第15話 夢見る少女が辿る道⑥

 どこか落ち着いて話せる場所。そして時間も遅い。


 僕たちは某赤いMが目印のハンバーガーショップで晩御飯を買って、近くの公園に向かった。


 街灯が照らすベンチに並んで腰かける。周りに人はいない。


 袋からポテトの香ばしい匂いが出て、僕たちの食欲をそそる。


 なぜ、僕たちか? ヒカゲの視線もハンバーガーの袋に目が行っていたから。


「その……奢ってもらってすみません」

「気にするな。今日付き合ってくれたお礼だと思ってくれ」

「あ、ありがとう……ございます」

「どういたしまして」

「その……本当にいいんですか?」

「なら、次はヒカゲになにかご馳走してもらおうかな」

「そうやって……次の約束を取り付ける作戦ですか?」

「司さんのスケコマシ……」

「……自分で言うんですか?」

「先手必勝だ」

「勝ってはいないと思いますよ?」


 苦笑いするヒカゲに、僕はさっき買ったバーガーを渡した。


 季節限定のてりたまバーガー。実は僕も食べるのは初めてだったりする。


 ヒカゲが美味しそうに食べるのを確認して、僕は話を始めた。


「ワンダーランドはさ、行き過ぎた現実逃避が生み出す世界らしいんだ」

「現実逃避……」

「前に綾乃がそう言ってたから。ヒカゲに心当たりはあるか?」

「行き過ぎたというのは……どこからなんでしょうか?」

「それはわからない」

「そうですか……」


 冷たく聞こえたかもしれない。だけど、それは僕にはわからないことだから。


「でも、綾乃の場合……それはいじめによるものだったよ」

「え……」


 ヒカゲが息を飲む音が聞こえた。


「中学3年生の時だったな……その頃は受験でみんなピリピリしててさ」


 その頃、僕と綾乃は同じクラスだった。


 高校受験。今までは流れるように進学していた僕たちにとって、それは初めての戦いだった。自分の力に見合ったところ、死ぬほど頑張らないと行けないところ、頑張らなくても行けそうなところ。


 選択は様々あるけど、自分の道を自分で選ばなければいけなかった。


 そして、厄介なことに、自分で選んだ道でも、その道を確実に歩めるわけでもなかった。


 みんながみんな、行きたい道へ行けるなら受験戦争なんて言葉は生まれない。


 誰かが掴みとった切符は、誰かが掴みとれなかった切符だ。同じ場所を志した未来の友は、受験においては限られた切符を奪い合うライバルだった。


 その切符を掴みとれる確率は、模擬試験の成績などで暫定的に知らしめられる。


 できると思ってたけど、残酷な結果を示されたり。


 上がらない成績に不安を覚えたり。


 それは、僕たちにとっては初めて直面する感情だった。


「みんなストレスが溜まっていて、それを自分の内側で消化できればよかった」


 僕も勉強ができる方じゃなかったから、必死に勉強をしていた。


 綾乃と同じ高校へ行く。あの時の僕のモチベーションはそれだった。


「でも、そうはならなかった。とある女の子がいじめに遭ってしまったんだ」


 内側で処理できなくなった連中は、周りを破壊することで自らのストレスを発散し始めた。いじめだ。


 クラスの地味な女子をターゲットにして、あからさまな嫌がらせ、無視を敢行した。


 悪いとはわかっていた。


「でも、誰も助けようともしなかった」


 僕たちは自分のことで必死で、他人に構っている暇がなかった。


 いや、それもあったかもしれない。でも、一番は。手を出したら、次は自分がされるかもしれない。その不安だろう


 人間は弱い生き物だ。自分を守るために、誰か一人が生贄になっているのを黙って飲み込んでしまうから。それを責めるつもりはない。だけど、その行いを肯定するわけにもいかない。


「そこで、僕と綾乃が立ち上がった」


 僕と綾乃だけが、いじめに対して意を唱えた。


 こんなの間違ってると、正面を切って立ち向かった。


 人としての正しさを貫き通そうとした。


「真っ向からいじめられっ子を守って、いじめの主犯たちと正面を切って戦ったんだけど、結果としていじめられていた女の子は学校を休んで、そして転校してしまった」


 これから先のことは思い出したくもない。


「そうなれば、次はどうなるかなんて簡単に想像できるだろ?」

「……花森さんがターゲットになったんですか?」

「まぁ、そういうことだな」


 ふと、手元に視線が行く。まだ袋に入ったままのてりたまバーガーがあった。


 取りだして一口。少し冷めていた。


 表面上、イジメはなくなったかに見えた。


 だけど、実は僕の知らないところで綾乃だけがいじめられていたんだ。


 いじめの主犯格は女子。もしかしたら、僕はターゲットにできなかったのかもしれない。女子と男子ではどうしても対格差がある。僕には強く出られなさそうだと、そう思ったのかもしれない。


