怪物のダンジョン 後編④
ぽう……とあちこちでペールカラーの光が灯る。柚希とルチカ、ウミによって最低限の体制を整えているのだ。でも足りない。スキルで治療は出来ても、気力は自前だ。ポーションや聖水のように金で買うこともできない。そんな状態で、また視界が暗転した。
ダークドラゴン。それは下層の特に深いところに多数生息している、幅・高さ五十メートル以上の西洋竜だ。その黒曜石のように黒い鱗はただのナイフでは歯が立たず、しかし闇属性に強く偏っていることにより、いくつかの個体は物理法則を無視して階層を跨ぎ移動することが出来る。つまり徘徊系モンスターであった。
ルチカによって打ち上げられた疑似太陽が、戦闘開始の合図だった。眩んだ目玉と目玉の間にハナの拳が炸裂し、柚希の炎の剣がダークドラゴンの尻尾に突き刺さる。しかし敵は怯まない。
ぎちぎちに生えた牙がハナを捉えようとしたとき、ルチカの光の鎖がダークドラゴンを縛り上げ、無防備に半開きになった
「ギュッ!? ギョアアアアーー!!」
ダークドラゴンの口の中で熱気が爆発する。ウミがこちらに一瞬だけウインクしたので、柚希も目を細めた。
「ギャオッ! グルルルァアアーーー!!」
鼓膜の破けそうな咆哮に、思わず瞬きした。背骨をびりびりと震わせながら次に目を開けたときは、既に闇の中だった。
「がっ!?」
大きな衝撃の後、壁に何かがぶつかったような音と誰かの高い呻き声が聞こえた。ルチカかハナ、もしかするとウミかも。柚希は杖の役割も担っている剣を握りしめ、光属性のスキルを使うためにコンマ数秒力を込めるが──
「ッぐ……!!」
次に狙われたのは柚希だった。最後に目にしたのは力強くしなる太い尻尾で、そのことからルチカは無事だったことがわかったが、柚希の意識はそこで途絶えた。一瞬の気絶に思えた。実際のところ、どうだったのかはわからない。けれど、次に意識が戻ったとき、状況は既に最悪だった。
柚希が目を開けると、まるで宙に浮いているかのように地面から数メートル高い位置にいた。驚いて身じろぎした途端、肩や腰のあたりからばらりと何かが崩れるような音がして、柚希は地面に叩きつけられた。なぜか上手く身動きが取れなかったので受け身も失敗している。柚希が肩越しに振り返ると、そこには罅割れた壁があり、柚希くらいの大きさの型が取れていた。あそこにめり込んでいたようだ。柚希の足元をちろりと照らす赤い鉱石のようなものがあの型の部分にも迫り出していたなら、柚希の腹は破裂し、心臓も貫かれ、死んでいただろう。
だが今は恐怖に浸ってもいられない。よろよろと立ち上がって四方に視線を巡らす。部屋の真ん中には相変わらずダークドラゴンが陣取っており、その脇にルチカが倒れ、側の壁際にはハナが、そして今しがたウミも鋭い爪を避けそこなって──それでも腰を反らしたことで直撃は免れたが──天井に打ち上げられ、そしてどさりと落下した。ダークドラゴンの真上には光の太陽が浮かんでいる。そのため、ダークドラゴンは咆哮による攻撃を行えていないし──例えばフレアドラゴンならば炎を吐く──、視界も暗くならない。
少なくともルチカは生きている! そう思ったとき、ドラゴンがその場で足踏みした。ルチカを踏み潰したいようだった。柚希は思わず駆け出すが、ダークドラゴンはいつまでたってもルチカの頭の横にすら爪先をぶつけられない。柚希はルチカを攫うように抱え、足を引き摺りながら、クリスタルの近くに彼女を置いた。するとダークドラゴンは首を不自然に傾けたり前足をふらふらさせながら、こちらに顔を向ける。柚希はそこでようやく気がついた。ダークドラゴンの目がぐずぐずに潰れている。きっとハナがやったのだ。
