第6話  闘技場

「おい、起きろ! もう朝だぞ!」


 レティシアの怒鳴り声で、僕は目を覚ます。ああ、そうだった、昨日は散々な目にあった。まだ疲労感が取れない。


「はぁ……ひどい目にあった……」

「何言ってやがる。お前、昨日は美女に囲まれて、そいつらの胸ばっかり見て喜んでたじゃねえか」


 いや、レティシアよ、天地天命に誓って、僕は喜んでなどいない。この鬱積した疲労感が、何よりの証拠だ。


「そんなことより、今日はあそこに行くんだろう?」

「……なんだ、あそこって?」

「ええと、なんてったっけな……ああ、そうそう、『あんこ焼きそば』ってところだ」


 レティシアよ、それはきっと円形闘技場アンフィテアトルムではないのか? ほとんど合ってないぞ。大体、小倉トーストや甘口抹茶小倉スパなら聞いたことがあるが、あんこ焼きそばなど、あのナゴヤですらも聞いたことがない。

 だが、反論する気力も湧かない。むしろそのことを思い出して余計、憂鬱になる。


 昨日、僕らをあの社交界に誘ったラヴェナーレ卿が、再び馬車で迎えに来ると言っていた。

 軍務を理由に断ろうかと思ったのだが、地上にいる艦隊司令官は今のところ、することがない。ならば彼らを知り、彼らと誼みを交わすためにも、その誘いに敢えて乗った方が良いとのコールリッジ大将からの助言もあり、断れない。


 約束の時間は、日がてっぺんに上る頃……って、要するに正午か。ここにも日時計はあるようだが、時刻という概念は、この国にはほとんどないらしい。

 時計を見ると、艦隊標準時で午後3時頃。この時間とここの時差は大体5時間だから……つまり今は、午前10時くらいというところか。

 遅すぎる朝食を、レティシアと食堂で摂る。昨日はあまりに脂っこいものを食べ過ぎた。だから朝食には梅茶漬けをチョイスする。一方のレティシアは……なんだこいつ、ピザを頼んでやがる。


「いやあ、あんこ焼きそば、楽しみだなぁ」

「ねえ、レティシアちゃん。あんこ焼きそばって何? まさかこの星に、そんなえげつないものがあるの?」

「俺もよく分からねえんだけど、なんでもそこで試合をやるらしいんだよ」

「……あんこ焼きそばで試合って……どんなスポーツなのよ」


 レティシアの話相手をするグエン准尉は、彼女の言っていることをまるで理解していないようだ。いや、あれで理解できたらすごいものだ。事情を知るはずの僕ですら、何を言っているのかさっぱり分からない。


 それから2時間後には、駆逐艦0001号艦の下に立ち、馬車が現れるのを待つ。向こう側から、またあのオープンな馬車が、ヒイラギの冠をかぶり、美女を侍らせたあの貴族とともに現れる。僕は軍帽を深く被り直し、彼らが到着するのを待つ。


 そしてまたあの乗り心地の悪い馬車で、再び帝都に赴く。向かう先は、この街のいたるところから見える巨大な建造物、あんこ焼き……じゃない、円形闘技場アンフィテアトルムだ。

 しかし、なんだってこれほど高い建物が必要なんだ?幅は200メートル弱、高さは50メートルほど。まるで城壁のような高い壁の向こうからは、歓声が聞こえる。すでに大勢の人々がいるようだ。

 馬車を降り、その巨大な闘技場の壁に開いた細い入り口に進む。急な階段があり、そこを登り切ると、この円形の競技場のてっぺんにたどり着く。

 数千、いや、万はいるだろうか?大群衆が、この競技場の内側に張り付いている。そしてその内側には円形の窪みがあり、そこに2人の剣を持った男が向かい合っている。


「さ、ここが特等席でございます。どうぞ、こちらへ」


 すし詰め状態のこの競技場の客席の一角にぽっかりと開いた場所、見るからに豪華な椅子が並ぶそこに、僕とレティシアは案内される。

 ちょうど席に着いたあたりで、あの2人の剣士の内、1人が動く。振り上げられた剣を、もう一方の剣士が盾で受ける。そしてその剣士はそのまま相手を足蹴りして倒すと、その喉元に剣を突き出す。

