怪物のダンジョン 後編③
中層のボス前最後の九十九階層は、鼻が利かなくなる悪臭を纏ったトロールを引き連れ、これまた鼻の曲がりそうなゾンビソルジャーが現れる──その繰り返しだ。ハナと柚希が弱らせたトロールをウミの水魔法が滝のような一撃で貫いた。ウミは精密な操作よりも水流の強さや水量の多さが売りという感じだ。柚希は連戦の中でそれを理解したとき、じゃあやっぱりさっきの心配は当たりかねなかったんじゃないの!? と思ったが、口にはしなかった。それは、
「『ライトヒール』!」
ルチカのフォローが完璧だからだ。柚希は羽根のように軽くなった足でソルジャーの兜を蹴り上げ、その全身を剣の錆にする。
蝶のように舞い蜂のように刺すハナと、後方から大胆不敵に遊撃するウミ、そしてそれをフォローするルチカ。彼らとの戦いは柚希が無駄な気を遣う隙すらないほどやりやすい。ウミとハナはコンビとしても優れていて、以心伝心したチームワークがある。四人全体として見ても、二人だけで固まった動きをするのではなくて、新しく組む柚希とまで息を合わせてくれる視野の広さがあった。
[ここに混ざれるのはお前くらいだわ]
[ヒュウ、一般人の星〜〜!]
[冷静に考えると一般人ではないけどな……]
ルチカは二次元から飛び出してきたかのように美しく、そして三次元的な現実感のある性格で心まで魅了してくる、まさに完璧な美少女だ。そしてハナは口ぶりこそ引っ込み思案な節があるものの、実際の行動には積極性があり、そのギャップが胸を打つ。ウミは黙っていれば薄幸の美少年にさえ見える非現実的な男なのに、言動はどこもかしこも元気一杯で、そんなところまでどこかゲームのキャラクターみたいに格好良い。
これだけのプロが集まると、画にも華があって、音声も賑やかで、何もかもが満ち足りている。柚希がいなくても。だから少し肩身が狭いのだけれど、少なくともコメント欄は好意的に応援してくれているようだった。
「──そういえば、ワズキさんのユニークスキルってどんななのなの?」
三叉の曲がり角に出くわし、迷路じみた迷宮の地図を描いた青い線の“路”を確認していると、不意にハナが尋ねてきた。
柚希は“路”に目を落としたまま出来るだけ動揺が顕にならないよう「あー……」と間を繋ぐ。
「すみません、その……」
目線で赤い線を辿る。宝箱がいくつか。青い線は安全な道、赤い線は死にかねない道を意味する。だからこの行為に意味はない。
「ううんっ、ごめんなさい」
「個人情報だもんな。すまん、迂闊だった」
不自然な沈黙で暗に拒絶すると、ハナはすぐに追及をやめ、ウミも空気を軽くしてくれる。柚希は顔を上げてふわっと笑った。
[ウミハナチャン! 実はまだ出会って一日目なんですョ!]
