第20話 夜に駆ける青い春③

 昼の授業中。青井と親睦を深めたからと言って、僕の昼寝タイムがなくなるわけじゃない。


 そんなわけでお昼寝タイム。


 いつも通り、現実の意識がなくなれば綾乃の世界で意識を取り戻す。


「誕生日プレゼント、病院のテーブルに置いておいたから」

「ありがと! 何にしたの?」

「シュールストレミングじゃない何か」

「私はその何かを訊いてるんだけど!」


 ぷくーっと、綾乃は頬を膨らませて不服の意を示す。


 場所は公園。昔よく一緒に遊んだ場所。


 ブランコに二人、並んで座る。


「知りたかったら自分の目で確かめるんだな」

「それができないから訊いてるんですぅ!」


 口を尖らせながら、綾乃はゆったりとブランコを漕ぎ始めた。


「でも、帰りたいって思えば帰れるかもしれないだろ?」


 病は気からって言うし、何でもできると思えばできる。かもしれない。


 帰りたいという意思が奇跡を呼ぶことだってある。かもしれない。


「はは、意外と的を射てるかもしれないね」


 どこか諦めのようなものを感じる言い草。


 綾乃がワンダーランドに囚われて2年。現実への帰還方法は未だわからず。


 正直、諦めたくなる気持ちはわからないでもない。


 先の見えない暗い迷路。どうすれば戻れるのか。考えても答えが出なくて、心の耐久値は日々少しずつ削られていく。なら、深く考えない方が心は楽だ。


「でも、タカ君が居てくれれば私は大丈夫だから。安心してよ」

「僕が大丈夫じゃないんだよな」

「えぇ……夢の世界で幼馴染とイチャコラするのは不満なのか!」


 ブランコを蹴る足が強くなる綾乃。


「いつも言ってるだろ。僕は現実世界でイチャコラしたいんだ」


 時が止まった夢の世界。


 再現される街並みは、創造主の記憶だけが頼りだ。


 綾乃は知らない。この公園の遊具が更新されていることを。塗装が剥がれていたすべり台は、去年新しく塗装し直したことを。僕の目がそれを物語る。


 現実のような非現実。この世界は、時の流れに置いていかれている。


 夢は記憶の整理。なんでもできる夢だって、そのルールには抗えない。


 自分の知らないことは、どこまで行っても完全に再現することはできないんだ。


 ファンタジー世界と同様に、所詮はここも空想が生み出した虚構でしかない。


「綾乃のいない世界は……虚しいだけだ」


 心にずっと穴が空いている。


 何をしても埋まらない。とても大きくて深い穴。


 これを埋められる人間は一人しかいない。僕の目の前にいる彼女しか、埋められない。


 僕の心の半分は、ずっとここにある。


「……私はここにいるよ」


 寂しそうに綾乃は笑う。


「そうだね……綾乃はそこにいる。でも、そこにしかいない」


 目を覚ましたらいなくなる、虚構の世界にしかいない。


 少しの沈黙。若干重たい空気が場に流れる。


 それを破ったのは綾乃だ。


「そういえば、ヒカゲちゃんとはどうなのさ?」

「今のところ、最悪の流れにはなってないと思う」

「じゃあ、私みたいにはならなそう?」

「そうあってほしいと思ってるんだけどな」


 こればっかりは、どう転ぶかは誰にもわからない。


「ほんと、ワンダーランドってなんなんだろうな」


 何でも叶う夢を見せて、やがて人をそこに閉じ込める。


 心を休めて、もう一度立ち上がろうとした時にはもう覚めない夢の中。


 現実から避難したその先で、やがては現実そのものから隔絶されてしまう。


「夢なら早く覚めてほしいよ」


 触れられるほど近くにいるのに、果てしなく遠い綾乃の存在。


 僕は現実世界に、綾乃は空想世界に、それぞれの居場所は異なっていて、ここでの僕たちは交わっているようで交わっていない。


 夢は所詮夢。現実ではない。ここにいる綾乃は、僕がよく知っている綾乃だけど、現実の綾乃ではない。


 最愛の幼馴染と触れ合って、現実に帰れば空虚な現実を見せつけられる。


 これ以上の悪夢がどこにあるんだろうか。


 青井。正直に言えば、大切な人がいない世界で、僕はどう情熱を持てばいいのかわからないんだ。


 生きがいってやつが、見つからないんだよ。


「なんだと! 私に会いたくないのか!」


 ブランコから勢いよく立ち上がった綾乃は、僕の頭をパンっと叩く。


 痛みはない。夢だから。音だけが静かな公園によく響く。


 だけど、僕は反射的に叩かれた頭を押さえた。


「会いたいから、早く現実に帰って来てほしいんだよなぁ」

「帰る方法がわからないんだから仕方ないじゃん!」

「僕は仕方ないで終わらせたくない」

「無茶を言うねぇ。それがわかれば苦労しないんだぜ?」

「だから僕は苦労してるんだよ」


 そこで、僕の意識にモヤがかかり始めた。


 やはり、昼寝は長くできない。本当は、もっと話したいことがあったのに。


「ねぇ、タカ君……」

「ごめん。もう時間だ」

「……」


 今日の別れの挨拶は、よく聞き取れなかった。

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