第30話 夢の最後まで①
窓から入り込む風がカーテンをふんわりと揺らす。
「
差し込んだ陽の光を浴びてさえ、眉ひとつ動かさずにベッドで寝ているヒカゲ。
ヒカゲのお母さんに連れて来られたのは、この前ヒカゲと一緒に行った病院だった。
別の病室では、僕の幼馴染も安らかに眠り続けている。
目の前にいるヒカゲも、綾乃と同じく、すごく安らかに眠っている。
「……いつからですか?」
眠っているヒカゲを見ながら、僕はなんとか言葉を絞り出した。
「……今週の初めからになります」
「今週の……」
「いつもは起きる時間になっても全然起きなくて、夜更かしのし過ぎかと思ったんですが……」
ちょうどRINEの返事が返って来なくなった時期と一致していた。
なら、あの時はもう既に。感情を殺すように、拳を握る力が強くなる。
「すごく……穏やかな顔」
ヒカゲのお母さんがヒカゲの頬をそっと撫でる。
「身体に何も異常はないって、お医者様は言ってました。原因不明の意識不明です。いつ起きるかも……わからないって……」
ヒカゲのお母さんの肩が小さく震える。
原因はわかっている。でも、言ったところで誰も納得なんてしない。今この状況で事実を述べたって、バカにしてると受け取られるだけだ。
「最近……陽葵は家でよく笑うようになったんです」
「……そうなんですか?」
「はい。ネットの繋がりでとてもいい人に出会ったと……それが司君です」
今にも泣きだしそうな顔で、ヒカゲのお母さんは何とか僕に笑いかける。
「司君には私も感謝しています。陽葵の笑顔を取り戻してくれて、陽葵がまた外に出るきっかけをくれて、ありがとうございました」
「そんな……僕はなにもできていないですよ」
丁寧に頭を下げたヒカゲのお母さんから、僕は目を逸らしながら言った。
僕がなにかできていたのなら、こんなことにはなってないと思うから。
「そんなことありません。司君は陽葵にたくさんのものを与えてくれました」
そう言って、ヒカゲのお母さんはカバンから一冊のノートを取りだす。
可愛らしい装飾が施されたノートには、大きな文字でこう書いてあった。
「日記……ですか?」
「はい。陽葵の日記です。ぜひ、読んであげてください」
「許可なく他人の日記を読むのはちょっと……」
「いえ、司君には知っておいてほしいんです。陽葵の気持ちを……」
「……わかりました」
心の中でヒカゲに謝ってから、僕は日記を受け取って中身をめくる。
最初は他愛もない日常と、その日にやったゲームの感想が書かれていた。
どことなく、僕たちがワンダーランドで経験したものと似ていた。
読み進めて行けば、日記の中に僕の存在が出てき始めた。
『今日は司さんというエッチな人と出会いました。私の胸の感触を直接私に言ってくるくらい変態さんです』
これは僕たちが初めて会った日のことだ。
いや、ちょっと待て。この内容ってヒカゲのお母さんの検閲済みなんだよな? これをヒカゲのお母さんに読まれたんだよな? よく僕に対してそんな大人な対応できるな。僕は今すぐ逃げ出したんだが?
