第5話 感恩報謝
恐らく、畑にある足跡で気付かれたのでしょう。
迂闊でした。
私は、自分が既にいつもの自分ではないと気付きました。あの庭を見てから、かの方の術中に陥っていたのかもしれません。
自分が嫌になりました。
その壺に触れるとまだ温かく、晩秋の冷えた指先を温めてくれます。
罠の危険性も感じましたが……壺の蓋を開けた時、そこに紫色の大きな芋を見つけました。
我々、数日は食べずに生きていける訓練を受けています。
また一粒で半日は空腹を感じずに済む兵糧丸も持参しいています。
それでも、任務の最中に温かいもの、ましてや甘いものを欲しくなる時はあります。
毒消しもあるので、たいていの毒なら流せます。
よし、食ってやろう。それであのシドという男の器を試してやろう。
食欲に負けたわけではなく、その時の私は真剣にそう感じていました。器が小さいとわかれば、このまま監視せずともいい。アルディラの快進撃は偶然であり、いずれどこかの国の暗殺者に殺されることだろうと。
芋を二つに折ると、中から黄金に輝く芋の実の部分が、ふわりと芳しい香りを放ちました。信じられますか? たかが芋なのに、かの方にかかれば、このようなご馳走になるということを。
一口齧れば、その甘さ、蜜のうまさが口に広がります。
もう一口齧れば、秋の夕暮れを感じ、もう一口齧れば得も知れぬ恩を感じます。
私は、このままでいいのか?
悩みました。ですが、庭を荒らした詫びと、この世のものとは思えぬこの芋の恩を返さねばと、私は山小屋の扉を叩こうと思いましたが……手ぶらです。
暗殺者が手ぶらで対象の前に現れ、礼を言う。
……どう考えても尋常ではありません。
恐怖で騒がれでもしたら、監視が難しくなるだけでなく、殺さなくてはいけなくなる可能性もある。
私は山の中でハチの巣を探し、それを拝借しました。
ハチミツは、どの国の方も食される物でしょうし、貴重な甘味です。
甘味の返礼に甘味を贈る。文化が違えど分かっていただけるはずでしょう。
玄関先にそっと置きました。しかし、さすがは傭兵王。物音に気付いたのか、突然裏口が開いたのです。しばらく、相手は夕闇の中で気配を伺っている様子でした。ようやく、足元のハチの巣に気付いたようです。
「……あれ? ハチの巣?」
「どうされました?」
「……ふふ。ごんぎつねが、焼き芋のお礼にハチの巣を置いてったよ。大丈夫。アズライール、外にいるのは敵じゃないよ」
私はそれを山小屋の陰で気配を殺して聞いていました。
かの方は、どうやら私をきつねと思った様子です。
しかも敵ではないと認識してもらえている様子です。
ほっとしたのも束の間。私は闇から投げられたクナイを短剣ではじき返しました。
またどこぞの暗殺者が、ここに近づいた様子です。
その者は、私を追いかけてきました。相手は三人。
はいそうです。こちらも朝までに始末しました。
いずれも川に流して処理しました。
土中に埋めるには時間がかかったものですから。
流す時ですか?
服は全て剥ぎ取ります。
空洞があると浮いてしまうので、肺と胃に穴をあけ、中の空気を抜き、沈めるだけです。そうですね。川の中に死体が漂うことになるかもしれません。春までには死蝋と化すことでしょう。
服は……埋めたとしか。
死体と違って、その匂いで動物が近づくことはありませんので。
なるほど。その服で、国を特定することは可能と思います。場所はお教えできませんが……。
翌日にはようやく例のエルフが回復し、その次の日には元気に馴れ馴れしく……いえ、かの方と話していました。
冬が近づいているためでしょう。
エルフが秋冬の狩猟の仕方を主に少女に訓練していました。
アズライールと言う弓の名で思い出したのですが、西エルフのエレノア・フロストバイトかもしれません。使っている本人の名よりも、弓の名前のほうが有名と言うのも珍しい話ですから、よく覚えています。
その西エルフが滞在している間、私は山荘から離れました。
エルフの耳の良さを警戒しました。
しかもアズライールの矢から逃れるのは至難ですから。ですが、監視も続ける必要があります。
心音を聞き取られないくらいの距離に離れ、例の山賊を探しに行きましたが、どこにも見当たらず、また時折現れる山狩りをしようとする冒険者や、恐らく『あの国』から来たと思われた人物を闇に紛れて殺していきました。
……そんな人数を聞いたところで意味はなくないですか?
……全部で三十八人です。はい、最初の四名以外、全員川に流しました。
どこまで流れたかは知りません。
……そういえば、死体がどこかに集まった様子はないですね。下流まで流れたか、途中で獣に喰われたか。
もちろん、かの方が、あの川を洗い物などで使っているのは存じ上げています。なので、その下流にしか流していません。
……そんなに多くの命と仰いますが、それが私の任務なので……。命の大切さは知っていますが……。
大半は普通の冒険者で、相手がシド・スワロウテイルということも知らずに山に入ってきた者ばかりです。
ただ……一人だけ、ここら辺では珍しい妖術を使うものがいました。
東の国の妖術と思います。
その者に狙われた時が一番厄介でした。
私の気配を追って、どこまでも追いかけてくるため、一度、自ら川に落ち、追跡を逃れました。はい、山荘の川上、ちょっと先に滝つぼがあり、私も暗殺する時によく使っていましたが、その滝つぼに自ら落ち、行方をくらませたことがあります。
相手は明らかに術のレベルが格上でした。
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