第5話 ヒカゲクエスト④

「夢ってさ、割と意味不明な事態が起きてるはずだけど、普段僕たちはそれを夢と認識できないだろ?」

「……たしかに」


 納得するようにヒカゲは頷いた。


 人は夢を見る。一説によれば、それは記憶の整理と言われている。


 脳内に溜まった過去の記憶や直近の記憶が結びつき、それらが睡眠時に処理されて、ひとつのストーリーとして映像化したもの。それが夢だ。


 だからストーリーラインは無茶苦茶で、なのにどんな意味不明な状況でも疑うことができず、目の前のストーリーが己の意思とは無関係に進行していく。


「でも、ここはこれが夢だと自分たちが自覚できる」


 だが、ワンダーランドは違う。


 夢の中なのに自分の意識がハッキリしているし、無茶苦茶な出来事が起こればそれに対して疑問を抱ける。


 ここが夢の世界だと、自分でハッキリ認識できている。そして、自分の思考に従って行動できる。脳の記憶整理の一環ではなく、僕たちが僕たち自身の意思で生きている第二の世界と言っても過言じゃない。


「あとは、起きても夢のことを全部覚えている」


 夢の内容を覚えている人は少ない。起きた瞬間には覚えていても、それは断片的な記憶でしかなく、その日を生活している内に昨日見た夢のことなど全部忘れてしまう。


 だけど、ワンダーランドは違う。ここで起きたイベントは、現実で目を覚ましても消えることがない。ちゃんとした実体験として僕の記憶に刻み込まれたままだ。


 昼間にやった綾乃との天体観測も、またあとでと約束したことも、僕は覚えている。


「最後に、感触もリアルだ」


 僕はさっき武器屋で買った魔法の杖を取り出した。


 1メートルは越す長さで、先端には魔法の石が埋め込まれている。ゲームでよくある杖。


「僕はこの手で杖を掴んでる感覚をしっかり持っている。ただの夢なら、そういうのないだろ?」

「たしかに、私もさっき司さんの手を握った時もしっかりと感触がありました」

「これが、ただの夢とワンダーランドの大きな違いだと僕は思ってる。まぁ、願えば何でも叶うってのが一番壊れてると思うけどな」


 この世界なら、お金持ちになろうと思えばなれるし、好きな人と付き合っている世界だって作れる。でも、現実に帰ればそれは儚い幻想として消え去っていく。夢は夢。現実に持ち越すことはできない。


「なるほど……」


 ヒカゲは顎に手を当てて考える仕草をする。


「まぁ、正直よくわかりませんが、せっかくなら夢の世界で勇者プレイをするのも悪くないですね!」


 ヒカゲは背中の剣を引き抜いて天高く掲げた。


 勇者の象徴のようなシーン。だけど、


「うわっととっ」


 体制を崩して、そのまま、


「うみゃあ!?」


 僕の身体におもいきりぶつかって、二人仲良く石造りの地面に倒れ込んだ。


「あれ……そんなに痛くないってうわぁ!」


 僕の上でヒカゲが悲鳴を上げる。


「つ、司さんの腕に剣が刺さってます!」


 ヒカゲの視線の先を見れば、たしかに僕の腕に勇者の剣が綺麗に突き刺さっていた。


「ほんとだ。まさか旅へ出る前から味方にやられるとは」

「なんで冷静なんですか! やばいじゃないですか!」

「べつに。全然大丈夫だよ」

「どこが!? やった私が言うのもアレですけど、思いっきりいってますよ!?」

「ちゃんと見ろよ。血は流れてないだろ?」

「……え?」


 剣は確かに刺さってる。だけど、血は一切流れていない。


「この世界、感触はリアルだけどなぜか痛みは感じないんだ。そういうとこはしっかり夢なんだよな」


 夢の中では実際に痛みをほとんど感じないし、たぶん死ぬこともない。


 例えば、謎に銃で撃たれて殺される夢を見ていたとして、銃で撃たれるシーンはあっても、実際に自分の身体を撃たれるシーンまでは存在しない。だいたいそこで場面が切り替わるか、目が覚める。


