第29話 夜に駆ける青い春⑫
次の日も、その次の日も、ヒカゲは学校に来なかった。
クラスにとってはそれが当たり前だから誰も気にしない。でも、事情を知っている僕たちからしたら、なんとなく嫌な感じがした。
「ねぇ司君……渡会さん、大丈夫かな?」
始めは、いつ来るかなぁ。と楽しみにしていた青井も、さすがに少しずつ不安になってきたようだ。それは僕も同じ。
「RINEも返事が返って来ないんだよな」
「……そっか」
あれだけ爆速で既読が付くヒカゲにしては珍しい。というかおかしい。
それに青井には言えないけど、ここ最近僕は夢を見ていない。
ヒカゲを思い浮かべて寝付いても、果てしない闇の中に僕が浮かんでいるだけ。おおよそ夢と言えない世界に放り出されている。
ワンダーランドに巻き込まれてから初めてのことだった。
まさか世界が消えたとか? いや、でもそうであればヒカゲは学校に来ているはず。現実逃避が解決していないのに、先に世界が終わるとかあるのか? そもそも、世界がどうやって消えるかの確証もないのに。
そのイレギュラーさが、僕の胸に一抹の不安を残す。
「なにかわかったら教えて」
そう言って、青井は戻って行った。
「放課後……ヒカゲの家に行ってみるか」
僕としてよくわからないのは、夜はヒカゲの世界に行けないのみならず、綾乃の世界にも行けないことだ。綾乃は、選択権は僕にあるみたいなことを言ってたけど、僕がヒカゲを想って寝てるからそうなってるだけなのか? 本命がダメならキープの方に勝手に移されるシステムではないのか?
僕にできるのは、そういうもんだと無理やり納得するだけ。
あれか、今日の昼休みに綾乃に訊いてみるか。
昼は綾乃と過ごす自分ルールを作ってるからか、ちゃんと綾乃の世界に行ける。
そう考えると、やっぱり僕の意思が関わってるんだろうな。本当にあの世界はわからない。
『大丈夫か?』
最後に送ったメッセージには既読が一切付いていない。
まさか……そんなことはないよな。首を振って最悪の可能性を否定する。
勝手に決めつけるな。放課後はそれを確かめに行くんだろ。まだ、決めつけるな。
そうしてモヤモヤした状態のまま時間は流れる。
モヤモヤしていても、ご飯を食べれば人間は眠くなる。人間の生理現象は凄い。
そんなわけで僕はいつも通り昼寝を決め込んで綾乃の世界へ行こうとした。
だけど、その日は何かがおかしかった。
たしかに寝たはずなのに、目を開けた僕の前に広がる景色は寝る前と何も変わっていない。窓際の一番後ろの席で、僕は授業を受けていた。
「ここは……」
夢の世界……なのか? でも、綾乃にこの景色は想像できない。だって綾乃はここを知らないんだから。だからここは綾乃の世界じゃない。
「おはようございます、司さん」
「……は?」
隣で穏やかに笑うヒカゲがいた。
「どうしたんですか?」
「ここは……夢か?」
「そうですね。私のワンダーランドですよ」
僕が居て、隣にヒカゲがいる。だけど、それ以外の面々には違和感があった。
授業を受けているクラスメイトの後ろ姿に見覚えがない。
唯一存在を認識できる青井も、いつもとは違う場所に座っている。
「去年のクラスか……?」
考え付くのはそれだった。
「正確には違います。去年のクラスだったらそこに司さんは居ません」
「言われてみれば確かに」
「それに、今こうして私たちが話しているのに先生は注意してきませんし」
国語の先生が黒板に文字を書きながら内容の解説をしている。
だけど、明らかに授業中にお喋りしている僕たちには見向きもしない。
「ここは、私が作った夢の学校ですよ」
とても納得のいく説明だった。いや、それはいい。
「それはそうと、RINE、返事がなくて寂しいんだけど」
「……すみません。ちょっと色々ありまして」
「色々って?」
「色々です」
誤魔化すようにヒカゲは笑う。
「まあ、ヒカゲがちゃんと元気なのがわかって……ん?」
待て、僕はなにか大きなことを見落としてないか?
ヒカゲのワンダーランドはまだ消えていなかった。じゃあどうして今まではヒカゲを思い浮かべていたのに世界に行けなかったのか。それも疑問だけど、もっと大事なところを見落としている気がする。
そう、もっと根本的なことだ。
僕は授業中に昼寝をして綾乃の世界に行こうとして、ヒカゲの世界にやってきた。
「おい……ちょっと待て……」
気づいた瞬間、背筋にもの凄い悪寒が走った。
ここではそんなものを感じられないはずなのに、冷や汗が止まらない感覚に陥る。
「なんで昼なのにヒカゲの世界があるんだ?」
「さぁ、どうしてでしょうね?」
ヒカゲは表情を崩さない。
「まさかヒカゲも僕と同じ時間に昼寝をする趣味があったのか?」
「……」
ヒカゲは何も言わない。それが、すごく不気味で、とても嫌な感じがした。
「それに……どうして僕はここにいるんだ?」
僕は綾乃を思い浮かべながら眠ったはずで、それなら僕は綾乃の世界に行くはずなんだ。
なのに、僕は今ヒカゲの世界に存在している。何かがおかしい。
「私が司さんを呼んだんです」
「僕を?」
「そうです」
そう言ったきり、ヒカゲは黙り込んでしまう。
しばらくの沈黙のあと、ヒカゲ自身がその沈黙を破る。
「司さん、明日って言うのは……どうして来てしまうんでしょうか?」
「っ……!」
ずっと、僕の心の奥底に刺さっていた言葉。そして、とても嫌な言葉。
すごく……嫌な感じがした。
ヒカゲと綾乃の姿が被る。目を覚まさなくなった時の綾乃と、今のヒカゲの雰囲気が重なって見える。
なにかを諦めて達観したような雰囲気が、とても似ている。
思い当たる節なんてひとつしかない。
「おい……まさか……」
「はい。そのまさかです」
恐る恐る訊いてみれば、ヒカゲは机を優しく撫でながら答えた。
困ってるとか、悲しいとか、そうではなく全てを受け入れた表情で。
むしろ、とてもスッキリしている顔だった。
どうしてそんな顔ができる? 自分がどうなるのか本当にわかってるのか?
