パープル③

 市架がギョッと見たこともないような表情を浮かべる。


「おっ、おにッ──!?」

「鬼?」

「……あ、ううん、……なんでもない……」


 珍しくたじたじの市架だったが、柚希はさほど気にせず街頭ビジョンに視線を戻した。今はそれどころではなかった。

 ──あの人、性別も年齢も内緒にしてるんじゃなかったのか!?

 大画面に映されているのは、男とも女ともつかない美しい人だった。体格はがっちりとしているのに、首はほっそりとして、耳から顎先は丸くすっとしている。だがよく見れば喉にぼこりとした骨に気がつくし、声音もエッジの効いた男声寄りに聞こえ、彼が美女ではなく美丈夫であるとわかる。ベースの容貌が既に完成されているので敢えて述べる必要性は見当たらないが、一応付け足しておくと、彼はプラチナブロンドを胸まで伸ばしており、そのくせ瞳は濃い黒色と、自然とその眼力へ意識がいくような姿形をしている。これで銀髪碧眼とかだったら間違いなく妖精と見紛うに違いない。

 ともかくそんなとんでもない男が現れたので、信号に待たされていた人々があちこちで「きゃあッ」「ひぃっ……」「天使か!?」「スマホ……スマホ……あ〜〜〜」と阿鼻叫喚である。その間にも氏は毒にも薬にもない私語をしていたが、その一言一句が柚希の脳みそに記されていくようで、背中がぞわぞわした。彼は顔を隠して機械音声を使うべき人物である。そのうち宗教とか開かれそうだし。


「あの方は魔導具開発の若き天才と聞いているが……一体何なんだ、急に」


 サラリーマンはワズキとルチカを相手に出来るほどの人物だから、まともな意識を保っていた。なんなら懐からスマートフォンを取り出して録画を始めている。抜かりない。

 柚希は天上の美丈夫をじっと見つめていた。見惚れていたのではなく、嫌な予感がしたから、目を離せなかったのだ。そしてそれは的中する。


『さて、本日の用件は他でもな──』


 氏が本題に入りかけたとき、ゴツ、と何かがぶつかる音が聞こえた。その拍子に画面が切り替わる。妙に見覚えのあるスライドだ。


 “新プロジェクトについて”

 “協賛:迷宮省・ジャパン魔導工学研究所”


『イテテ……おや、眼鏡がどこかにいってしまったではないか!』


 “迷宮初心者講座”

 “探索者ギルドの周知”

 “探索者の資格・資質調査制度の実施”


 ──待て、マジで待って。柚希は叫びだしたくなってきた。いやでも肝心なところはまだ出ていない。まだセーフのはず……


『ふぅむ……やはりスペアを作るべきか? だがなぁ、お気に入りはひとつでいい……』


 ドタバタ。カメラは機能していないが、音だけでも向こう側で何やらやらかしているのが伝わってきた。そしてまた画面が切り替わる。柚希は目を見開き、それから頭を抱えた。


 “リーダー:三沢柚希(ワズキ)”


「あああ〜〜〜!!!!」

「馬鹿ーーーー!!!!」


 柚希がしゃがみこんで絶叫したとき、近くから別の叫び声が聞こえた気がした。それから「まあ……グッジョブだけど……で、でもぉ……!」と地団駄を踏む音も。しかし柚希は美丈夫バカの将来が不安すぎたため、全く気にならず、全速力でスマートフォンを取り出して電話を掛け始める。

 もちろんこれに焦ったのは柚希だけではない。ピリリリ! とドデカい着信音がして、街頭ビジョンの画面がカメラに切り替わって美丈夫を映し出す。


『ん? スポンサーが何か言っているようだね。なになに……おおっと、間違えたァー!』


 またしても画面は切り替わる。今度は三つのウィンドウに分かれており、それぞれの窓にはワズキと会社と氏との間で結ばれていた企画の超重要な部分に関する資料がさりげなーく映し出されていた。もう誤用の意味での確信犯である。処分は免れまい。

 しかし美丈夫はシスコンで、今はややブラコンであった。元来、やれるとこまでやる男。引き際なんて知らない。


 “八月一日、各報道機関へ情報開示”


 この画面は五秒ほど、たっぷりとお茶の間に流出した。

 柚希が繋がらないスマホをイライラとポケットにしまったとき、ようやく氏はイレギュラーを終わらせた。


『いやはや、うっかりうっかり。おや、もう時間かい? すまないな。ではまた次の機会に!』


「何だったんだ……?」


 サラリーマンはスマートフォンのカメラ機能を終了させる。内心、良いものを見たぞ……と思っていたが、子供たちの前に大人の薄暗い顔を見せたくなかったので、さらりと惚けてみせた。なので柚希と市架はコロッと安堵し、「さあ……?」と顔を見合わせた。そのとき、市架の目が物言いたげに柚希を見つめていたので、柚希はそっと目を逸らした。

 実のところ柚希はここまできたらもうわかっていた。氏は、柚希を表舞台から逃さないためにやったのだと。柚希の価値を、未だ高く見積もっているのだと。信頼してくれているのだと。……気がついて、しまった。だから柚希は氏がこれからどんな処分を受けるのか想像し、勝手に胃を痛める。あれほどの天才だ。ひどいことにはならないだろうが、経歴の瑕疵くらいにはなるはず。とんでもないことをさせてしまった。柚希が弱音を吐いたばっかりに……

 柚希はスマートフォンをまた取り出して、“もう逃げません”とメッセージを送信した。この行動を、せめて後悔させないように精一杯務めあげなければならないと。その横顔を見て市架は瞠目する。なんだか顔つきが変わっていた。くす、と甘く微笑み、ゆらゆら揺れる。サラリーマンは蒼い青春を浴び、眩しそうに目を細めた。


 交差点の人々が動揺から戻り、各々の行く先へ歩き出す。サラリーマンは気を取り直した。


「今度こそ、何か奢ろう。都合の良い日があれば教えてくれ。何が食べたい?」

「……オムライスが良いです」


 オムライスは妹の好物だった。柚希は本来の自分の好物を忘れてしまったけれど、それでも変わらないものはある。

 死んだ家族も殺した迷宮も引っ括めて、自分はずっとこの世界が好きなだけだ。妹と父が死んだのが迷宮だからって、自分が迷宮に挑んでいることが冷血だなんて理屈は、ただの詭弁で、こじつけで、それ自体が嘘っぱちですらあって、もっと本質的な問題──自分に自信がないことから目を逸らそうとしているだけだった。

 サラリーマンの差し出した手を柚希が取って、ギュッと握手する。それから名刺を握らせた。


「よし、決まりだな。お嬢さんもどうぞご一緒に」

「いえ、私は遠慮しておきます。きっとお二人で話したいこともあるでしょうし……」

「気を遣ってくれてありがとう」


 サラリーマンが大人の顔をして微笑むと、市架は彼に手を差し伸べた。二人が握手する。

 手を離しながら、サラリーマンはフムと頷いた。


「そうだね。確かに私は、彼に紹介したい人がいる……弁護士という職業はもちろん知っているだろうね?」


 「えっ?」と柚希は目を見開いた。


「まあ、それはいいですね。頑張ってください。応援しています」


 「え!?」と柚希は市架を振り返る。気のせいだろうか。さっきまで警戒されていたサラリーマンが、今は市架と仲良さげに通じ合っている……

 柚希が驚いている間に、サラリーマンは卒なく一礼して雑踏の中に消えていった。どこか機嫌の良い市架とついていけていない柚希だけが残される。

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