[打ち解けてきたからな〜]
[でもユニスキは避けといて正解じゃない? 何人の配信者がこの話題で揉めたか……]
ユニークとはいっても、大抵はありふれたスキルだが、中には本名や性格などの実際的な人物背景に深く絡んだものもある。そのため、ユニークスキルを無理に暴き立てたり暴露してしまうことはモラルに反するとされ、時には縁を切られるほどに嫌われる行動だ。
しかし、いまのウミの言動なら配信者として正解ともいえる。そういった独自性を売りにする配信者は数多く存在するため──ルチカも“映え”に使っている──、ウミのこれは良いアシストだったのだ。リスクを取ってでも柚希に見せ場を作ってやろうという老婆心とも取れる。そのため、柚希は愛想ではあったが笑みを返した。二度と触れてほしくないので線引きはしたけれども。
「いえ、こちらこそ配信者なのに細かくてすみません……」
「そんなことないですよ。ボク、ワズキさんのそういうところ、安心します!」
どういうところだ? 柚希はやや困惑しつつ微笑んだ。
装備が砂だらけに、四肢は傷だらけになるまで扉をくぐり続け、三時間と少し。柚希は百階層のボス部屋でバジリスクの皮を手に入れた。ボスのドロップは人数分出るので、その中から欲しいものを貢献度順に分配するのだが、今回は柚希のパーティ入りを祝して……と三人に魔石を取られてしまったのだ。
「いつの間に正式にパーティに入ったことにされたんですか!? まあ光栄ですけども……」
「ふえ? 本当っ? ワズキくん、これからもパーティ組んでくれるってこと……?! えへへ……嬉しいなぁ」
もちもちのほっぺを両手で押さえてハナが顔を綻ばせる。柚希はまた顔をじわっと赤らめ、もしかして“パーティ入り”というのは今日限りのご新規さんとして接待プレイをしてくれただけだったのか? と嫌な汗をかきながら「いや……その……」と言葉に迷った。その様子をルチカとウミがにんまりして見守っている。こちらは誤用の意味の方の確信犯だ。
「ち、違うの……?」
「いやいや! 入ります、入りますとも!」
「わーい! ボク一人で前衛するの大変だったんだよぉ、お兄ちゃんは好き勝手に動くし……。だから嬉しい! これからもよろしくね!」
ハナがにぱっと笑う。正しい用法の確信犯に言い包められ、柚希は眉を下げたのだった。
とはいえ、柚希は彼らと組むことに初めから異論はない。カメラの前では流されやすい面ばかり映されているが、普段の生活において柚希は人の誘いをちゃんと断れる男の子であるので。
「でも私達に急についていくのは大変だし、少しずつでいいんじゃないかな。ワズキくんは何歳だったっけ? 受験とかもあるかもしれないし」
「机に向かうのは苦ではないので、普段からやってます。だからそれほど追い込まれてはいませんよ」
「ルチカと同じタイプだな!」
「そうなんですね」とやんわり流し、柚希とハナが扉を押した。すぐ後にウミとルチカもやってくる。「ごめんごめん」とウミは何やら謝っているから、たぶんオフレコの話だったのだろう。それにしても、どうやら彼らは私生活でも関わりがあるらしい。ワズキもいずれそうなっていくのだろうか? 彼らと日常を過ごすとき、柚希は優しい人のふりをやめられるのだろうか。
家の中での振る舞いを外で行う自分の姿を想像していると、ズズンと大きな振動があった。地震なら震度七くらいか。直後、天井にヒビが入ってぱらぱらと鉱物の欠片が落ちてくる。柚希は鼻の上に降りかかったそれを払いもせず気配を見極めた。魔獣か、それとも他の攻略者か、あるいはその両方か。ルチカ達は慌てて『アクアヒール』『ライトヒール』を唱えるが、傷口が完全に癒えるより先に、それは来た。
「グルゥアアアアアーーー!!!!!」
咆哮と同時、世界が闇に包まれる。柚希は咄嗟に近くにいたハナに手を伸ばす。ハナは柚希の手を取った。そしてもう片方を誰かと、その誰かも他の誰かと手を繋いだようで、綱引きをしているような力の引き合いを行いながら柚希達は“帰還石”に似たクリスタルに触れる。掌に冷たくて硬質な感触があってすぐ、柚希達の視界が晴れ、さっきまでいたボスの部屋に着地した。
「あれ何!?」
「たぶんダークドラゴン」
「嘘だろ……徘徊系でもあるって聞いてたけど、ボスの後に遭うのはキツいって!」
「でもやるしかないよ!」
「ボク、まだ指の骨と皮がイッてるから誰か──」とハナが焼け爛れた右手を出したので、柚希はすぐに『フレイムヒール』を行なう。火傷には水属性と炎属性が良く効く。原理は知らないが、おそらく柚希よりも下の世代、妹くらいだと迷宮学についてもう少し詳しく教わるだろうからもし生きていたのなら又聞きさせてくれたかもしれない。柚希達は時代の過渡期にいる。
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