怪物のダンジョン 後編②
[ウミハナは相変わらずだねー]
[ハナ様かわゆす]
[どうせ茶番じゃん。ハナちゃんも本気で怒ってないし、ウミくんもああして嫌がってるハナちゃんが可愛いんでしょ]
[蚊帳の外ありがとう:¥10000]
ウミとハナとパーティを組んでしばらく。遠くで反響した息遣いに、柚希の耳がぴくりと動く。魔獣だ。ハナのコメント欄から視線を外し、剣を構える。
よくわからないが、柚希が保身のためにウミとハナの視聴者の発言を見ていたところによると、その層はこうなる。
まず、ウミはガチ恋があまり見かけられない。たまにちらりと顔を出して悔しがっているのも男リスナーだけで、よくあるような男の娘をメス扱いするパターンというよりは性別を超越して「お前が好きだ!」と叫んでいるような自己完結型が多かった。さらには、本気なのか芸なのかわからないシスコンムーヴにより、“こいつが男を出すのは姉の前だけ”という認識が根付いているらしく、ルチカにボディタッチしてもコメント勢は総スルーしている。
ハナはというと、リスナーは男女半々のように見えるが、やはりガチ恋はいない。男性と思しきコメントはさながら動物番組を観ているかのような穏やかなテンションでハナの可愛らしさを褒め称え、それ以外は……見目麗しい近親カップルを興味深く観察し、悶え、打ち震えているようだった。
総評して、柚希が新たに理不尽を被ることは無さそうである。ただまあ、二人の間に挟まらないように気をつけようとは思った。
「──来たよ!」
ハナが小声で叫び、柚希を見た。柚希は頷いて彼女と共に闇の中へ駆け出す。それとほとんど同時に、グウォオオオ! と大犬の唸り声がわんわん響いて聞こえた。視界が白く染まる。冬の雪山のような吹雪は頬を旋風のように斬り裂かんとして、剣の柄を持つ柚希の指先を凍えさせる。
無彩色の中に、柚希の目が十数ものドス黒い瞳を映した瞬間、ハナが拳を突き出した。間髪置かず小さな足も振り上げ、目にも止まらぬ速さで叩き落とすと、ハナの目の前で牙を剥き出していたスノーハウンドが押し潰されてポリゴンを撒き散らす。勢いをなくした氷の
負けていられない。柚希は剣に炎を、片手で風を作って、火炎放射器のようになった剣を思い切り振り翳した──合図する間もなくハナは後方に下がって炎を避ける──。迷宮における火や光、氷といった属性の魔法・性質スキルは、五行思想にほぼ拠らず、より強く練り上げられた方が打ち勝つようになっている。ハウンドの毛皮はよく燃えた。闇の中に赤く照らされた獲物。柚希は炎を消し、剣本来の切れ味で複数体を一気に斬り裂いた。ハウンドはすぐさまノイズとなる。残ったのは中くらいの魔石だけ。柚希は風の剣で軽く払って、それらを道の端に寄せた。次の魔獣が来る。今度の鳴き声はより深く、腹の底を震わせる。
五十一から七十九階層は属性の付与されたハウンド・ボア系だ。ボア、つまり猪。揺れる壁に反響し過ぎて方向のわからない唸り声は柚希達の五感を研ぎ澄ませる。そして背後に濃密な闇の気配を察知した瞬間、ハナは垂直に飛び上がり、柚希は振り返り様に剣を構え、目が眩むような純黒に切っ先を突き立てた。五感の一つを確実に潰してくれた暗闇の中でも、その針のような毛皮に覆われた大きく硬い頭蓋骨は確かに砕かれたようだ。ギャオッと鳴いて一匹はノイズになる。しかし後続はそのまま地響きのような足音を立てて迷路を駆け抜けようとした。柚希はそのうちの一匹の鼻先と思しき部位を蹴り上げ、あまり高くなり過ぎて天井にぶつからないよう気をつけながら空中に上がる。すると踏み台にされたボアは当然苛立ちの唸り声を上げるが、彼らは急には止まれない生き物だ。微かに乱れた息遣いを、ハナは見逃さない。
「スイッチ……っ!」
自信のなさそうな掛け声とは裏腹に、ハナの正拳突きの威力は絶大だった。隊列──そんな上等な並び方ではなかったが──を乱した一匹を中心とした攻撃だったにも拘らず、ポリゴンを噴き出したのは十匹以上。柚希達に追突しようとしていたボアの大半が消え去り、残党も、柚希の剣で軽く散らしただけで倒れ伏した。すると霧が晴れるように視界が明るくなっていく。
それに目が慣れる前に、柚希の肌に玉のような汗がどっと噴き出てきた。ちりりと焦げる前髪。マグマのようにふつふつと湧き上がる炎の気配に、腰を落として剣を握りしめたとき──
「ウォーターアロー!!」
ウミのソプラノボイスが響き、辺りが別の意味で真っ白になった。しゅうしゅうと煙が上がる。いつの間にそこにいたのだろう、その場に立ち尽くしたハウンド達が、舌の根から黒く固まった溶岩とポリゴンを吐き出している。そして一秒もしないうちにどさりと折り重なるようにして倒れ、ノイズになった。
柚希はしばらく愕然としてから、はたと我に返って──喉が痛くなるほど怒鳴った。
「水蒸気爆発を起こさせたんですか!? マグマを吐き出した後だったら、僕達まで巻き込まれてたかもしれないのに! 僕はスキルの影響で身体がかなり丈夫ですけど、もしそうなったときウミさんは至近距離で食らうでしょう!? そしたらどうするつもりだったんですか!!」
はーっはーっと息が上がる。怒鳴っているときの息の吸いどころがわからなかったのだ。返事を待ちながら息を整えていると、辺りが静まり返っているのに気がついた。柚希はちょっと眉を寄せてきょろきょろする。ウミは目を丸め、ハナは拾いかけの魔石を取り落とし、ルチカは──そういえばルチカはどこにいるんだ?
