予感
「……………………は?」
ストーカーは未知の言語を耳にしたみたいに額ごと眉を寄せて柚希を見下ろした。
人間だと、生き物だと、自由意志のある存在だと思っていないから、自分にとって都合の良い解釈を押し付けることが出来る。それで傷つけても、彼女が傷ついていることにすら気づけない。
柚希は突発的に自分の喉に脳味噌が宿ったような感覚で言葉を続けた。人を傷つけるために行動したのは、はじめてのことだった。
「偶像崇拝って言うんですかね。そのくせ女としては見てて……何がしたいんですか? あなたの“それ”は、蛸を食べないでたこ焼きを語るよりもつまらない……下らない行為だ」
「ッ、……何わけわかんないこと言ってるんすか。ははは……」
ストーカーは柚希の目を見て笑う。でもその意識は柚希ではなく、きっとルチカを見つめていた。自分のためのルチカを。この人には何を言っても伝わらないのだと柚希は喉がキュッと引き攣った。また泣きそうになった。
「…………ご馳走様でした」
「え? あ、はーい」
相変わらず部屋干しした洗濯物みたいな半笑いでストーカーが手を振る。柚希はお辞儀もせず、美味しそうじゃないたこ焼きの袋を握りしめて歩いた。
ばたんと玄関扉を閉めた瞬間、背中をドアに凭れながらずるずると落ちていき、その場でしゃがむ。言い過ぎたかなと反省出来るほど柚希は人間が出来ていない。でも、慣れないことをして、少し疲れてしまった。
ちまちまと靴を揃えて家に上がり、マイバッグをキッチンのテーブルに置いた。いま必要なものとそうでないものをさっさと分けて、夕飯作りに取り掛かる。窓辺の時計の長針が半周ほどして料理が完成した。母の分にはラップをして冷蔵庫に入れ、自分の皿やコップをおぼんに乗せてどたどたと階段を上がり自分の部屋へ。ちらりとベッドを見て逡巡したが、野菜やクリームを鍋で煮込んでいる間に食欲は戻ってきていた。あのたこ焼きはさておき──中身がまともなのか不安だし──、自分の作ったものなら今すぐに食べたい。
がたがたと窓が鳴る。もう夜だ。カーテンを閉めるとき、外の雨脚が強くなり始めているのが見えた。さっきまで穏やかだったのに。明日は晴れるだろうかと不安定な空模様を思いながら、おぼんをデスクに置いて自分も座る。白いボウルを覆うドーム状のパイにスプーンを入れると、さくりと音を立ててきつね色の生地が中のとろりとしたクリームシチューに沈む。掬って食べると胃の中から温まる気がした。美味しい。
柚希はパイとシチューを混ぜ合わせながらスプーンを進めていき、左手では行儀悪くPCを操作した。ライブ配信サイトのユーザーページから配信の収入状況をチェックする。配信を始めてからずっとうなぎのぼりだったが、最近は落ち着いてきていた。特に問題はないのでSNSとメールボックスを開く。ざっと見て、こちらも変わったところはない──そう思ったとき、からんとスプーンが落ちる。
「え……これ、本物?」
気になるものが二つ。まず、メールボックスの一番上に、柚希でも聞いたことのある小規模ストリーマー事務所から連絡が来ていた。開いてみると、それは所属の誘いだった。
それだけではない。
「さすがにこっちは偽物……だよね……」
堅苦しい印象を受けるビジネスメールのタイトルと文面。また取材だろうかと疑わなかったのは、送信先と、その冒頭に書かれた名前からだった。
柚希は念の為、インターネットで検索をかける。記憶違いかと思ったのだ。しかしやはり、その人だった。迷宮工学の第一人者で、あのカメラの魔導具を開発した、本名も何もかもトップシークレットの──そんな人がどうして自分に?
疑わしそうな目つきで画面を見つめる。ブルーライトがそんな柚希をじっと見つめ返していた。
*
ダカダカ、と青軸のキーボードが軽やかとは言い難い音を鳴らす。毛の生えた指が一瞬止まった。暗い部屋の中で、男もまた目に悪い光の中のメッセージを食い入るように見ている。とあるダイレクトメッセージ。目に留まったそれをクリックして数秒後、二つあるディスプレイのうちひとつにそのメッセージが広がった。男がにたりと嘲笑う。
彼の頬を青く照らすもう片方のディスプレイに表示されているのは、ありふれた表計算ソフトだ。しかしそこに並ぶデータは異質だった。名前、年齢、性別、そして──
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