そしてそのとき、柚希のぶつりと切れたアキレス腱がゆっくりと伸び上がって元に戻った。痛みが薄れる。柚希が慌てて足を見下ろしたとき、そこには青い残光があった。ウミも生きていた。生きていた! 柚希はたまらなくなって、ボトムスのポケットをまさぐった。一番大きな魔石が指先に当たって、柚希はそれを自分の型の残った壁に投げつけた。かつんと落ちるのを見ている暇はない。ダークドラゴンが型の壁に走り出す。その側をすり抜けて、柚希は壁の側でだらりと身体を横たえたハナの元に駆け寄った。手首で脈なんて取っていられない。柚希はハナの首筋に手を当て、豊満な胸に耳を当てて、空いている方の手で剣をきつく握りしめて『アクアヒール』を放つ。青い光がハナに吸い込まれていく。睫毛が微かに震える。ハナの目が開いた。
「じょう、ッケホ、状況は!?」
「みんな生きてる。僕はあいつの相手をするから、君はこれを」
柚希は顔を真っ赤にしながらそう言い捨てて、こちらの声を捉えてしまったダークドラゴンに駆け出していった。
……生きていた! みんな、生きていたんだ!
宣言通りに剣を払って、盲いたダークドラゴンの前足を切り落とす。ダークドラゴンはバランスを崩してよたよたと前後に傾いた。その後ろを、上級ポーションを抱えたハナが駆け抜け、ウミに一本、ルチカに一本、一滴も残さずに注いだ。柚希はその様子を見ながら、絶えずダークドラゴンに傷をつけた。膝が笑っていた。逃げる気はなかった。感情も、損得勘定も、柚希がこの場に残る方を選択させた。柚希は残りたいと思える人としかパーティを組まない。
がくんと崩れ落ちたのは、ウミがしかと立ち上がったときのことだった。ウミとハナが手を繋ぐ。柚希の首に食らいつこうとする牙が見えて、柚希が這いずるようにして逃げ出そうとすると、いつの間にか回復していたルチカがその手を取って引き摺るように走った。ルチカのショートパンツはずたずたに引き裂かれていて、柚希は思わず自分視点のカメラに手を伸ばしかけたが、それより先にもっと驚くべきことが起こった。
「──『二人でひとつ』!」
詠唱の声が重なる。見上げると、ハナもウミもどこにもいなかった。代わりに一人の子供がいる。女とも男ともつかない、中性的な外見。しかしその人は少し癖のあるふんわりとした茶髪で、片方の目は水色、もう片方は桃色、拳には包帯を巻いていて、勝ち気だけど油断のない表情を浮かべている。まるでウミとハナを混ぜ合わせたような。
柚希が見惚れているうちに、その人は地面を蹴り上げて宙に飛んだ。あのビルのように大きいダークドラゴンよりも高いところで、その人は拳を握る。その小さな手首の周りには水流が渦巻いていた。そしてそれが両腕を広げても足りないほどに大きな流れになったとき、その人は拳を引き、突き出す。重力はその人の味方をしている。インパクトの瞬間、滝の前にいるような冷たくて気持ちの良い飛沫が上がった。その水滴と霧が晴れたときには、もうダークドラゴンは頚椎の辺りを貫かれて死んでいた。柚希はルチカに手を掴まれながら唖然としてそれを見ていた。自分事のように少し自慢げに微笑んでいるルチカを見ていたのはカメラだけだった。
「……し、しにゅ……」
可憐で苛烈なその人がそう呟いたとき、柚希は我に返ってその人に駆け寄った。その人は柚希のユニークスキルで起こる燐光と似たような光を発しながら、柚希の胸に倒れ込んでくる。そして一人の子供を抱きとめたと思ったら、それは既に二人に増えていて、柚希はたたらを踏んだ。柚希の腕の中でウミがぐっすり眠り、ハナがくったりと目を閉じている。
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