柚希がハッとなったとき、ウミの背後にきらりと煌めく金髪が見えた。そろ……と出てきたのは屈んだ体勢のルチカだ。彼女は掌をハウンドのいた場所に向けながら、すごく申し訳なさそうに、でもなんだか嬉しそうに口を開く。
「あの……ね?」
「……はい」
「私、ハウンドの周りに『ライトウォール』を……広げてて……」
「…………あっ……」
なる……ほど……? 柚希は理解するうち、じわじわと顔が熱くなっていくのを感じた。
当たり前のことだ。柚希はハナと前衛を務めていたから、背後で起こる事象を完全に知ることはできない。おそらく後ろでも何かしらと戦っていたのだろうことはわかっている。壁とか揺れてたし。だが、後衛の彼らが柚希とハナと同じ敵に対処するとき、具体的に何をしているのか把握しきれないことはわかっていないといけなかった。そうしなければ、ウミの大胆な作戦に気を取られ、ルチカの完璧なフォローに気がつけず、このように一方的に怒鳴りつけることになる……。
柚希は胃の中を掻き回されたような羞恥心でいっぱいになっていた。あと反省。肩を落とし、辛うじて「……すみませんでした」と謝り、地面を見つめる。だが、あまりしゅんとしたところを見せてはいけない。カメラもあるし、なにより彼らに気を遣わせる。柚希は一秒と少しほどの時間で噛み締めるようにして反省して、すぐに顔を上げた。
「これからはみなさんの動きを予測しながら動けるようにします。なので、簡単なスキル構成などを教えて欲しいです。もちろんご迷惑にならない範囲で、ですが……」
そう言って周りを見渡すと、みんな、今度はさっきよりも驚いた顔をしていた。柚希は眉を寄せる。また何か間違ったか? あの、と口を開こうとしたとき、何かとてつもなく速い生き物が柚希の胸から背中にかけて腕を回してきた。
「もちろんだっ! だからオレにも教えてくれよな!」
ウミだった。ウミは柚希を小さい身体で精一杯抱きしめ、妙ににこにこしている。えっ何。柚希は歳の近い相手や小さな子供、もしくは何かの先輩などに抱きしめられた経験がなかったため、混乱して「あのあのあの」と馬鹿みたいに繰り返すbotと化した。
「もう、あの子ったら」
「ああいうとこあるよね、ウミって」
女性陣はそんな柚希の様子を見てくすくすと笑っている。そこに柚希への悪感情はなく、むしろ先程よりも力が抜けた表情で、
「そうだよね。ボクも、いっぱい教えてあげる」
ハナにそう言われて、柚希はウミの抱擁から意識を離した。ハナは名前の通り花が綻んだような微笑を浮かべている。柚希はざわつく胸の置きどころを見つけた。さっきの失態を許されたような気がして。
でもまだやっぱり、両手の指先を絡ませてうじうじしてしまいたくなる気持ちは残っていた。「だよな!」とハナに駆け寄って手を繋いでいる双子バカップルを尻目に、柚希はルチカの側に寄る。ルチカはちょっと怒ったように目を細めていた。柚希はそれとわからない程度に首の角度を調節した。出来るだけカメラに表情が映らないよう愚かしい小細工をしているのだ。ルチカは自分に固定された柚希の瞳だけを見ていたので、もちろん気が付かない。
「……私のこと忘れてたの?」
「そんなことは……」
柚希は目を逸らした。忘れていた。
「嘘です。忘れてました。ごめんなさい」
柚希のカメラが持ち主の顔面を映そうとゆらゆら動いてこっちに来る。柚希はかなり嫌だったが、首の角度で誤魔化すことを諦めた。
[怒られてやんの! プギャー]
[でもちゃんと怒られる人って少ないからなぁ]
[人のために怒れる人も少ないよね]
[意見を言うのもな]
[まあカメラの前でやるのは駄目だったからな。怒られ返されてもしゃーない]
[ウミハナはにこにこですけど]
[忘れられてキレてるルチカたんカワヨ]
[ルチカたんのたまに出るツンギレちゅきちゅき]
[これは身内判定か?]
[ファイトだぞーワズキー]
好き勝手言いやがって。柚希は頬の肉を噛んで、笑いそうになるのを堪えた。ルチカは今度は柚希の顔全体を見ていたのでそれを見逃さなかった。でも何も言わなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。