第25話 夜に駆ける青い春⑧
そして時は流れて週末の金曜日。いつも通りお昼寝を決め込めば、気づいた時には夢の世界。
昔よく遊んでいた公園で、綾乃はジャングルジムの上から僕を見下ろす。
そんな彼女を、僕は静かに見上げている。
「……なにを考えてるの?」
「スカートって、意外と防御力高いよなぁ……と」
見えそうで見えない。絶妙な領域。だから目が吸い寄せられる。
「真面目な顔で何考えてるのさ」
恥ずかしがるわけでもなく、綾乃はクスクスと笑う。
「例のアレ、今日だったよね?」
「ああ」
「いやぁ、タカ君も大胆なこと考えるよねぇ」
「正直、僕がやってみたかった気持ちもあるから」
「よっ……」
綾乃はひょいっと軽やかにジャングルジムから飛び降りた。
そのまま僕をジッと見上げる。
「まぁ、精々頑張るんだな、少年!」
そして、僕の肩をポンと叩いた。
「言われなくても、やれることは最後までやるよ」
思い出すのは、綾乃が眠りから覚めなくなった日のこと。
泣きながらベッドに倒れ込む綾乃の母親の姿が、ずっと離れない。
「まぁ、それはいいんだけどねタカ君。ちょっと最近私を蔑ろにし過ぎたと思うんですよ。夜はずっとヒカゲちゃんの世界に入り浸っているし」
「あれ? ヒカゲ優先は綾乃公認じゃなかったっけ?」
「そうだけど! やっぱり寂しいものは寂しいの! 私はタカ君とここで過ごす時間が一番楽しい時間なんだから! そろそろ我慢の限界が来るよ!」
「正妻の余裕はどこへ行ったんだろうな?」
「そろそろタカ君エネルギーの貯蓄が切れそうなの!」
なんだよその貯蓄。僕はエネルギーだったのか?
「ま、もうすぐまた毎日綾乃と過ごす毎日に戻れるだろ」
ヒカゲは前に進もうとしている。
確証はないけど、ヒカゲが学校へ行けるようになればワンダーランドも消えるはず。
現実逃避が終わればあの世界も消えるはず。というか、そうでないと困る。
ワンダーランドは現実逃避の世界。現実と向き合える内にちゃんと向き合えたなら、あの世界は自分の役割を終えて消えたっておかしくはない。論理的に考えれば間違ってないように思う。あとは結果がどう転ぶか。
「うん……そうだね」
一瞬、綾乃は複雑そうな表情をした。
それを疑問に思ったけど、その理由を考える前に思考がぼやけていく。
「ごめん……時間だ」
「じゃあ、夢の世界から健闘を祈ってるよ」
「そこは現実から祈ってくれよ」
「それはできないってもんだぜ大将」
そうして、僕は現実世界へと戻っていく。
☆☆☆
深夜。ちょうど今日と明日の境目の時間。つまり夜の12時。
家族が寝静まったのを確認して、僕は空のリュックを背負い、息を殺して家を出た。
物音を立てないように自転車を取りだして夜の街へ。
途中コンビニに寄ってから目的地へ。高校生の深夜徘徊。店員に警戒されるかと思ったけど、深夜の店員は緩かった。
自転車をこぎ続けること十数分。目的地に着いた僕。ヒカゲにRINEで到着を伝えれば一瞬で既読が付いた。
「早いな……」
ずっと画面を開いているのでは? と疑いたくなる速さ。
「すぐに向かいます……か」
待つこと数分。ヒカゲがいそいそと家のドアから顔を出した。
物音を立てないように丁寧に、そっとドアを閉めて僕のところへ。
「お、お待たせしました」
いつも通りのスカートとパーカー。
「家族にはバレてないか?」
「だ、大丈夫です。みんな寝てました」
「了解。じゃあ、バレないうちに行くか」
「は、はい……!」
「よし、後ろに乗ってくれ」
リュックはカゴに入れ、自転車にまたがる。
「えっと……どうすれば」
「後輪のところに金属の棒が付いてるから、それに足をかけて座ればいい」
「なるほど……」
僕の言葉通りにヒカゲが後ろに乗る。
久しぶりに感じる誰かが後ろにいる重さ。
昔はしょっちゅう感じていた重さが、今は懐かしい。それが時の流れを実感させる。
