覚悟
博士と聖人①
「三沢。今日の放課後カラオケ行かね?」
昼下がり。教壇のところで横並びに座って弁当箱を広げる男子達の真ん中にいる、一際顔立ちの整った青年が柚希に声を掛けた。ニッ、と放課後を待ちわびるような笑顔にはチャーミングなえくぼがあり、その言葉が社交辞令でないことを物語っている。
「あー……ごめん、用事あってさ」
「マジか。おっけおっけ」
青年はすぐに引き下がったが、その周りは「最近付き合いわりーよな〜」「それな! バイトでも始めたん?」と唐揚げやら卵焼きやらをモグモグしながら突っついてくる。
まあね、と軽く流そうとしたとき、端っこのお調子者っぽい坊主の青年が意気揚々バラした。
「俺知ってるぜー。こいつ、ルチカの彼ピらしい」
教室中にどよめきが走った。柚希は最前列の席で頭を抱えた。まあ、遅かれ早かれではあったが……そもそもヲタク系には既にまとわりつかれているし……
“彼ピ”の語尾にハートマークがついていただろうことについては言及せず、柚希が「そういうんじゃないよ」と困り笑いをすると、真ん中の青年が口の端にマヨネーズを付けたまま「でも知り合いではあるんだ!?」と目を輝かせる。
「へー。三沢、やるときはやる奴だもんな」
「やらないときはやらないってこと?」
柚希はわざとむくれた顔をする。柚希は自分が甘ったれた素振りを見せると、周りが「まあまあ落ち着いて………」とやにさがるのを知っていた。ここぞというときの必殺技。普段物分りのいい子はそういう役得があるのだ。柚希は臆病なくせにこういう匙加減だけは上手い。おかげでワズキの検索サジェストには「ワズキ 可愛い」「ワズキ こいつならいける」「ワズキ 犬」などが並んでいる。
目論見通り、男子達は「ったく……」みたいな顔で教壇に座り直す。聞き耳を立てていた一部の女子が「てかメッセやってる?笑」と野次を飛ばし、それに話を聞いていた大勢が「現金かッ!!」とウケたことで、この話はおしまいという雰囲気になり──しかし、オチを華麗に塗り替えていくのが冒頭の青年である。
「で、放課後だけど……」
「だから用事があるんだってば〜……!」
ダハハ! とお調子者男子が米粒を飛ばして大笑いし、女子がキャラキャラ笑った。これぞ天丼。こういうところを見習っていきたいものだ。柚希は素直に感心しつつ一緒に肩を揺らし、ふと気づく。クラスメイトはスマートフォンで調べもせずお調子者男子の言うことを鵜呑みにした。もしかすると……?
ちら、と男子群を見る。真ん中の青年は苦笑い、お調子者は下手なウインク、その他はニヤニヤとしていて。振り向いて教室の隅を見ると、ヲタク系のクラスメイトが居心地悪そうにしている。なるほど。柚希は珍しく教室の中で脱力し、ふっと笑った。
「来週末は遊ぼうね」
「その日は部活あったような……」
「同じ帰宅部でしょ!」
言いながら柚希は机越しに手を伸ばす。意図はちゃんと伝わって、ゴツンと二人の拳がぶつかった。
PCの右下にあるデジタル時計を固唾を飲んで見守る。プロになるかは置いておくとしても、迷宮工学の成果物を享受している者として、かの氏に声を掛けられたら出向かないわけにはいかない。そのため柚希はメールにすぐさま返信し、その後何度かのやり取りの中でWeb会議の約束を取り付けた。その過程で柚希の検索履歴は「敬語 使い方」「拝読 尊敬謙譲どっち」「ビジネスメールに拝啓は必要か」などで埋まり、メールの下書きは二桁回数更新された。
氏の目的は柚希に何らかの重要な頼み事をすることらしい。中身については先方が直接話したいと譲らなかったので、柚希も知らない。相当大変なことでなければ請けたいと考えているが、一体何を言われるやら。柚希はネクタイを締め直す。あちらからこちらへの画面共有はするものの、基本的に音声のみの通話、と聞いている。そのためカメラは必要ないのだが、万が一ということもあるし、何より礼を逸する真似はしたくないので制服を着ている……いてもたってもいられずに一時間ほど前から。
