炎上③

 そこに石があった。その石は鼠色で、表面はつるりとし、人の背丈ほどもある直方体をしている。石の周りには同じような石がたくさんあったが、その石は誰かにとっての唯一だったことを、刻まれた文字が示している。

 カツン……と靴音が聴こえた。石の前に女が現れる。トップスには乳袋があって、ボトムスは腿の半ばほどしか守らず、その内側にある肉感的な肢体をこれでもかと主張している。男の夢のような女は長いバストを揺らして歩いた。かさりと音がする。彼女の手には花束があった。女はリボンを解いて布を開き、中にある白い菊や百合、蘭などを取り出して、ざりりと音を立てるほど墓石の前に無造作にピンク色の膝をついて、供えた。額と胸に手を当て、首を斬るような動作は、おそらく彼女の世界の聖印なのだろう。画面は青空へフレームアウトする。白煙が細く棚引いて、雲のように消えた。

 ガガッ、とノイズが入る。切り替わった画面は三次元の映像だ。P.O.Bで撮られているそれは小刻みに揺れていて、ふ、と目を覚ましたように暗闇がほどける。すると後ろから見たバスの座席のようなものが映り、それからカメラは小さな膝小僧の上のしおりに移動する。第一学年社会科見学『ダンジョンをけんがくしよう!』。そう銘打たれた行事は、悪夢の始まりだった。

 そこからは記憶が曖昧なのか、切り刻まれたフィルムのように判然としない。小さな垂れ目の女の子が「いいなあ」と言って眉を寄せるシーン。父がカメラに連れ添うように迷宮を歩くシーン。五十人近くを一人で引率する先生、レンジャーのような格好の国家探索者タグをつけた大人が数名、子供達に前と後ろから声掛けをするシーン。探索者がゴブリンを斬り伏せ、悲鳴と歓声が上がるシーン。ぐったりとしてふらふらと歩く視点主は“帰還石”に触れ、父と再会するはずだった。父はいなかった。妹もいなかった。レンジャーは耳元から何かを聞き取り、慌てて迷宮へ蜻蛉返り。訳もわからず子供達は泣き叫ぶ。

 そして一気に全てを飛ばして、カメラは再び墓石を映した。その墓石には“三沢”と刻まれている。小さな箱になった二人を、家族は埋めた。空を見ていた。定点カメラみたいに、空だけが映し出されている。やがてそこが赤やオレンジになると、何かに引きずられるみたいにして帰路を歩いた。

 唐突にムービーが終わってタイトルに戻った。格好良いフォントをタップすると、二次元的なガチャガチャが現れた。無料百連だ。やがて妙齢の女達が現れ、順々に可愛らしい衣装と妖艶なポーズを取って去っていく。最低保証がついているから、最後の一枚はSSRに決まっている。指は楽しげにガチャガチャを回した。画面が切り替わる。真っ白な光の中に現れたのは──


「……え? あ、あれ?」


 カメラのレンズが僕を見ていた。僕の、柚希の瞳は、カメラの横に現れた文字を正確に読み取ってしまう。それはログインボーナスを受け取るために、迷宮に潜るために、修練した成果だった。

 ──家族を呑み込んだ場所を恨みもせず、のうのうとカメラを向ける冷血は誰?



 ハッと目を覚ました。柚希は夢と現実を見極めるようにしばらくじっとしていた。クーラーのブゥゥン……という音が、柚希の耳鳴りを阻害した。柚希は毛布に包まって横になっていた。視界の端にPCがあるから、ここは柚希の部屋だとわかった。

 ……寒い。柚希はガタガタと震えながら身を起こした。クーラーの設定温度はそれほど低くなかったが、頭に家計簿がちらついて、柚希は28℃に上げた。それから習慣でベッドサイドの充電タブを挿されたスマートフォンに手を伸ばしかけたが、ぱたりとシーツに手を落とした。画面を点けるのも億劫だった。今何か言われてしまったら、後を追ってしまうと思った。

 けれど柚希の頭はぐらぐらと覚束なかったから、理性に反して手が脳味噌に操られるようにして動きだし、スマートフォンに触れようとする。少しずつ指先が近づいていく。あと少しで、自分は自分を殺してしまうようなものを目にしてしまう──

 息の根が止まるような一瞬だった。それを遮ったのは、一本の電話だった。

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