よくある話

「そちらの方のお名前を伺っても?」

「三沢柚希です。……その、捕まるんですよね?」


 あまり役に立ったとは言えないが、男性を確保する流れに存在していた手前、「事情聴取を……」と言われて断る理由もない。そういう訳で柚希は迷宮監視員の詰所で女性の隣に座り、迷宮監視員と話していた。通報に駆けつけた警察は男性の方をどうにかしているそうだ。

 話の中で思わずそう尋ねると、迷宮監視員は微かに唇を噛むようにして口を噤んだ。柚希が眉を寄せるのを見てすぐに小さく答えたが。


「はっきりとした実害が出ていないので……法的には……」


 どう考えても濁されている。柚希は思わず「嘘だろ」とつぶやいてしまった。心の中でももう一度、嘘だろ、と言う。法律で取り締まれない? そんな馬鹿な。それなら、他に何か法律以外で取り締まるべきだ。あるいはその方法を探るか作るかしないといけないはすだろう。条例とか、そういうの。よくわからないけど……。でもとにかくそうすべきだ。本当に誰も、やらないのか? そんなことってあるのか。だってあの女性は腕を掴まれて──

 そのとき、別室から女性が戻ってきた。すらりとした筋肉で覆われた二の腕に、大きめの湿布が貼られている。彼女も途中から話は聞こえていただろう。しかし狼狽する柚希とは反対に、あまり驚いた様子を見せず、冷静に書類に筆を走らせていた。迷宮監視員に聞かれて女性は、「瑠璃市架と申します」と名乗った。「高校二年です」とも。丁寧な話し方をする人だと柚希は思った。それから慣れているような感じもした。実際、彼女はこれまでにもストーカー被害を受けていたという。気の毒だと簡単に言うにはあまりに辛いことだった。

 以降、柚希は迷宮監視員に話しかけられたとき以外は何も口にせず、粛々としていた。やがて、「三沢さんはどうぞ」と扉を示され、柚希は席を立った。今回具体的な攻撃を受けたのは柚希だが、実際に加害者との関係があるのは瑠璃だから、とのことだった。外に出る前に柚希は尋ねた。


「病院行った方がいいですよね。診断書とか貰ったり」

「あー……うーん……」


 ここでも迷宮監視員は曖昧な反応だった。柚希は女性──瑠璃の方を窺った。


「大丈夫です。もちろん病院は行っていただいても、ローヒールで治していただいても構いません。お任せします」

「……わかりました」


 正直納得しかねたが、瑠璃がそう言うのなら、と心の中で付け足して。違う。それは嘘だ。柚希は人と対立したくなかったから、瑠璃を言い訳にしたのだ。

 柚希が詰所の一室を出ると、瑠璃も廊下に出てきた。形の良い眉を下げて心配そうに柚希を見つめる。


「巻き込んでしまってすみません」

「いえいえ」

「何かお礼とか……」

「いえ、特には。じゃあ僕帰るので──」

「……わかりました」


 どこか安心した様子で瑠璃は頷いた。それを見て柚希も少し落ち着いてきて、「では」と踵を返す。そのとき瑠璃が「あっ!」と声を上げた。今日で一番私的な声だった。


「その、録画は公開して頂いて構いません!」


 「録画?」と思わず振り返る。しかし瑠璃はぺこりと頭を下げ、ドアノブをひねる。


「では私はこれで……!」


 ばたむ! と扉が閉まった。言葉を挟む隙もなかった。


「…………まあいいか」


 柚希は釈然としない気持ちで詰め所を出て、自分にローヒールのスキルを発動するために再度ダンジョンに入り、そして無事に腰の痛みを解消して地上に出てくる。

 録画。……録画? 録画……。心の中で何度か繰り返してみて、もしかしてあの人、アイドルか何かだったのでは? と思い当たった。それから、いや、もしくは……と候補をもうひとつ挙げる。迷宮配信者という説だ。

 迷宮配信者とは、字面の通り、迷宮で配信をする人・その職業を指す。迷宮配信者は、迷宮探索を奨励する目的で、視聴者が少なくても一定の最低収入が得られるようになっている。制度ではなく、どこかの企業がそんなふうな動画サイトを作った……んだっけ? と柚希は記憶を辿った。ともかく、なので迷宮配信者はそれこそ星の数はいて、その中でも上澄みとなれるのはほんの一握りだ。

 あの女性は、今日の逮捕劇のようなものを投稿してもいいよ、と言いたかったのだろうか。もしそうなら辻褄が合うけれども、柚希は迷宮内でしかカメラを起動しないし、そもそもあの恐怖に満ちた空間を野次馬的にサイトにアップするのは気が乗らなかった。金に困ってもあまり取りたくはない手段であるとまで思う。そもそも柚希は迷宮配信自体に興味もないし、ユニークスキルの関係もあって今のところ配信活動は行っておらず、その予定もない。

 紅蓮と紫を混ぜ込んだような夕焼けを見上げ、やめやめ、と柚希は家路を歩いた。もう忘れよう。たぶん、もう会うことはないだろうし。



 「ただいま」と言う元気もないほど精神的にぐったりしつつ、玄関に靴を揃える。そしてどたどた階段を上って自室に飛び込み、第二のオアシスたる布団に潜りながら、柚希はスマートフォンを取り出した。ぐへへへ、と笑みが溢れる。


「さて新イベは……」


 ゲームを起動し、おしらせの欄からイベント情報を見ていく。そして「おおっ!」と歓喜の声を上げた。今回の春イベは、なんと、柚希の嫁である超長乳ぼいんぼいん黒髪眼鏡少女がメインだったらしい。しかもお花見がテーマで、大正ロマンを彷彿とさせる和洋折衷のコーデ、背景、ストーリー。制作陣も気合が入っているようで、イラストなど、全体的に一層クオリティが高い。その甲斐あって、柚希もかなり興味をそそられた。しかも、しかも──


「シークレットスチル……だと……!?」


 しかもエッチなやつである。エッチなやつ……つまり……男子高校生の大半が好きなやつ!! 柚希は論文の内容を考える研究者のような真面目腐った顔をした。……普段は本気で走らないのだが、これは……。

 考え込みつつ、詳細を調べようと画面をスワイプする。そうすると、かなり小文字の説明書きが現れた。米印の打たれた文章によると、そのシークレットスチルは課金することでゲットできる石で交換出来るそうだ。つまり無課金勢である柚希は今のところ手に入れることができないということになる。ふうん、と柚希は明日の天気を予想する気象予報士のような顔をした。そしておもむろに立ち上がると、机の引き出しを漁り始める。目当てのカードは無かった。なるほど、なるほど。柚希は顎を摩って目を閉じた。そういえば、別の美少女ゲーになけなしの小遣いを課金したばかりだったっけ……そして今は月の初め……お小遣いデーは一月後……しかし待てない、シークレットスチル、早く見たい!

 ならお金を稼ごう。柚希は腕を組み、うんうんと大学教授みたいにしきりに頷く。柚希の通う学校は迷宮関係外のバイトを禁止している。つまり、迷宮関係ならバイトを許可している。しかし迷宮で採取した素材を売るだけでは、いち早く望みの額に到達させるのは難しいだろう。ならば択はひとつ。


「──配信だ!」


 その一ヶ月後、掲示板に【聖人系ダンチューバー】の文字が躍っていることを、柚希はまだ知らない。

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