怪物のダンジョン 後編⑥

「嘘……」


 ルチカもまた震え上がりながら、しかしハーネスで繋がったハナは離さない。柚希も同じだ。バジリスクが再び舌を出して息をした瞬間、二人は左右に飛び退いた。ずさ、と着地したと同時に、さっきまで二人のいたクリスタルの周りはぼろぼろに砕けていた。ただの吐息だけで草をも枯らし石をも砕く。そしてその毒は──

 柚希は反射的に剣の切っ先を蛇の鱗の隙間に深く刺し入れそうになり、「駄目!」と鋭く叫んだルチカに救われた。ぷつりとバジリスクの尻尾の表面に浮かんだ紫色の毒は、たらりと地面に垂れ落ちた途端、その場に穴を空けた。岩よりも硬いとされる特殊な迷宮鉱石をほんの一滴でいとも容易く融かしてしまう。この毒の飛沫に触れたが最後、柚希は死んでしまっただろう。柚希は地上まで剣を抜かない覚悟で鞘に仕舞った。かちんと音がして、柚希はその場を飛び退く。突風のような息吹。そして、そこは砂漠のような死をもたらされる。

 斬り裂くスキルは駄目だ。凍らせたり、燃やしたり。さっきはそういうふうにしてじわじわ殺していった。でも今は、と柚希は首の後ろのあたりにある丸い温度を思う。柚希の魔法スキルは直接的な攻撃ばかり。ウミのように、一発逆転したり、ちくちくと嫌なことをしてくる、そういった柔軟性がないのだ。


「ぐ……」


 三度バジリスクの息吹を避けたとき、ウミがとうとう起きた。柚希の首を絞めんばかりに腕に力を入れて「はあ!?」と叫ぶ。


「状況──いや、バジリスクに防戦一方ってとこか。マジか……」


 ウミが歯噛みする。


「悪い、オレ、まだ身体が動かないんだ……このまま背負ってもらいながら魔法を撃つしかない」

「わかってます。そうしましょう」


 意識を取り戻してからも重みが大して変わっていない。疲労により痺れのようなものがあることは想定していたし、むしろこの程度なら問題ないし、なんだかいけそうだ。ウミならどうにかしてくれる。そんな信頼が柚希の中には芽生えていた。

 部屋の対角線上にいるルチカの方も、ハナが起きたことがわかった。


「降りる……っ!」

「降りるな! 流石に無理だよ!」

「でも、もうルチカちゃんの体力が持たないよ! ボク重いし──」

「重いけど大丈夫!!」

「重くないって言ってよぉ!!」


 キャットファイトだけ聞いていれば余裕がありそうに見える──おそらくカメラを意識して意図的にそう振る舞っているのだろう──が、ルチカは遠目からもわかるほどに青い顔をしている。バジリスクに撃ち込まれた光魔法も、表面をじりじりと炙ったくらいの威力で、一度目に相対したときとは雲泥の差だ。あのときは一撃でバジリスクの目を潰していた。

 柚希の背後からウミの弱い水魔法が飛び、バジリスクの顔にばしゃんと落ちる。柚希はそれに氷魔法を施してバジリスクの口が開かないよう固めた。これで数秒は保つ。「次は──」とウミに尋ねようとすると、それより先にウミが硬い声で囁いた。


「ハナのところへ行ってくれ」

「え?」

「頼む」


 ウミは魔法を使っている。つまり気力は残っているから、丨切りユニークスキルは機能しないはずだが……柚希は眉を寄せつつ、地面を蹴った。背中で噴き上がった水飛沫に気づかないふりをして。

 ルチカはバジリスクに魔法の杖の切っ先を向ける。次の瞬間、爆破されていたのはカメラだった。ハナも自分のカメラを後ろから軽く殴りつけて、レンズの下側にあるスイッチを切り替える。どちらのカメラもこれでOFFモード、向こう側からやってきた柚希とウミのカメラも多少手荒くはあるが切れているようだ。

 柚希はルチカがこちらを見ていないことに気づいた。彼女は何かを決心するような顔で、ウミとハナを見つめている。双子は鏡合わせのように向き合った。ウミがハナに手を伸ばす。手を繋ぐのか? これだけの満身創痍でも『ユニークスキル』は発揮出来るのだろうか。柚希が怪訝そうに見ていると、ハナも兄へと手を伸ばした。こつんと拳同士がぶつかる。


「いける!」

「……大丈夫、かな……?」

「きっとね。最悪の場合は私がなんとかする、絶対に」


 やっぱり、と柚希は目を細めた。彼らの中には何か起死回生の一手があるのだ。

 三人はいっせいにこちらを見た。柚希は何もわからない。でも、わからないなりに微笑んでみせた。微かな疎外感。しかしそれを上回る、三人への期待。信用。

 ウミとハナは顔を見合わせ、しばらくして頷き合った。やはりこの二人が鍵らしい。でも一体──。柚希は黙って見守った。「シューーッ」と音がしたので一度バジリスクに男子組で魔法スキルを叩き込んで黙らせて、それから。

 ルチカはハナをゆっくりと地面に降ろした。ルチカの細く筋張った手と、ハナのもっちりとした厚みのある手が繋がれる。すると彼女達は光り輝いた。その燐光は、さっきのウミとハナのものとそっくりだった。ウミのときは水のせせらぎを瓶に詰め込んだような清涼な光だ。しかしルチカのそれは、太陽の雫と空の反射光を混ぜ合わせたような鮮やかなもので、それはハナの百花繚乱の絶景を写し取ったみたいに華やかなものと重なり合い、そしてノイズが走る。


「行くよ……!」


 胸の大きいルチカ、あるいは背の高いハナ。そんな具合の美しい少女が魔法の杖をバジリスクに翳す。


「『ライトアピアランス』」


 出現したのは白銀の雄鶏達。彼らは一斉に雄叫びを上げた。今にもその人に噛みつかんとしていたバジリスクはまるで石になったように動きを止め、苦しむ。その隙を見逃す彼女達ではない。


「『ライトリッパー』」


 バジリスクが四方八方へと引き裂かれる。鰻の解体を思わせるが、人間が鰻を処理するのと同じようにあの巨体を自由に引き裂くのは、並大抵の者が出来る所業ではない。

 しかしバジリスクの身体には毒の血液が巡っている。それを無理やり裂いてしまえば、周囲にそれらが飛び散るのは当然のことで──


「『ライトウォール』」


 つまり、その人もやはりわかっていての所業だった。オーロラのように棚引く光が柚希達とバジリスクを遮った。そして杖の先だけを向こう側に出し、ペンキのような毒を被りながら、トドメを刺す。


「『ライトバースト』!!」


 さっきの鱗を炙るだけに終わったそれとは違い、今度の光はバジリスクの骨の髄まで浄化の炎を灯した。


「シャーーー……!!」


 バジリスクは最後に息吹を放ったが、それが届くことはなかった。大きなとぐろが崩れる。焼け焦げた身体が倒れ伏すと、ズズン……と地鳴りがした。焦げた紙片のようにポリゴンが空気に漂う。そして、バジリスクは魔石をドロップした。

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