バズ②
……何? いや、明らかに今日は何かがおかしいとは思っていたがこんなところまで異常が起きている。怖い。いつもの生ぬるいコメント欄はどこに。
狼狽えながらも、柚希は普段の学校生活で培ってきた愛想笑いを浮かべた。
「あの、僕、何か炎上するようなことをしてしまったでしょうか」
[してないよーん]
[バズってはいるけど]
[ルチカの配信見てないの?]
[笑えば割とイケるな。フォローしたぜ!]
「…………ルチカ? って、どなたですか? 芸能人とか? すみません、そういうのに疎くて……」
待てよ。ルチカ……どこかで聞いたような……。考えながらスマートフォンで検索すると、大量にヒットした。そして一番上に表示された画像を見て「あっ」と声を上げる。
プロモーションのようなものだろうか、プロのカメラマンに撮られたような完璧な写真だった。下からのアングルで白いパンツスタイルの女性を映している。腰まで伸びた金髪をすらりとした白魚の手が梳かし、ピアスのついた耳元には数本の青いメッシュ、凛とした微笑が晴天の下で青く輝く。ルチカ。彼女は、先日の女性──瑠璃だ。
でもそれが自分とどう繋がってくるのだろう。柚希は怒涛の物量で急き立てるコメントに「待っ……待っ……」と目を白黒させつつ、スマートフォンに指を滑らせた。今度は『ルチカ ワズキ』と瑠璃のユーザーネームと自分のユーザーネームを並べて検索する。すると、ルチカ単体よりは少ないものの、確かに数件のヒットがあった。Webニュースや素人のまとめ記事まで玉石混交。柚希は上から下まで斜め読みしていき、ようやく状況を把握した。
[つまりな、お前がルチカを助けてくれたってことを、ルチカが雑談配信で教えてくれたんだよ。だからこんなふうになってるってワケ]
[ありがとな〜 まあ男じゃなかったら最高だったんだけど]
[ルチカ:こちらで勝手に話してしまい、私の視聴者が押しかけてしまってすみません。お詫びしたいので、そちらに行ってもよろしいでしょうか?]
[だよなー]
[待って、いまルチカ来たくね?]
[コラボある? マジ? ヤバ!]
柚希も動体視力がとてもいいので、ルチカを名乗るコメントを見逃すことはなかった。まさかとは思いつつ遡ってアカウントを確認すると、登録者数からして、本物だった。嫌な汗が噴き出す。反面、この状況をどうにかしてくれる存在が来てくれそうなことに若干の期待が芽生える。
コメント欄と自分の心拍数を頭の中で見比べ、このバズが炎上になる可能性を測って、数秒。柚希はとうとう口にした。
「わかりました」
[キターー!!]
[俺はあんまり嬉しくないんだが]
[ルチカって割と男女関係なく絡むし今更だろ]
[いや普通に楽しみじゃね?]
[大御所に新人が見出される……ほぼシンデレラだな!]
[見出されるっつか、助けられてるのはルチカだろ]
好き勝手に言ってくれるコメント欄を尻目に、柚希は曖昧に笑う。予想外の状況ではあったが、どうしてこうなったのかという筋道立った理屈がわかったので、少しだけ落ち着いてきたのだ。
規則的な呼吸で、ルチカのコメントを見逃さないよう目を皿のようにしながら「でも“そちらに”ってどちらに……?」と柚希は尋ねる。すると返事はすぐに返ってきた。
[ルチカ:いま行きますね]
「え?」
思わず声が出たとき、かつり、と背後に硬いヒールの音が聞こえる。ナイフを構えて振り向くと、そこには──
「──来ちゃいました」
青いメッシュの入った金髪の女性、ルチカが立っていた。
……とんでもない人と知り合ってしまった。そう思いながらも、柚希は既に切り替えている。軽く頭を下げ「ご足労おかけしました」と不似合いな台詞を口にすると、ルチカの大きな瞳が微かに見開かれた。
*
[良い人だったじゃん]
[普通の男子高校生って感じ]
[あれが普通ってハードル高過ぎで草]
[よかったね、ルチカたん]
“帰還石”に触れてノイズの向こうへ消えていったワズキを見送った後、ルチカはその場に残って配信を続けていた。といっても魔獣を狩ったり鉱物を採掘したりはしない。余韻の雑談だ。そしてその主役は、あの青年だった。
そもそもルチカがワズキに接触することを決めたのは、けして感謝の押し売りをするためはなくて、起きかけた騒動を鎮めるためだった。