 崖から飛び降りるシーンがあっても、崖から飛び降りた時の浮遊感は感じても、実際に地面に激突する前に銃で撃たれる時と同様のことが起こる。


 ワンダーランドもそれと同じ。感触はあっても痛みは存在しない。


「はえぇ……」

「夢ってのは都合がいいんだよ。色々とな」

「まさにゲームみたいな感じってわけですか……なら、多少の無茶もできますね」

「それより……ヒカゲって思ったよりもあるんだな」


 実を言えば、剣なんかより僕の意識はさっきからヒカゲのある部分にしか行ってなかった。


 倒れ込んだヒカゲと触れ合っている一部から感じる、とても柔らかい感触に。


「なにがですか?」

「いや、ヒカゲは着やせするタイプだったんだなぁ……と思ってさ」


 視線がその感触の下へと吸い寄せられる。


 感想としては、見た目より弾力を感じる。


「着やせ……っ!」


 僕の視線に気がついたのか、ヒカゲは勢いよく立ち上がり、僕の腕に刺さった剣を抜く。


 痛みがないとわかった瞬間大胆な行動に出るのな。


 というか、どうして僕を殺さんとする勢いで剣を構えているんだろう。


「司さんのエッチ! ケダモノ! この剣の錆にしてくれますよ!」

「待ってくれ。男はみんな心の内にケダモノを飼っているんだ」

「言い訳になってないんですけど!」

「着やせしてる女の子って、脱いだ時の破壊力で男を魅了できるから最強だな。まさに勇者だ」

「そんな勇者嫌なんですけど!」

「ありがとう」

「お礼を言われても全然嬉しくないんですが!」


 ヒカゲ涙目で僕を睨む。


 その時、不意に僕の視界が白く濁り始めて、体から力が抜ける。


「あ、悪い……時間切れだ」

「え? 時間切れ? 急に真面目なテンションにならないでください。情緒が追い付きません」

「ワンダーランドは夢の世界。つまり、現実の僕がそろそろ目覚めそうなんだ」


 となると、もうすぐ朝か。ここは時間の流れがおかしいから、いつ朝になるのか全くわからない。本当に摩訶不思議な世界なんだ。


「ヒカゲはなんともないか? こう……意識がいきなりなくなりそうになる感覚とか」

「私はなんともないです」

「なら、ヒカゲはまだ目を覚まさないってことだ。じゃあ、僕は先に失礼するよ」

「その……明日はどうなるんですか?」


 ヒカゲは急に不安そうな顔をする。


「さぁ……僕にはわからない」


 本人が否定しようと、このワンダーランドを作っているのはヒカゲだ。


 僕はイレギュラーな異分子。世界がどうなるかなんて、僕にはわからない。


「でも、この世界はきっと明日もあるよ」


 僕の知っている範囲ではそうだ。だって、綾乃の世界もまだ残り続けているんだから。


 僕としては、願わくば明日にはどっちの世界も無くなっていてほしいんだけど。


「あの……明日もこの世界に迷い込んじゃったりしませんか?」

「明日も来られるなら来いと?」

「その……一人で冒険するのはつまらないじゃないですか。それに、ここで会ったが何かの縁って言葉もありますよね」


 ヒカゲはなぜか必死に僕をこの世界に繋ぎとめようとしている。


「なんだ……一人は寂しいってか?」

「……はい」


 急に素直な反応をされると困るな。


 冗談でも突き放したことを言ったら泣いてしまいそうな、ヒカゲはそんな顔をしている。


「ま、行けたら行くよ」

「それ絶対来ないやつじゃないですか!」

「本当に来られてもちょっと困るやつな」

「……明日も待ってます」

「それは明日の僕に委ねるよ」


 まあ、なんだかんだ言って、来れるなら明日も僕はここに来るだろう。


 ワンダーランドを生み出してしまったこの少女を、僕は放っておけないんだから。


 だって……僕はワンダーランドの行きつく先を知っているから。


 そうして、僕は今日の夢に別れを告げた。

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