第9話 なんで分かんないかなぁ

「なんで光ちゃんとの婚約の話、何にも教えてくれなかったの!?」


『え~だって、その方が面白そうだと思ったんだも~ん』


「そんなのっ、この十年間で私が他の人を好きになったり、好きにならなくても寂しくてお試し恋愛とかしてたら光ちゃんに何て言うつもりだったの!?」


『あんたに告白する度胸あるわけないじゃない』


「おい失礼だな」


『って言うか、あんたって昔から一度好きになったものはずっと好きになっちゃうタイプだったし、何となく大丈夫だと思ったのよね~。ほら、私もパパもずっと一途じゃない?その遺伝よ。い・で』


 ブツッ


「やかましいわ」


 全て聞き終わる前に通話終了ボタンを押してぶつ切りする。


「はぁ……ホント疲れる、ママとの会話……」


 菜由は溜息を吐きながらスマホを机の上に置き、リビングのソファに腰を沈めた。


「……静かだなあ」


 時々鳥のさえずる声や、隣や上の階からの物音、外からの雑音。


 いつもだったらこれだけでも機嫌の悪い時なんかはうるさいと感じていたのに、今日はいつもより音がずっと遠くに聞こえる気がして静かだ。


「返信は……着てない、か」


 今日朝起きてから何度もスマホを覗いているのに、返信は0件。


 昨日の朝、今にして思えば死ぬほどキモい長文ファンメッセージを送って、『ごめん!!今時間ないからあとでみるね!!!!!』と、返事があったきり何の音沙汰もない。


 本当に忙しいだけなのかもしれないけど、メッセージがあまりにもキモすぎて愛想を尽かされてしまっていたらどうしよう。


 それとも、あのファンメッセージはアリナ宛てだったから、あれとは別に光ちゃん宛てに送った方がいいのかな……?


 なんてことを、昨日のお昼くらいから何十回と考えている。


 結局、あのファンメッセージから何も送信していない。


 昨日は大学の授業が死ぬほど入ってたし、夜はバイトもあったからいくらか気が紛れたけど、今日は何もないから寂しさの誤魔化しようがない。


「光ちゃん………」


 愛しい人の名前を呼びながら、ほとんど無意識的に手を下半身の方へと伸ばす。


「ん……光っ……ちゃ、んっ………」


 ブー、ブー


「わあぁっ!?!?」


 驚きのあまりソファから転げ落ちる。


 下ろしかけた下着とショートパンツを慌てて引き上げながら、机上のスマホに手を伸ばした。


『連絡遅くなっちゃった!!いま通話できる!?』


「っっっ!!!」


 画面に表示されたそんなたったの一文で、さっきまで灰色一色だった私の脳内は、一瞬にして虹色の一面お花畑に変わってしまう。


 すぐに文字をスワイプタップして返信する。


『できます!!!!!』


 すぐに向こうから着信があり、受話器ボタンを押してスマホを耳に当てる。


「も、もしもし!光ちゃん?」


『あー!良かった繋がった!ごめん!!連絡遅くなっちゃって!!』


「う、ううん。なにかあったの?」


『それが結構スケジュール詰まってて中々まとまった時間取れなくってさ、せっかくの菜由との時間はゆっくりしたかったから、全部落ち着くまで結構時間掛かっちゃった』


「そ、そう……だよね。AriNa…だもんね。い、今は大丈夫なの?」


『うん。今日はもうちょっとだけゆっくりして、後は飛行機乗ってアメリカに帰るだけだから』


「そっ……か。もう……」


 光ちゃんとスマホ越しにでも話せて嬉しいのに、もうすぐ日本を発って遠く海の向こうへ行ってしまうと改めて聞くと、無力感と寂寥感で胸が苦しくなる。


『そうだ、そういえば昨日の朝送ってくれたメッセージ見たよ!!』


「え、あっ、ああっ!!あ、あれ、気持ち悪くなかった!?」


『なんで?普通にめっちゃ嬉しかったよ?あ。えっと、こういう時はアリナとして言った方がいいよね………う゛ぅん、ごほんっ。あーあー、うん。ありがとうね、菜由ちゃん』


 ブワッと、全身の鳥肌が立つのが分かった。


 その声は確かに、少しだけ籠っていて、どこか儚くて、でも力強いアリナ特有のものだったから。


 少なくとも、光ちゃんのはっきりとした明るい声とは別物だった。


 いや、実際は光ちゃんの声とアリナの声はよく似ているのかもしれないけど、私にはどうしても別人にしか聞こえなかった。


 もしかすると、私にだけ変なバイアスがかかっているのかもしれない。


 気が付くと、私は涙を流していた。


 我ながら限界すぎると思う。


「はい゛っ……ずっと推しててよがったですっ……!AriNaが引退する最後の日まで……私っ、全力で応援じまずっ!!」


『うん、ありがと。今まで以上に最高の曲を届けてあげるから、期待して待っててよ』


 アリナはそれだけ言うと、にっこり笑って私の前から姿を消した………ような気がした。


『ふふ。菜由ってばホント、AriNaのこと好き過ぎでしょ』


「うん。特にアリナさんが一番好き。声も歌い方も、雰囲気も……っていうか全部好き」


『………ねえ、なんで私は自分に嫉妬しないといけないの?私のことは?』


「も、もちろん光ちゃんも大好きだよっ!!だ、だけど何と言うか、私にとって、光ちゃんのいない十年間を彩ってくれたのがAriNaだったから……こう、なんというか……特別な恩があると言うか………」


『……ふーん?まあ別にいいですけど。結局どっちも私なわけだし~………あ、そういえば菜由って、AriNaの名前の由来知ってる?』


「え?由来……?えーと……公表されてないよね?」


『うん、してない。もうホントネット上で色々考察されてるけど、当たってるやつ見たことない』


 その考察、多分十個とか二十個とか私のやつかも……と言う言葉は飲み込む。


『その反応は気付いてないかあ……では、答え合わせといきましょう』


「え……えぇ!?も、もしかして、わ、私だけ教えてもらえるの……?」


『うん』


「ま、待って待って!!こ、心の準備が!!って言うか、私だけに特別って!それはなんかちょっとズルしてるみたいで心苦しいって言うか……!!」


『大丈夫だよ?今後も公表する予定ないし、菜由以外に教えても意味ないし』


「ど……どういう……?」


『AriNaのスペルって、『A』と『N』だけ大文字でしょ?だから『Ari』と『Na』に分けて考えるの。どう?どういう意味か分かった?』


「…………?」


『あー、なんで分かんないかなぁ……。私の名前って光でしょ?ローマ字に直したら『Hikari』。で、菜由の名前をローマ字に直したら『Nayu』になるでしょ?で、『Hikari』から『Hik』を、『Nayu』から『yu』を無くしてみたら?』


「えっと……『Hik』を無くしたら『Ari』が残って、『yu』を無くしたら『Na』が残って…………あ゛っ!!!!」


『やーーーーっと分かった?』


 光はふーと息を吐いてから、にこやかに告げた。


『最初っからこのバンドは、私が菜由と出会うためにあったんだから』

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