ワズキに身を挺して庇われたとき、彼女達を映していたカメラがあった。そしてその録画は当然のように無断で投稿され、拡散。リスナーの中で物議を醸した。まさか青年を褒めるだけの声が上がるはずもない。あの青年は初めから側にいたのにすぐに庇おうとしなかったのはなぜだ? まさか、ルチカに言い寄るきっかけをつくるためにギリギリまで引きつけてからわざとぶたれたのではないか? そんな歪んだ見方をする者は後を立たない。すると、それをルチカの隙だと思ってアンチも
ルチカはまず、あの録画が無断撮影であることと共に、そのフレームの中で起きたことがすべて事実であることを雑談配信で認めた。これにより、いつの間にやら特定されていた“ワズキ”の炎上は防げたものの、バズとして形を変えて爆発的に広まっていってしまった。だから更に突発コラボを仕掛けたのは、もう一歩先にワズキを引き入れることで──身内にすることで、これ以上のリスナーの暴走を止める言い訳づくりする。そんな思惑があってのことだった。
所謂“てえてえ”は、今から仲良くなりそうな関係性の人物間に生まれるもので、既に凪の水面のように完熟した人間関係の中では、リスナーもむしろそれに応じた穏やかなムードとなるものである──というのがルチカの持論だ。ルチカはこの理屈を沿って“外交”を行ない、その大半を成功させてきた。ルチカは安定した関係を築ける相手を選んでコラボする冷淡な一面があることを、ルチカの周りに残った者達だけが知っている。ルチカはその一面を自覚している。ワズキという不確定存在を引き入れるのは自身の本質の暴露に繋がるが、それよりもワズキの身の安全を優先し、予告なくコメントを打った。こちらも、裏でやり取りをしてしまったらワズキが顔に出してしまうかもしれない、そうしたらまた叩かれる材料を増やすことになる、と思ってのことだ。
一連の行動は正直賭けでもあったが、その目論見は上手くいったようで、掲示板などはワズキの個人情報よりもワズキというコンテンツの方に目がいっている。助けてくれただけのワズキには申し訳ないことをしたと反省もしている。顔にも、態度にも出さないけれど。
しかし、このコラボで得たものはそれだけではなかった。
……何も起きなかった。まるで下心の介在しない同性の身内と組んだときのように、本当に、なんにも起きなかった。
ノイズのない攻略は、配信者になってから久しく感じなくなっていた純粋な楽しさを思い出させくれるもので──
[あいつならまたのコラボも許してやらんこともない]
[↑何目線?]
[迷宮配信は治安悪いからなー]
ルチカは自分の心の中を見透かしたようなコメントに、薄い瞼をぴくりと震わせた。
そう、まさにその通り、ルチカはワズキを警戒していた。ルチカは自分の容姿を美しいものと評価しているし、中身に関しても人並み程度ではあるだろうと思っていて、つまり自己評価は総合すると高くなる。加えて女性という性別。トップ配信者という自負。そんなルチカが身の安全を気にしないのはありえないことだ。
「じゃあそろそろ配信終わるねー。転移!」
だからここまで何事も起きずに迷宮から出てくることになるとは思ってもみなかった。いや、そうであって欲しいと自分を助けてくれた青年に期待していたが、本当にそうなるなんて思いもしなかったのだ。
ルチカは広場の人々の視線を一身に集めながら道路に出て、駅で電車に乗り、寂れたアパートに帰る。そして襖で仕切られた自室に籠もってスマートフォンの着信の受話器を取った。幼馴染からだった。
『で、どうだった? まさか俺の姉貴に手を出しそうな野郎だったんじゃ──』
『──だからそんなわけないって言ってるでしょ、ウミ! 第一、狙われてるとしたらルチカちゃんの方だよ!』
通話口を取り合うようにして話す双子の姉弟に、くすりと笑う。
「誰も狙われてなかったけれど」
『『え? あ、そ、そうなんだ……ごめん……』』
「ハモるな!」
幼く噛みつきつつも、ルチカは頬が緩むのを止められない。
ルチカ──
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