいけない。
「私はね、正しくない世界が嫌になったの」
後ろ手を組んで、綾乃は僕に背を向けながら続けた。
「正しいことをした人間が正しく生きられない世界なんていらないんだよ」
綾乃の声は冷酷ささえ感じる程冷え切っていた。
「いじめの存在を知っても、我関せずを貫くクラスの人、自分がターゲットにされたくないから距離を置く友達だった何か、問題にしたくないから気づいてないフリをする先生たち。まるでいじめられる方が悪いみたいな世界。ほんと、笑っちゃうよね」
僕もその景色を見ていたから、綾乃の言っていることはわかる。
「そんな世界、どうでもいいと思わない?」
「……」
「正直、いじめとかはもうどうでもいい。でも、正しい人が正しく生きられない現実なら、そんなのなくたっていいの。ここには私の望んだ正しさがある。清く正しく、誰もが優しい世界があるんだよ」
それが、綾乃の絶望。現実逃避の根本。
世界に正しさと優しさが足りなくて、その世界に絶望して目を伏せた。
自分の正しさが基準となって生まれた世界で、綾乃は自分のやりたいように生きる。
「それでも、足りないものもあった」
「……自分の望み通りになる世界で、なにが足りないんだ?」
「タカ君」
綾乃は再び僕を指差す。
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