 どうやらこの試合、終盤のようだ。これを見た周りの大群衆の興奮が、絶頂に達する。だが問題は、その叫び声だ。


「殺せーっ!」

「その魂を、アポローンに捧げよ!」


 ……なんだか、物騒なことを言い出す奴らがいるぞ。悪い予感がする。そういえばここは、古代文化の真っ只中だ。ということは、まさか……


 僕に不安が過ぎる時は、フラグが立つ時だ。それは残念ながら、的中する。

 僕らのいるこの特等席の前に、何やら派手めのテーブルクロスを纏い、銀の冠、銀の杯を片手に持つ人物がいる。その男が、不意に立ち上がる。

 身分の高い男であろうことは、容易に察しがつく。その男は競技場内をしばらく見回すと、右手に持っていた銀の杯を下ろし、そしてその手を首の辺りに当てて、スッと右手を首の前を横切らせた。

 その仕草を見た群衆は、大いに声をあげる。興奮状態、いや、もはや錯乱状態と表現した方が正しいだろう。レティシアも僕も、これが何を意味するのか、まだ分からない。

 が、次の瞬間、その仕草の意味を、僕らは衝撃と共に知ることになる。


 剣士が、倒れた剣士の首元に、剣を突き立てる。もう一方の剣士は、まるで覚悟を決めたようで、目を閉じる。そしてその剣士の鎖骨のあたりをめがけて、勝者の方の剣士は剣を突き刺す。

 我々にはまったく理解不能な事態が、目の前で起こる。僕は今、目の前で起きている出来事を、とても直視できないし、言い表すなんてできない。信じがたい蛮行が、まさに目の前で突然、起こった。

 確実に言えることは、数十メートル先で、一人の人間の命が今、失われたということ。それを見た群衆が、大興奮に陥ったということだ。


 さすがにレティシアもショックだったようで、開いた口が塞がらない。そりゃあそうだ。まさかこんな光景を目にすることになろうとは、彼女自身、思ってもいなかっただろう。

 なんとなく僕は、予感していた。似たような建物、似たような歴史が、地球アース001にはあった。その時代のその場所では、やはり同じような生命のやりとりが行われていたと、記録には残っている。

 それをリアルタイムで、僕らは目にしてしまった。


 勝者が、真っ赤に染まる剣を掲げて群衆にアピールする。一方で敗者はそのまま、数人の男らによって片付けられる。その周囲に飛び散った赤い痕跡も、土ごと削られて綺麗さっぱり消される。


「そうそう、あのお方は皇族の一人で、第3皇子のネレーロ様でございます。今日の闘技の仕切り役なのですよ。」


 そんな凄惨な光景など意に介すことなく、先ほど一人の剣士の生命を奪う決断を下した男の名を耳打ちするラヴェナーレ卿。やはり彼は、それなりの身分のある人物だった。しかも、皇族だと言った。第3皇子ということはつまり、3番目の皇位継承権を持つ者、ということか?


 群衆の興奮状態が続く中、次の試合が始まろうとしている。この闘技場に一つだけ存在する通用門から、数人の人物が入ってくる。

 また群衆が盛り上がり始めた。今度はなんと、複数人だ。チーム戦でもやるつもりか?だがその戦いの結末にあるのは、さっきのような蛮行なのだろう。そう思うと僕は、彼らをあまり歓迎する気になれない。

 入ってきた人物は、いずれも筋肉隆々の男達。盛んに自らを群衆にアピールしている。全部で10人。その10人は二手に分かれ、互いに向き合う。


 ……いや、待て。一人だけ妙なのがいる。小柄で、黒髪の人物。あれはどう見ても、女だ。

 他の9人は皆、長い剣を持っているが、こいつだけは腰に短剣、そして背中に数本の矢、手には大きな弓。

 広いとは言い難い闘技場で、あまりに場違いな武器を持つ闘士だが、まさかあれで戦うというのか?僕はその女性に釘付けとなる。そしてついに、死闘が始まってしまう。


 ヴォーッという大きな角笛の音を合図に、10人は闘いを始める。屈強な男らが剣を構え、互いにジリジリと接近する。

 ただしあの女闘士は、後方に控えて弓を持つ。弓という武器の性格上、接近戦は無理だ。だが、この狭い闘技場で弓という武器は、極めて不利だ。なにゆえ彼女は、弓など使うことを選んだのか?

