出会いと憧憬
バズ①
「いつまでもダラダラしてないの!」
母がリビングのカレンダーを毟り取り、座布団を四つ敷いて横になっている柚希に財布を投げてくる。柔らかな弧を描いたそれを「わとと……」とキャッチした。三千円入っている。
「買い物でも行ってきなさい! どうせゴールデンウィークの宿題も終わってるんでしょ?」
「そこは褒めてよね」
「はいはい。うちの子はとっても良い子です〜、買い物にも行ってくれるし〜」
「わかったってば」
言いつつも柚希はでろりと寝そべったまま起き上がろうとしない。柚希は一応、真面目に勉強しているところだったからだ。勉強といっても学校のものではない。
当然のことだが、ストリーミングを行なってすぐに視聴者がつくのであれば、あくせくスーツで駆け回る人は既にいなくなっている。いくら期間限定のイベントのために急いでいても、そんなことは視聴者に関係ない。実力が伴わなければお金にはならないのだ。そして“実力”とひとくちに言っても、迷宮配信者なら話術やビジュアルなど多岐に渡るものだが、柚希はそういう芸能人っぽい方向を伸ばすつもりはなかった。一朝一夕でどうこうできるほど柚希は天才的ではないので。
では何を勉強しているのかというと、さっきも言った通り、攻略についてである。柚希は初めて『ログインボーナス』を貰った日から一日たりとも休まずに迷宮入りしている。そして大抵の日は暇だから、どうせ来たなら何かしらの成果が欲しいと思って、採集に励んでいた。“慣れ”。それが柚希の強みである。加えて柚希は基本的に自分を客観視できるタイプだし、こだわりもない。アイドル売りよりも純粋に攻略者──探索者の中でも、特に魔獣との交戦と深層への潜入に重きを置く者──としての実力を見せていく方向で配信を進めていくのは、当然の成り行きだろう。そうしてイベントが始まった日から数週間、継続して配信し、今日はそれらのログを観て、自分の動きを見直しているのだった。
『──え? 配信を始めた理由、ですか? そうですね……やりたいことがあるから、その資金を──』
柚希はスマートフォンの画面から聞こえてきた自分の声に、ぴくりと眉を顰める。……前言は少しだけ盛っていた。アイドル売りはしていない、が、柚希は相変わらずキョロ充をやっているのだ。猫を被るというやつ。
いや、だってさ……と柚希は誰にともなく心の中で言い訳する。柚希の嫁はイベント限定のネームレスキャラクターなのだ。イベントで一定の課金額を達成しなければ、あの子はいつまで経ってもレギュラー入り出来ず、インターネットの藻屑になってしまうかもしれない。そんなのは嫌だ。だから、あれから約一ヶ月、柚希は少しでもお金を落としてもらいたくて、嘘をつかない範囲で好印象を与えられるよう振る舞ってきたのである。──弁明終了。なお、“イベントで一定の課金額を達成しなければ”のくだりはゲーマー達の中でまことしやかに流れている噂程度の話であり、柚希はそれに乗せられているだけだった。
あと数秒でアーカイブ動画が終わるというとき、目の前にひらりと赤いものが落ちてきた。枝垂れ桜を描いた四月のカレンダーだ。首を傾けると、母が絶対零度の眼差しで柚希を見下ろしている。やばい。柚希はバッと起き上がってガコンとカレンダーをごみ箱に押し込んでバタバタッとリビングを出ていき、二階に上がって支度して──さすがに中学のジャージでは出歩けない──、家を出た。
買い物のリストは財布にあった。卵、牛乳、玉葱、ウインナー……。柚希はちょっと笑ってメモを財布にしまう。買い物を先に済ませてしまうと、迷宮に立ち寄ったときに荷物を抱えながら
迷宮のある区画を身軽に歩いて、カードを提出し、いつもよりかなりにぎわっている『怪物の迷宮』広場に入る。そのときには既に違和感があった。柚希は心臓から汗が出ているような気分でそそくさと迷宮の扉に向かう。しかし、連休中ということで、なにぶん人が多い。両手で数えるほどの列が扉の前に並んでおり、柚希は仕方なく最後尾のパネルを受け取った。その際、柚希より一つ前に並んでいるカップルから妙に変な目で見られた気がした。柚希はキャップのつばを握って深く被り直す。春の日差しがじわじわと肌を焼いた。眩しかったのかもしれない。そう思いつつもTシャツの背中が嫌な湿り気を帯びた。柚希はイケメンでもブサイクでもないので、自分を見た誰かに変な顔をされる経験がない。急に違う学校の全校集会の壇上に上げられたような居心地の悪さを感じる。
柚希はアスファルトの反射だけをじっと見つめながら列を進み、ようやく扉にありつけたときには溜息も出ないほど息が詰まっていた。さっさと入ろう。扉を押し、転移する。そしていつもの燐光が柚希から放たれた。それが収まるのを待ちながら通路の奥に向かい──はぐれゴブリンを一匹倒した──、開けたところでカメラをオンにする。
「ワズキです。今日も攻略していきます」
一人になって落ち着くと、さっきの違和感が視線だったことに気づける。何か変なことをしただろうか。もしかして炎上してたり? そう戦々恐々としつつ、レンズに向かっていつもの挨拶をする。普通の通話で緊張する人が、見えない視聴者に向かってまともに喋れるわけもないから、口上みたいなものはない。ちなみにユーザーネームの『ワズキ』は名字と名前の最後の方をくっつけて作ったものだ。
カメラがぷかぷかと浮きながら柚希を見つめている。今はまだ文字は浮かんでいないが、カメラの脇にはコメント欄となるスクリーンがあって、これも機能のひとつだ。浮遊したり、持ち主を自動追尾して色んな角度から映像を録画し、果てには配信サイトに直接繋がる設定まで──もちろん純正科学の代物ではない。迷宮産出物を元に日本の研究者が作り上げた新技術の結晶のひとつである。研究者により、これらの実践的な技術は国際的に共有されているらしい。
コメント欄に誰も来なかったら配信をやめてしまおう。さっきの異様な状況もあって、なんとなくやる気が出ず、柚希はカメラとスクリーンを顔の斜め横に配置しながら洞窟を歩く。こつりこつりと靴音が奥へ反響していくのを耳で感じ取りながらぼんやり歩いていると、スクリーンに文字が出てきた。嬉しいような残念なような気分だ。応答しようとそちらを見たとき、柚希は足を止めた。
ぽつりぽつりと、初めはいつも通りの量だった。でも柚希が視線を動かした途端にスクリーンが真っ黒になる。何かがとてつもない速さで流れていく。滝のようなそれらに驚いてスクリーンに触れると、ぎゅうぎゅうに押し込められたコメントの山と目が合った。
「えっと……?」
[意外とパンピーだ]
[殴られたとこ大丈夫?]
[すげー困った顔してんじゃん]
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