『司さんからオフ会に誘われました。なんだかんだ楽しみにしている自分がいる反面、あそこの私と現実の私は全然違う生き物なので、司さんに幻滅されないか不安です。どうして私はこんなに弱いんだろう。司さんみたいに強くなりたい』
ヒカゲ……僕はそんなに強くないよ。
強く心を保ってないと、簡単に壊れちゃうから、強くあろうとしてるだけなんだよ。
『学校に行きたい。司さんとオフ会をしてから、私は変わらないといけないと思いました。だから、司さんにも宣言して私は自分を奮い立たせました。でも、朝起きると身体がどうしようもない倦怠感に襲われて動けなくなります。どうして、私は……』
僕は黙ってページを読み進める。
『初めての夜の学校。いけないことをしているのに、私の心は踊っていました。司さんと二人乗りした自転車は心地良かったし、みんなで遊んだのは楽しかった。もう私は一人じゃない。大丈夫。きっと学校に行けます』
いよいよ最後のページにやって来た。
『どうして……なんで……身体が動かない。行きたいと思った私の心は嘘だったんだろうか? あの時の言葉は、表面上だけの仮初の言葉だったんだろうか? どうして……私はこんなに弱いの?』
今までとは違い、悲壮感に溢れた文章の最後はこう締めくくられていた。
『学校に行きたい』
震える文字で、そう書かれていた。
「……」
日記を握る力が強くなる。
ヒカゲは頑張ろうとしてた。変わろうとしてた。なのにどうして、そんな彼女が夢の世界に囚われなくちゃいけない? 自分が逃げてきた現実に抗おうとしてた彼女を、どうして閉じ込める必要があった?
どうして……こうなるんだ。
零れ落ちそうな涙を気合で押し溜めた。
僕に泣く資格はない。なにもできなかった僕に。
「また……来ます」
それから少しだけ雑談をして、僕は一足先にお暇させていただくとした。
「司君ならいつでも歓迎だって、きっと陽葵も言うと思います」
「……はい」
なんて答えていいのかわからず、僕は力のない返事をしてしまう。
そのまま一礼して病室を出る。すると、
「うぅ……陽葵……なんで……どうして……!」
病室の扉を閉めてすぐ、ヒカゲのお母さんの悲痛な声が耳に入った。
「……」
壁に背中を預けて、僕は天を仰いだ。
ああ……一緒だ。綾乃の時と、全部一緒だ。
あの時と違うのは、今回は事前に助けられる可能性があったことだ。
いずれこうなると知っていた。だから何とかしたかった。
この叫び声は……本当にきついから。残される側の痛みを知っているからこそ、そうならないようにしたかった。
なのに、また同じことが繰り返された。
携帯が震える。青井からメッセージが来ていた。
『ただ事じゃない雰囲気だったけど、なにかあったの?』
なんて答えるべきか。トーク画面を開いたまましばらく考えた。
『ヒカゲに呼び出されたんだよ』
『嘘!? どうだった!?』
『熱が出てるからしばらくはそっとしておいてくれってさ。差し入れだけ渡して帰る』
『そっか……ならよかったよ!』
とても、本当のことは言えなかった。
「陽葵……目を開けてよ……なんで!」
まるで子供のような泣き声に、僕の胸が締め付けられる。
大人はすごいな。僕みたいな子供がいる前では、しっかり大人なんだから。
「……」
こんなの、僕が盗み聞きしていいものじゃない。
奥歯を強く噛みしめながら、僕は逃げるようにその場を去った。
帰り道。どうにもそのまま家に帰る気になれなくて、僕は人通りの少ない河川敷へ足を延ばした。
長い長い直線。見渡す先に人は少ない。
自然と自転車を漕ぐ力が強くなる。
「ああ……」
腹の底から声が漏れだす。
身体も段々と起き上がって、自転車を漕ぐ力がさらに強くなる。
「ああああ……」
さらに強く。もはや全速力で駆ける。
「あああああああ」
魂の叫びが、
「ああああああああああああああ!」
行き場のない怒り、後悔。それらが全て声になって吐き出される。
言葉にすらならない、ただ大きいだけの雑音が河川敷をつんざいていく。
時たますれ違う人に怪訝な目を向けられたって、今の僕には関係ない。
だって……そうでもしないと、僕はこの怒りを消化しきれない。
「もう少しだったのに! ヒカゲは頑張ろうとしてたのに! なのに!」
どうして……。
「なんでなんだよ……ちくしょう……」
力尽きて止まった自転車のハンドルに倒れこみ、僕は自分への怨嗟を口にした。
どうして……ワンダーランドは僕の友達を夢に閉じ込めてしまうんだ。
どうして……僕はなにもできないんだよ。
どうしようもない現実が、僕に重くのしかかる。
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