 しかも、持っている矢が明らかに少ない。どう見ても4、5本。相手と同じくらいの数の矢しか与えられていない。これでは死ねと言われているようなものだ。

 矢の命中率がどれほどかは知らないが、少なくとも100パーセントではない。初速が遅いから、真っ直ぐ狙えば当たらない。弾道を描いて飛ぶため、その分を補正しながら射なくてはならないはずだ。

 そんな無謀な武器しか持たないその女闘士は、動じることなく弓を構える。剣士らが剣を交える直前、一矢を放つ。

 女闘士の放ったその矢は、弧を描きながら飛翔する。だがそれは吸い込まれるように、相手側の剣士の一人に向かう。


「ぐぁっ!」


 右肩あたりに、それは命中する。矢の刺さった剣士は、その痛みに耐えかねて持っている剣を落とす。たった一撃で、一人を戦闘不能に陥れた。

 偶然にしては、神がかった弾道だ。このままなぶり殺しにされるだけだと思っていたその女闘士に、僕は釘付けになる。

 4対4となったところで、いよいよ剣士同士のぶつかり合いが始まる。剣を交えての一進一退の攻防が、あちこちで繰り広げられる。女闘士はその後方にて、弓を構える。

 混戦に入り、迂闊に矢が放てなくなった。下手をすれば、味方に当たる。弓を構えるも、狙いが定まらない。剣士らによる乱戦が続く。

 と、思いきや、相手側の一人が組み合った剣士を吹っ飛ばす。その剣士は他の者より一回り大きく、半ば力業で相手を打ち負かす。

 そして、倒れた相手が立ち上がる間も無く、上からひと突き。またしてもそこは、凄惨な現場となる。が、今度は複数人が相手、まだ4人いる。内、一人が相手をつき倒す。そのまま、相手は気を失う。

 打ち勝ったのは、女闘士側の剣闘士ようだ。だが、その剣士も、先ほどの大男が組み掛かり、またしても大男が力勝ちしてしまう。まるで、勝負にならない。

 一方で女闘士も、隙を見て矢を放つ。恐ろしいことに、2発目、3発目も相手の右肩に当たる。間違いない、あれは偶然ではなく、本当に当てている。

 そのうち一矢は、明らかに脇見で放っている。それでも当たる。どういうことだ、やつはどこ見て射ているんだ。


 意外な展開になった。残ったのはあの大男と、女闘士。それ以外は物言わぬ屍か、戦闘不能状態。こんな極端な両者が、まさかの最後の一騎討ちを演じることとなる。だが、女の背にある矢はあと2本。

 そのうち一本を、大男に向かって放つ。それは正確に、その大男目がけて吸い込まれていく。そしておそらく狙い通り、男の右肩に刺さる。

 が、そいつは刺さった矢を引き抜く。痛みなど感じないのか?刺さった矢を左手で引き抜くと、再び彼女に向かって歩き出す。

 最後の一本の矢を、女闘士は放つ。これも正確に右肩へと向かうが、正確すぎるのが災いし、その筋を読まれて、剣で払い除けられる。

 もはや、攻撃手段を失った彼女は、迫る大男の前で腰に付けた短剣を抜き、たどたどしくそれを構える。が、ライオンとネズミほどの落差のある両者。大男はその女闘士を蹴倒す。まるで強風にあおられた紙屑のように、闘技場の広場を舞い上がる。そして地面に叩きつけられる。


 半ばけいれんしながらも、立ち上がろうとする女闘士。だが、短剣はどこかに飛ばされてしまった。もはや勝敗は決している。これ以上の戦闘は不要だ。が、群衆からはまたあの掛け声が沸き起こる。


「殺せ、殺せーっ!」

「アポローンの生贄に!」


 大男の剣士は、その群衆の掛け声をあおるかのように剣を振り上げる。その様子を見た仕切り役のあの第3皇子が、ゆっくりと立ち上がる。そして、周りを見渡す。


 それを見た僕は、とっさに立ち上がる。そして、腰にある拳銃を取り出し、出力目盛りを目一杯回す。

 立ち上がったネレーロ皇子が、右手を首に充てようとした、その時だ。

 僕はその闘技場のど真ん中に向かって、拳銃の引き金を引いた。

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