怪物のダンジョン 前編①
*
放課後、いつもの青信号を渡って迷宮の広場に行くと、中央に陣取った石の噴水に視線が集まっている。
まず、金属製の平らな胸当てと、僧帽のような青地のマント、細身な肢体を覆う黒い長袖のインナー。それらとベルトで繋げられたレザーのショートパンツは腰骨で曲線を描く。艶めく細いロングブーツはバックルで留められているが、それがかえってその下にちらりと見えるしなやかな白い太腿を際立たせていた。あの日のルチカは暗闇の中でも光り輝いて見えたけれど、彼女の美しさは日の光の下でも霞む気配がない。
柚希は気後れしながらも足早に彼女の元に近づいた。ナンパされる前に防壁になるのにも、もう慣れっこ──というと嘘になってしまうが、必要以上に緊張することはなくなった。
「すみません、遅くなってしまって」
「時間通りだよ。……それじゃあ行こっか!」
ルチカは晴れやかな笑顔を向けて柚希に手を差し出す。柚希は頬を掻いてそれを取り、迷宮の扉を押す。
「昨日の配信、大丈夫でしたか? 僕は『怪物の』ばかり贔屓してますけど、ルチカさんはそうではないでしょう?」
「そうだねー。でも気にしなくていいよ! ワズキ君がいるってだけで撮れ高だし」
「それが……パブサした感じ、僕もそれほど物珍しがられなくなってますよ」
「ホント? うーん。でも別にワズキ君を珍獣扱いしたくてパーティ組んでる訳じゃないしなぁ」
柚希はルチカに半ば巻き込まれるような形で知り合ったものの、彼女に隔意はなかった。ひとえにルチカの人柄がそうさせた。もちろん最初は怪訝に思ったけれども、魔獣を狩るときの冷静な判断や、快活過ぎない振る舞い、ドロップ品の山分けの際のスムーズさなど、一狩り行く相手として最適であることはすぐにわかった。そのため、柚希は彼女と定期的にコラボ配信しており、柚希は知らないがルチカの思惑通り、身内判定を得られるまでになっている。
転移した先は第一階層だ。柚希は『ログインボーナス』を得るためだけに迷宮に朝の散歩をしに行っているので、ルチカの前でエフェクトが出ることはない。迷路のように複雑な道を慎重に歩く。たまに屑魔石を投げて罠を確認したり、壁に手を触れさせることでそこに伝わってくる足音などを探ったりすると、自然と今日の五感のコンディションがわかってくる。これを怠って最速で中層や下層に降りると、エンジンが掛からないまま魔獣に食い殺されることもあるので、二人共真剣だった。
あらかた感覚が研ぎ澄まされていくと、魔獣の気配も察知できるようになる。低い天井のてらてらとしたところからスライムがでろりとその身を崩し、エンカウントするが、柚希は軽く身体を捻るだけでそれを避けた。スライムは半透明なので暗闇の中では見えにくいが、それよりも生ごみと硫黄を混ぜたような腐乱臭が鼻を刺激する。地面に落ちたスライムは一時的に平らになって、歪んだ核がよく見えた。柚希は危なげなく核に剣を突き刺す。潰すように腹で押してから抜くと、生き物としてのスライムは消え、ゲル状の物体が残った。柚希はそれをフラスコに採取する。地面には凹凸があるがつるりとなめらかで砂利などもない。簡単な作業だ。
その間に、ルチカも向こうからぎらりとした斧を投げようとしているゴブリンの頸を光の刃で刎ねていた。そちらは小さな屑魔石がドロップする。魔石は、黒曜石のように黒く鋭利で、しかし内側で何かが蠢くようにぬめぬめとした光と影の動きがあって、不気味な石だ。ルチカはそれをマジックバッグに収納した。柚希のフラスコもルチカのマジックバッグも、価格は違えど、共に魔導具である。広場の道具屋で購入可能だ。
「怪物迷宮は下層までいってるんだよね?」
「一回だけですけどね。さすがにソロで深いところまでいくと疲れちゃって、帰り道でやられかねないので」
「わかるよ。リスクヘッジ大事。私も、友達と行かないときは中層までで我慢してるもの。……他の迷宮は?」
「近場は大体行ったことがありますが、『妖精の』はあんまりです」
「あそこは広いからねー。……ま、今日は今日の仕事をしようよ」
話しながらルチカは地図に目を落とした。今日の互いの調子は上々なので、ボス部屋の前まで降りる頃には配信を点けてもいいだろう、と呟く。柚希も横からそれを覗き込んで進路を確認し、頷いた。
適度な緊張感での肩慣らしは九階層まで続いた。スライムやゴブリン、ホーンラビットなどをそれぞれ剣や魔法で蹴散らし、素材を拾って、たまに罠や宝箱を警戒しながら進んでいく。
話題は転々としていた。下に続く扉を押しながら、柚希が眉を上げる。
「──えっ、そうだったんですか?」
「うん。むしろ、火に油だったかもだけど……」
今は、ワズキがルチカを助けたことがバレたのは動画の無断投稿が原因であり、ルチカの雑談配信や突発コラボはむしろ火消しの役割を果たしていた、ということを聞いたところだった。
火に油? それは謙遜だ。柚希はスマートフォンを操作し、画面を指差して反論を試みる。そこには無断投稿の動画のコメント欄が映されていた。
「ルチカさんが雑談をしていたより前と後、明らかに質が変わってます」
ルチカは遠慮気味に画面を覗き、少しだけ表情を明るくした。
柚希も画面を見直す。一番上に来ているのは投稿主のコメントだ。“録画は自由にっていつもルチカが言ってたんだからいいだろ!”と開き直っており、返信欄の数字を見る限り、集中砲火が続いているようだった。気の毒だとも思うが、少なくともワズキの方では“自由に”なんて言っていない。自業自得ということで。
柚希はこのコメントにさえルチカは気を悪くしてしまうのではないかとやや不安になったので、画面を落として顔を上げた。
「僕も助けられていたみたいですね。ありがとうございました」
「えっ、う、うん……っ」
ルチカは青のメッシュを指に絡ませてはにかんだ。そしてもう一度「ありがとう」と続ける。そもそもリスナーが配信者のところに行って別の配信者の話をするのはマナー違反であり、自分のリスナーがそれをやってしまったのはルチカの制御力が足りていないからだ、とルチカは捉えていた。だからこの件についてはどちらにせよルチカに非があるという姿勢は変わらない。
柚希はルチカがまだ気が引けているのに気が付きながらも──でもその理由は知らずに──、「ありがとう」と繰り返した。柚希は手助けした人にそう言われると嬉しくなるのを知っている。そしてやっぱり、ルチカは少しだけ眦を下げて「……うん」と微笑った。
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