「慣れないうちはしっかり捕まっておけよ」
「は、はい……!」
ヒカゲは僕の腰に腕を回してギュッとしがみつく。
「そこまではしなくても大丈夫だと思うけど……」
「ふ、振り落とされたら大変なので」
「それはそうだな」
背中に感じる女の子の柔らかな膨らみ。
男として幸せなそれ。だけど、僕の本能がなにか違和感を覚えている。
これは……。
「なぁヒカゲ……一個だけ訊いていいか?」
「なんでしょうか?」
「ワンダーランドのヒカゲって、もしかして結構盛ってる?」
「なにをですか?」
「胸」
抱き着かれた腕が離されると同時に、後ろでガタン、という音が響く。
振り向けば、ヒカゲが体勢を崩して落ちそうになっていたので、自転車を止める。
「慣れないうちは下手に腕を離さない方がいいぞ」
「じゃあ変なこと言わないでくださいよ!」
「なんで僕が怒られるんだ?」
「だ、だって……む、胸を盛ってるとか言うからっ……!」
「あぁ、それか」
「それか……ってどうして淡々としてるんですか!」
「で、実際どうなの?」
正直、僕も男だから結構気になってる。
「お、教えるわけないじゃないですか!」
「肌で感じる感触で判断しろと?」
「なんでそうなるんですか!?」
「いや、教えてくれないって言うから」
「だとしてもそうはならないですよね!」
「ヒカゲ、今は深夜だから声は控えめにな」
「っ……」
ヒカゲが顔を真っ赤にしながら口を押えた。
そして、もの凄い速さで携帯を操作したと思ったら、僕の携帯が震えた。
ヒカゲからRINEのメッセージだ。
『誰のせいだと思ってるんですか! もうほんと司さんといると調子が狂います!! 司さんは私をどうしたいんですか!!!』
などと言った熱い想いが僕に届く。直接言った時の声量を表したいのか、「!」の数がかなり多い。
それを見て、僕は小さく笑みを溢す。
どうしたいか。そうだな。
「現実でも、ヒカゲが理想とするヒカゲになれればいいなと思ってる。今みたいに」
少なくとも、僕と話している時のヒカゲは夢も現実も変わらなくなってきている。
まぁ、まだ現実はよそよそしいけど、それでも最初に比べたら全然変わってる。
「っ……それは……司さんの前だけですよ」
「僕の前でできるなら、いつかみんなの前でもそうなれるさ」
この姿が、ヒカゲが思い描く彼女の姿だろうから。
結局、ヒカゲが胸を盛ってるのかわからないまま、僕たちは目的地へ向かう。けど、夢と現実の両方を知った僕はほとんど見当がついている。だけど、それを言うのは野暮か。
ヒカゲは僕の腰に腕を回してるけど、最初のような密着感は薄い。
「随分軽いホールドだけど、油断して落っこちるなよ?」
「つ、司さんはすぐ胸の感触を確かめようとするから気を付けてるんです」
「命と胸、どっちが大事?」
「どっちも大事です」
「なるほど」
どっちも大事だな。うん。
「あの……重くないですか?」
「べつに。僕にはちょうどいい重さだよ。後ろに人がいる重さは、嫌いじゃないから」
「司さん……なんだか楽しそうですね」
「そう感じるなら、きっとヒカゲと青春をしてるからかもな」
久しぶりの二人乗り。ここ何年かはずっと自転車を漕いでると軽くて仕方なかった。
二人乗り用の棒を僕に買わせたやつが、ずっと後ろに乗らなかったからかな。
忘れそうになっていたその重みを思い出せて、僕はそれが嬉しかった。
「青春と言うには、だいぶ空が暗いですけどね」
チラリと見上げた夜空には、星が今日も綺麗に輝いていた。
「誰もいない星空の下で二人乗りも、だいぶ青春だと思うけどな」
「たしかに……そうですね」
深夜。まともな人間は家で寝ている時間。
うっかり警察に見つかったら僕たちはゲームオーバー。
だけどそんな不安など微塵も感じず、僕たちは真っすぐに目的地へ向かった。
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