 とにかく、綾乃が陰でいじめられていた事実に僕は驚いた。


 だって、本当に何の片鱗も見せないんだから。女子の恐ろしさをマジマジと見せつけられた気分だった。


 いじめを黙っていたのは、僕に心配をかけたくなかったから、だそうだ。


「と言っても、ワンダーランドで綾乃に言われるまで、僕は何も知らなかったんだけどな」


 夢なんだけど、ただの夢じゃない不思議な世界。


「……」 


 後悔の言葉を探せば溢れる程に浮かんでくる。だけど、それをここで言っても何の意味もない。僕がただ楽になりたいだけの薄っぺらい言葉にしかならない。


 それでも、今でもずっと喉から出そうになる。


 とある日、綾乃はワンダーランドで僕に言った。


『タカ君……私、もう学校行きたくないかな……』


 夢の世界で、僕に漏らした綾乃の本音。


 ずっと抱えていて、誰にも言えなかった綾乃の本音。


 疲れた時は休んだ方がいい。中学3年が世界の全てじゃない。


 受験勉強は家でだってできる。高校に入ったら、また一緒に学校へ行こう。


 綾乃を抱きしめながら、僕はそんな言葉をかけた記憶が残ってる。


 最初の間違いだった。



『タカ君……私、気づいたんだよ』

『なにを?』

『ここはね、私が望んだ通りになる世界なんだよ!』


 ある時、綾乃は突然そう言った。


『すごいよここ! ほんとにすごい!』


 なんとなく、この頃から嫌な予感はしていた。


 そして、その予感は当たる。



『ねぇ……タカ君。明日は何をしようか?』

『綾乃……最近僕が家に行っても寝てることが多いって聞くけど、大丈夫か?』

『大丈夫だよ。ちょっとこの世界で遊んでるだけだから』

『……そうか』


 なんでもできる夢の世界。


 意味不明な世界なのに、綾乃はそれを気にすることなくさらに没頭していった。


 綾乃は寝ている時間が増えて、僕が家に行っても基本綾乃は寝ていて、僕たちは現実で会う時間が短くなって行った。


 この世界はなにかおかしい。


 そう思っていても、楽しそうにしている綾乃を見ていると僕は口を挟めなかった。


 元気にしてくれているなら、それでいい。


 僕の、ふたつ目の間違い。




『タカ君……私は世界の真理に気がついたんだよ!』

『世界の真理?』

『そう! この世界はね、現実逃避が生み出した世界なんだよ!』

『現実逃避……』


 綾乃は語ってくれた。


 ワンダーランドが生まれるまで、自分はどうしようもなく学校に行きたくなくて、でも僕に心配をさせないために平静を装って学校へ行っていたこと。


 逃げたい。逃げたい。ずっと心に燻って、そんな自分の心が限界に達した時、ワンダーランドが姿を現した。


 そして、ワンダーランドの声が聞こえたらしい。ここは、現実から逃げた先に生まれる楽園なのだと。


 世界の声とか全然信じられないようなことでも、楽しそうに語る綾乃を見ていると、そんな野暮なことは言えなかった。


 元気でいてくれるなら。そう、思っていた。


『この世界はさ、私を助けるために生まれてくれた楽園なんだ!』

『綾乃……』

『……タカ君は、私に逃げるなって言いたいの?』

『どうして?』

『そんな顔してた』

『いや……逃げるのは悪いことじゃないよ』


 それで綾乃の心が守れるなら。


 いつかはきっと立ち上がれるようになるから。


 僕は、この世界の本当の怖さをまだ知らなかった。


 これが、僕の最後の間違い。



 

『ねぇ……タカ君』


 その日、夢の世界で会った綾乃の妙に神妙な面持ちだった。


『現実ってさ……なんであんなに冷たいんだろうね』

『なんでだろうな?』

『私は間違ったことをしてないのに、誰も私を守ってくれない』

『……僕がいるだろ?』

『タカ君しかいないよ』

『充分だろ。僕は、綾乃がいれば他に何もいらないし』

『私は……タカ君みたいに強くなかったから』

『そんなことないさ。綾乃は強いよ。だって、いじめられっ子を守ったじゃないか』

『でも、守りきれなかった』

『それは……でも、綾乃のせいじゃない』

『夢の世界はこんなに優しいのに……』


 この時の綾乃の心は、既に夢の世界に傾倒していた。


 なんでもできるからこそ、ゲームみたいな世界を作ったり、映画のような世界を作ったり、最近は仮想の現実を作ったりしていた。


 仮想の現実。学校へ行ってない綾乃は、この世界で学校へ行って勉強をしていた。


 クラスの仲が良くて、みんながみんな友達で。


 おそらく、綾乃が望んでいた世界がそこにある。


 僕は、そこに言いようもない危機感を覚えていた。


 なにかまずい気がする。言葉にできないけど、僕の本能がそう訴えかけていた。


『タカ君』


 不意に、綾乃が目を伏せる。


『私、最近思うんだ。明日なんか来なければいいのにってさ』

『それは嫌だな。僕は死ぬまで綾乃に面倒を見てもらうつもりなんだから』

『私を養う甲斐性は見せようね?』

『子供を二人作る未来までは想像してる』

『気が早いね』

『それに、高校に行ったときの綾乃の制服も早く見たいし』

『そっか……じゃあ、まだ現実も捨てたもんじゃないね』


 そう。綾乃はちゃんと未来を見てくれていたのに。


 それ以来、綾乃は現実で目を覚まさなくなった。

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