第六話 製本
「で、手始めに何をすればよいのでしょう?」
ミフネフォールドの質問はもっともだ。何をすれば文化の戦いになるのか分からない。
「まずは、これです」
「なんだこれは?」
それは細かい枡に、たくさんの文字を彫った棒が射しこまれていた。
「私も見様見真似で作ってみたのですが、これは印刷機と言います。あ、もっと完成度の高いものを作る必要はありますが、これは原理をお伝えするものです。アルディラの文字は全部で四十八。ランドンは五十一ですがね。それぞれ、文字をこのような枡に並べれば……」
読みにくい。よく見れば文字が反転している。
「おい、こいつ、文字が反転しているぞ」
「ええ、それでいいんです。ここにインクを付けて」
シドがそこに紙を押し当て、こすりつける。
その紙を剥がすと、その紙には──
『シド・スワロウテイル』
と書かれて……いや、よく見ると、一つ、文字が反転している。
「あれ? あー、彫るときに跳ねる方向を間違えたか」
シドは苦笑いをしている。
どうやら、文字を写す道具らしい。ミフネフォールドは食い入るようにその紙を見た。ランドンでは珍しい様子だ。
「これをどう使うのだ? アルディラには、文字を入れ替えて使う『自在印』が既にあるぞ? それと同じことだろ?」
「原理的には一緒ですが、署名用の印鑑ではありません。これで、書類や経典を作成するのです。アルディラは自在印の分、有利ですね」
「……いや、シドよ。それは書生が書き写せばよかろう? 今も経典の類は、それで行っておるし、そもそも文字が読めるものが少なかろう? 書生の仕事はどうする?」
「ランドンにも、文字が読める者は、そう多くはおりません」
シドは頷いた。そこは理解できているのであろう。
「それゆえです。まず、全ての国民に文字を教えるところからです」
何と言った?
文字を教える?
しかも全ての国民にだと?
アルディラだと、文字の読み書きは三割ほど。自分の署名はできる程度なら五割を超すだろうが、さすがに全ての国民に文字を教えるとなると、途方もない事業だ。
「どうやってだ? 国民全員なぞ、いったい、何人いると思っているのだ?」
「だから、これを使うのです」
シドは署名の書かれた紙を見せた。全く分からない。
戦場でも、こいつが言うことは全く分からなかったが、いつも要領を得ない。そのくせ、それしかない手を指し示すのだから質(たち)が悪い。
「あー。シド様は、これで、例えば……文字を教える本を作れと?」
ミフネフォールドに言われたが、そんな本を一体何冊作れると思っているんだ。
その文字を教える本を作るのに、何人の書生が、それを書き写せばいいと……。
──違う。そうじゃない。
「『本を作るのは書生』という考えをやめ、これで大量に本を作れ、という話か」
「ご明察です。まず教科書、つまりえーっと、文字を教える本を大量に作り、国民が文字を読めるようにしてください」
「書生の失業はどうする?」
「大丈夫です。別の仕事が山ほどあります。それに最初にそれを始めた書生が大儲けしますよ。分かりやすく教える本が一番儲かる仕組みになります。この本は売るのです」
商売に絡ませるつもりか。
「面白いです。早速、作らせましょう」
ミフネフォールドは既に乗り気だ。
ランドンは小国だが、元々学問が盛んな国だ。
なるほど。もっと学問を強化するつもりならば、本を大量に作るのは有効か。
「最初は国の事業とし、内容が粗悪なものは修正させ、よりよいものだけを作り続ければ良いでしょう。ですが、いつまでも官製にすることは好ましくありません。機械を民間にも売り、文字で商売をさせましょう」
「で、平民に文字を教えた後は、何をする?」
平民が文字を覚えたところで、やれることはたかが知れている。せいぜい、高札が読めるようになるくらいだ。
今でも三割の人間が読める。
その者たちが代わりに読むことで、高札などの伝言は足りている。
「神官たちに、暦の作り方を書かせます」
「教える訳がないだろ?」
「いえ、天体の観測から生まれたこの国の暦は、計算方法さえ分かれば、誰でもできるものです。彼らに暦とその計算方法を書かせます」
「数を数えるのもやっとの平民に、暦など計算できるものか」
「いえ、いずれ、もっと正確な暦を作るようになります」
もっと正確???
「これも最初にやった神官にお金が入る仕組みを用意します」
「ははぁ。なるほど。シド様が行おうとしていることが、なんとなく読めてきましたぞ」
シドが行おうとすること。
異世界帰りの世迷言だと思ったが……。同調者が現れるのであれば、アルディラも絡んでいた方が良いか。
「多くの人に学を与え、今ある技術や思想を本にし、より多くを学ぶ体制を作ります。より多く、より早く、より正しく教えるものほどお金が入る仕組みです。それがうまくいけば、自分の知っていること、考えていることを文字にして皆に広める社会が生まれます。そうなれば、それに憧れる者も出てくることでしょう」
時折見せる商人が如き顔つき。
これがシドの本質だ。
いつも損得で人を動かそうとする。
負け戦で兵を失うことは損。勝てないなら逃げた方が得。相手がいなくなるまで徹底的に戦うのは損。相手が戦わずに逃げてくれれば得。
国の大義よりも、神の声よりも、利害で物事を動かそうとする。
そして、事実、それで人が動いている。実績のあるやり方だ。
不思議なのは、それを独り占めしようとは決してしない。誰にでもわかるやり方で、広めようとする。
シドのにやけた顔が憎たらしく感じる。
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