柚希はまんじりともせず画面を見つめる。浅い呼吸をしたとき、デジタル時計の右二文字がゼロになる。──時間だ。
『やあやあこんにちは』
機械音声のような不自然な声色がスピーカーを揺らした。柚希は「こんにちは」と頭を下げ、自己紹介した。氏はそれを無視して喋りだす。
『今回のコンタクトの理由は他でもない。……
いきなり本題。氏の話の運び方はあまりに性急だった。柚希は一瞬理解が追いつかず、しばし言葉を反芻する。それから眉を寄せた。
「それはつまりどういった──」そう返事しようとしたら、また氏は柚希の言葉を聞かずに次へ行く。
『君のことは調べさせてもらった。三沢柚希十七歳、高校生、好きなものはギャルゲー』
「ほあっ!?」
がたんと音を立て、柚希が椅子から転げ落ちた。
『冗談だ。そんなことまで調べはつかないが、その反応だと当たらずしも遠からずといったところかな?』
ぐぬぬ。柚希はくるくると回るデスクチェアに手を伸ばし、上半身を乗せ、息も荒く着席する。
それから耳に飛び込んできた言葉で呼吸が止まった。
『そして……母子家庭で、かつては妹と父親の四人家族だった』
柚希は胡乱げに画面を見つめた。氏のアイコンを囲う緑の円が途絶え、しばし沈黙する。
絞り出すようにして吐き捨てたのは、子供じみた自虐だった。
「……妹を守れなかった僕に何か用でも?」
『はっはっは。それが本性かい? まあいいさ、そんなことは』
「“そんなこと”ですって!?」
思わず声を荒げるが、一方の氏は冷静だ。
『違う。誤解を招く言い方だったな。すまない。そんなこと、というのは君の本性についての指摘だ』
「……すみません」と柚希は居心地の悪い顔で椅子に座り直した。家族の死を軽んじられたと激高するあまり、いつの間にか立ち上がっていたらしい。
『……しかしだな……』
画面の向こうで、氏が言葉を選ぶように黙り込む。柚希はマウスを握りしめた。
肝心の柚希がこの調子だ。氏の自由過ぎる姿勢に責がないとはいえないが、これだけ反抗的な一面を知ったなら要件とやらを聞かせる気はなくなったのだろう。氏からは一言だけ内容のヒントをもらっている。迷宮による犠牲の抑止に関することだよ、と。それは命を取り零した柚希にとって、否が応にも興味を惹かれる言葉だった。短慮への後悔に唇を噛む。
『妹君を守れなかったことは──』
氏が口を開く。柚希はぱっと顔を上げ、睨むように画面を見つめた。
『君にとって重い記憶なのだろうが。しかし……大人である我輩からすれば、そうではない。子供が子供を守れないのは当たり前のことだ』
瞠目する。見縊られたとは思わなかった。噛みしめるような声音が、ただ沁み込んでくる。
喪失の痛みがありありと蘇りそうになったとき、マイクから「だからこそ」と過去を超えていこうとする力強い声が聞こえた。
『君のような犠牲者……ダンジョンが無ければ起こらなかった悲劇の体験者が、これ以上苦しまなくて済むよう、我輩の手で取り計らわなければならない。そうは思わないか?』
我々の、とは言わなかった。氏はあくまでその責任が自分の側にあると考えている。それが言外に伝わってきて、柚希は歯噛みした。僕の苦しみは僕だけのものだ。そう言ってしまいたかった。だが妹を亡くしたときの母親の顔を思い出し、口を噤む。切り替えろ。
「……それで、どうして僕なんですか? あなたの理屈で言えば僕は犠牲者なんでしょう? まさかあなたほどの立場の人間が、犠牲者一人一人にカウンセリングのようなことをするはずもないでしょうし」
『言ったろう。“ダンジョンによる犠牲を減らすために、君に取り組んでもらいたいことがある”、と』
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