どうして……綾乃の時と同じ顔をしてるんだ?
「時間切れだって言うのか?」
「そうですね。そういうことになるんでしょう」
「そんな……」
現実と向えば、この世界に囚われることもなくなる。
そんなのは所詮僕の希望的観測で、事実はそうではなかったらしい。
「だから今日は、司さんにお別れを言うために来てもらいました」
「お別れ? なにを……言ってるんだよ……ここに来られる限り僕は来るよ」
ヒカゲは目を閉じて、そっと首を振った。
「だからですよ。これ以上、司さんの大切な時間を奪えませんから」
そう言って、ヒカゲは僕の胸をトンっと軽く押した。瞬間。
「なっ……!?」
何か強烈な力に引っ張られる感覚。いや、違う。これは押されている感覚だ。
台風の風に真正面からぶつかられたように、抗い様のない衝撃が僕を襲う。
踏ん張っても、踏ん張りきれない。ただ意識が遠くに押し出される。
「なにをした……ヒカゲ……!」
「私の世界から司さんを追い出そうとしてます」
くそ……そんなことまでできるのかよ。それは知らないぞ。
「くっ……どうして……!」
「司さんは優しいから、ここに来られる限り、きっと私を何とかしようとするでしょう?」
「当たり前だ……僕はまだ……!」
「いいんです。もう、私のことは忘れて自分の人生を楽しんでください」
「できるわけないだろっ……友達を見捨てられるかよ……!」
「その時間は、他の誰かのために使ってあげてください。私は大丈夫ですから」
どこが大丈夫なんだよ?
声を出そうにも、もう声が出せなくなっていた。
手を伸ばそうにも、身体がどうしようもなく動かない。
わかってる。意識が現実に戻されているんだ。
「さようなら。司さんと友達になれて、私は幸せ者でした」
泣きそうな顔で笑いながら、ヒカゲは僕に別れを告げる。
「ヒカゲ……っ!」
意識が闇に覆われる。そして次の瞬間。
「はっ!」
飛び跳ねるように僕は起き上がった。
現実の僕のクラス。先生も、みんなも、突然起き上がった僕に注目している。
「司……いい夢見られたか?」
呆れたように先生が言い、クラスは笑いに包まれる。
今はそんなのどうでもいい。僕は荷物を持って席を離れようとすると、
「おい司! どこ行くつもりだ!」
慌てた様子で先生が僕を止める。
「体調が悪いんで早退します!」
おい! と止める声を無視して、僕は足早で駐輪場へ。
自転車に乗って全速力で向かった先はヒカゲの家。
そうだ。まだ僕の予想が外れている可能性だってある。
この目で見るまで、信じるわけにはいかない。
だって、この前は普通に夜の学校ではしゃいでたんだぞ?
「はぁ……はぁ……」
息を整えながら、インターホンを押すが反応がない。
「くそ……誰もいないのか……」
尚もインターホンを押し続ける。迷惑この上ない。
「あの……なにかご用でしょうか?」
インターホンを連打していると、ふと隣から声がかけられる。
声の方を振り向けば、手に大きな袋をぶら下げた女性が僕を訝し気に見ていた。
年齢は重ねているけど、その顔立ちは間違いなく僕の知っている彼女に似ていた。
ヒカゲのお母さんだ。
「突然すみません。僕は司隆晴と申します。ヒカ……陽葵さんにどうしても会いたくて突然お伺いさせていただきました」
「司……そう、あなたが……」
ヒカゲのお母さんは僕の自己紹介を聞いて表情を崩す。
その顔はヒカゲの面影を感じるがすごく疲れているように見えた。
「僕をご存じなんですか?」
「
「あの……陽葵さんは家にいらっしゃいますか?」
僕が言えば、ヒカゲのお母さんは下唇ときつく噛み締めてから言った。
「そうね……司君さえよかったら、陽葵に会ってくれる?」
「はい。ではお邪魔します」
僕の言葉に、ヒカゲのお母さんは弱弱しく首を横に振った。
「陽葵はここにはいないの。だから、一緒に行きましょう」
「……」
そうじゃないでほしいと思った最悪の展開ほど、その通りになってしまう。
どこに行くのかなんて、言われなくてもわかる自分が嫌になった。
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