先輩②

*

 およそ十年前。


「そうだなぁ、うちの子はその点、心配がいらないからなあ」


 庭先に規則正しく茂る薔薇の生け垣の側、三人の大人が談笑している。思わせぶりな話をしたのは家主の男だ。その横にいるのは彼の妻で、嬉しそうに笑んでいる。そして彼らの正面──敷地と歩道を分ける鉄柵の向こうに、金色の髭をはやした若い男がいた。

 「というと?」と若い男は合いの手を入れた。そうすると女は水を得た魚のように「ここだけの話にしてよ」とあってないような釘を刺し、声を潜める。


「実を言うと……うちの子が、“レベル99の壁”を超えるユニークスキルを持っているみたいなの」


 それを聞いた若い男は、「な、なんだってぇ!?」と大袈裟に驚いてみせた。夫婦は満足げだ。


「そうだろうそうだろう」

「具体的にはどんなスキルなんです? まさか……他者への援護魔法が可能だったり……」


 大慌てで仔細を尋ねる若い男に、夫婦はくすくすと顔を見合わせて笑う。


「そのまさかさ。まあ、政府には“双子同士の信頼で双子同士に機能する”と提出しているがね。だって心配だろう?」


 そりゃあそうだ、と若い男は心の中で嗤った。政府への不信感はいつの世も深いものである。


「では実際は違うんですね?」

「ああ。正しくは、“自分の双子の片割れへの気持ちと同じくらいの信頼を抱く相手に機能するバフ”だ」

「それは……!」


 息を呑んだ……かと思うと、若い男はきょとりと目を丸くした。


「……どの辺がすごいんでしょうか?」


 斜陽で紫立った空にカーカーと烏が鳴く。

 夫婦はぽかんと口を開け、同時に噴き出した。失笑してなお品を残した所作。しかし、そこには隠しきれない傲慢さが滲んでいる。


「いやいや! なんでもない。話しすぎたね。……さあ、そろそろ帰りなさい。可愛い奥さんが待っているよ」

「そんな、まだ九時じゃないですか」

「何年も粘って結婚の約束を取り付けたのに放っておくなんて、出て行かれても知らないわよ?」


 女は冗談めかして言ったが、若い男からすればぞっとしないことだ。彼の新妻とそう歳の変わらない女が言うのならきっとそうなのだろう。「ではまた」と帽子を脱いで軽くお辞儀し、若い男は踵を返し、手を振りながら歩いた。


「今度、きっと会わせてくださいよ、その大事な子供達に」


 「もちろんだ」と家主の男は頷いた。その約束が果たされないことを、若人は知っていた。


 若い男が鈴原夫妻と知り合ったのはまったくの偶然だ。今よりも条件の良いところに転職しようと伝手をあたるうち、彼らと出会い、それほど時間もかからず親しい知人という立ち位置にまんまと収まった。鈴原夫妻は典型的な愚かな善人だった。猫を被るのが上手い若い男にとって、彼らが自分を好ましく思うよう仕向けるのは朝飯前だった。男の手練手管は、まるで俳優やアイドルといった芸能人──あるいは、当時また歴史の浅かった迷宮配信者の上澄みを思わせる匙加減である。彼を疑う者は妻くらいのものだった。そこに惚れたのだが、まあ、とにかく。家庭を持つことになった若い男は、思った訳だ。今よりも良い待遇で仕事がしたい、と。

 鈴原家の双子のユニークスキルを聞いた若い男が、その有用性に気が付かないはずがない。“自分の双子への気持ちと同じくらいの信頼を抱く相手に機能するバフ”──つまり、双子同士の信頼を弱めて別の相手との信頼を強めればスキルの恩恵を与えられる、悪い奴にとって利用価値の高すぎるユニークスキルなのである。男はすぐさまそのことを勤め先の上司にリークした。当然、上司からその上司へと情報は渡っていって、迷宮庁でも特に偉いとある人の指示で双子は非合法な手段で確保されるよう手配された。しかし、警察によって呆気なく実行犯が捕まった。

 ここまでは想定内だ。若い男は鈴原夫妻の財力や人脈を知っていたし、我が子にそれを湯水のように使っているのも側で見ていた。しかし──


「瑠璃市郎。教唆の罪で、逮捕状が出ています」


 思わず携帯電話ガラケーを取り落とした。迷宮庁の中で、若い男は数人の警察官によって手錠をかけられた。

 考えてみれば、ありえないことではない。攫われた双子が警察によって助けられ、実行犯は捕まった。ならば実行犯によって自白が行われているはずだ。そして男の上司は、狡賢い人間である。スケープゴートを用意していて当然だ。ただ、気が付かなかった。若い男は今まで上手くやれていたから。


「私の忠義をお忘れになったのですか……!」

「なんのことだか。……連れて行け」

「……クソ…………!!」


 そのときの上司とのやり取りは何の記録にも残っていない。

 若い男は尋問され、その一ヶ月後に自殺した。娘の誕生日のことだった。



「上手くいくといいね」

「ああ」

「……心配?」

「……うん。大人の世界は、怖いからな」


 “三沢柚希”という名でスマートフォンに新たに追加された番号に目を落としながら、雨観うみが呟く。


 雨観と花鳴のかつて傲慢だった両親は、双子を誘拐犯から取り戻した後、冷たくなった。

 双子は怒った。花鳴は数えるほどしか爆発させなかった癇癪を毎日のように起こし、雨観は子供部屋のクローゼットに延々閉じこもった。それでも両親は彼らを二度と抱き締めなかった。それどころかシッターを雇って持ちマンションに双子を突っ込み、自分達は海外の仕事を取り付けることに執心し始める。

 双子は賢かったのでアプローチを変えた。両親の考えていることを知るために、彼らの会話を盗み聞きすることにしたのだ。そして明晩、彼らは理解した。彼らの両親は何もかもを悔いたのだと。自分達の傲慢さがきっかけで自分より富める者にウミハナを狙われたために、我が子と愚かな自分たちが関わることは良くないと思いこんで自分たちを責め、手厚く放任するようになったのだと。


 花鳴はなは、その番号にお気に入りマークをつけ、にっこりと咲う。


「ボクたちもたくさん先輩方に揉まれたけど、なんとか上手くいった。あの子もそうなるよ」

「……ん。そうだな、そうだといいな!」

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