第22話 夜に駆ける青い春⑤
「……」
まさかの発言に、逆に僕が言葉を失ってしまった。
それが顔に出てたのか、ヒカゲはおもむろに理由を語り始めた。
「オフ会のあの日、夕方から夜にかけてのイベントだったのに、お母さんがすごく喜んでくれたんです。私が家の外に出る、それだけのことで。それに、そのことをお父さんに泣きながら報告してたところを、夜中こっそり見てしまいました」
ヒカゲは気まずさを誤魔化すような笑みを浮かべる。
「それで気づいたんです。私が思ってる以上に、お母さんに心配をかけていたんだなぁって。最近は引き籠っていても何も言わなかったから、私のこと諦めたのかと思ってたんですけど、全然そんなことなくて、泣くほど心配してくれてたんです。こんな私のことを」
ヒカゲはスカートの裾をキュッと握った。
「司さんとのオフ会で花森さんに出会って、このままだったらいつか私もああなるって聞いて、このままじゃいけないなって思ったんです。だから」
僕は黙って彼女が発する次の言葉を待つ。
「私は、変わらないといけないんです!」
強く、決意の籠った目でそう言った。
まだスカートの裾は強く握られたまま。
それだけで、ヒカゲはかなりの勇気を振り絞ってるとわかる。
「そうか……なら、僕に手伝えることはあるか?」
「じゃ、じゃあ……私が学校に行きたくなるようなことを言ってください!」
「無茶振りだなぁ」
「しょ、しょうがないじゃないですか! こ、怖いものは怖いんですよ!」
そりゃ、不登校解消は一発目が一番きついからな。
周りの視線とか、もの珍しい目に耐えながら登校しなくちゃいけないし。
「そうだな……」
学校に行きたくなるようなこと、か。これまた難しいな。
みんなと一緒に勉強ができるぞ、とかクソほどテンション上がらないし。
うーん……なにかないか……。
「あ……」
行きたくなるかはわからないけど、一個だけヒカゲの緊張を和らげることはあった。
「実はさ、二年生のクラス替えがあってから、僕の隣の席がずっと空席なんだよ」
「……そうなんですか」
「そいつはなんかずっと学校へ来てないらしくてさ、最近ようやくその子の名前がわかったんだよ」
「えっと……今はなんの話になりますか?」
「ヒカゲが学校に行きたくなる話だろ?」
「司さんの謎の自分語りじゃなくて?」
「謎とか言うなよ。全部ヒカゲに関わる話だからな?」
「どこがですか?」
ヒカゲが首を傾げる。意外と鈍感なのかこいつ?
「僕の隣の席の女子、渡会陽葵って名前なんだけど、心当たりない?」
「え……」
ヒカゲは驚き、目を大きく見開いた。
「あるよな? だって、ヒカゲのことだもんな」
「なんで……私の名前……」
「世の中には情報通がいるんだよ。ヒカゲの写真を見せたら一発だった」
「写真……あ、あの時の!」
思い出して、ヒカゲの顔が紅潮した。
「図りましたね司さん! わ、私の正体を探るためだからあんなに積極的だったんですね!」
「思い出を残したかったのも本当だ」
嘘は言っていない。ヒカゲの言うことも正解だけど。
「正体を探るは否定しないんですね!? オフ会は他人のプライベートに不干渉では!」
「だから、オフ会の時には干渉しなかっただろ」
「き、詭弁ですよ!」
ぶっちゃけ僕もそう思う。
「で、学校に行きたくなったか?」
「正直、怪しくなりました……」
「僕が隣では不服だったか……」
「嘘です。冗談です」
わざとらしく落ち込んでみれば、ヒカゲはおかしそうに笑う。
「とてもやる気が出ました! これで頑張れそうです!」
「そりゃよかった。じゃあ、気長に待ってるよ」
「はい。待っててください!」
それから学校の話をいくらかして、僕たちは夢の世界でお別れをした。
明日は現実で会おう。そう約束を交わして。
次の日、ヒカゲは学校に来なかった。
「すみません……今日は体調があまりよくなくて……」
夜。いつも通りヒカゲの世界に行けば、彼女は開口一番そう言った。
「まぁ、無理する必要はないだろ。時間はたくさんある」
不登校から一歩踏み出す。口で言うのは簡単だけど、それを行動に移すとなるとまた話は変わる。
その一歩は、とても頑張って踏み出さないといけない一歩だ。
ヒカゲもそれはわかっているだろう。それでも彼女は頑張ろうとしている。
頑張っている人に、これ以上頑張れなんて声はかけられない。
僕にできるのは、彼女の意思を尊重して見守ることくらいだ。
「それにしても……」
世界がまた様変わりしている。
昨日までのモンスターと人間が共存する世界から、今度はリアル寄りな世界へ。
「ふふん……この前外に出た時の現実を再現してみました」
新しい世界を見回す僕に、ヒカゲがしたり顔でそんなことを言う。
そう、今の世界は明らかな現実。
綾乃の世界みたいに、ヒカゲはもうひとつの現実を創り出していた。
「……」
僕たちがいるのは、オフ会で話した公園のベンチ。
時間は昼時。顔の見えない子供たちが、遊具で遊んでいるのが見える。
昼時の公園ならこうだろう。と、ヒカゲが思う公園の姿が映し出されている。
「……どうかしましたか?」
ヒカゲが心配そうに僕を見上げる。
今日のヒカゲは制服姿だった。
「いや……なんでもない」
ヒカゲの心は前向きになっている。そのはずなのに、ワンダーランドは悪い方向へ変化している。
夢の中で現実を創造する。あまりいい展開とは言えない。一歩間違えれば、ここがもうひとつの現実へと成り変わってしまうかもしれないから。
僕は一度それを間近で見ている。
「こうして現実を再現すれば、少しは私も現実に慣れるかなと思いまして」
控えめにヒカゲは笑う。
「……」
大丈夫。あの時みたいにはならない。
ヒカゲはちゃんと前を見ようとしていて、これはそのための手段に過ぎない。
「そうだな。少しずつ慣れていけば、いつかはゴールだ」
そう自分に言い聞かせて、僕は喉から出かかった言葉を飲み込んだ。
現実をちゃんと見ていれば、この仮初の現実に染まることもないはずなんだから。
「ですよね! 私、頑張ります!」
だけど、次の日もヒカゲは学校へ来なかった。
次の日、そしてまた次の日も、やがてヒカゲが決意表明してから一週間、彼女が学校へ来ることはなかった。
「……すみません」
体調が悪かった。ワンダーランドで会うたびに、ヒカゲは僕にそう報告する。
日を重ねるごとに、ヒカゲの顔からは申し訳なさが滲み出ている。
「行こうとは……思ってるんです……」
起きたら体調が悪い。学校へ行こうと思うとお腹が痛くなる。
ヒカゲは僕にそう漏らした。
「……本当ですよ?」
「そこは疑ってないよ」
「すみません……」
ヒカゲは申し訳なさそうに目を伏せる。こりゃ、だいぶきてるな。
さて、どうしたもんか。
このまま本人の意思に任せるのもいいけど……でも。
「ヒカゲ。学校のことは一旦忘れて、とりあえず僕と遊びに行こうか」
「へ?」
「色々溜まった時はとにかくストレス発散だ」
「え……?」
「そうと決まれば善は急げ。すぐに行くぞ」
「えっと……その……」
戸惑うヒカゲをよそに、僕は半ば強引にヒカゲと二回目のオフ会の約束を取り付けた。
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