第4話 アイエイチの魔法陣

「いや、なかなか上出来だったね」

「すごく美味しいです!」


 お世辞ではなかった。キノコや根菜を入れたそのスープは、豆を潰して発酵させた「ミソ」とシドが呼んだ調味料によって、恐ろしいほどのおいしさとなった。体に鳥肌が立つほどだった。豊かになって、食事に困らなくなった今でも、これほどまでの衝撃を味わったことはない。


 もしかして、この歳にして人生最高の味に出会っていたのかもしれない。

 空腹も影響していたのだろう。もう、死んでもいいと思うほどだった。


 しかも、このスープを作るのに、鍋を火にかけていない。それも不思議だった。

 これはのちに知ったことだが、鍋の裏に直接「炎熱魔法陣」を書いているらしい。これはシドのオリジナルの工夫だが、アルディラでは一般的な生活魔法になり「IHの魔法陣」と呼ばれている。


 本来は豪炎壁ファイアウォールなどを作るための炎系の魔法陣の威力を弱め、食料の煮炊きに使うようになったのは、シドが始めたことだ。ただIHとは何のことか、シドが命名者らしいが、そのシドも説明できなかった。


 この発明によって、野営地でも火を使わずに暖かいものを、また空気の悪い洞窟内でも温かい食事に困らなくなったという。その発明者というだけでも、シドは王国に欠かせない存在だったと言える。


「んでさ。そろそろ聞きたいんだけど」


 シドは食後に白湯を飲みながら、改まった。


「なんで、私を襲ってきたのさ?」


 その言葉には殺気はない。

 返答次第では生きて帰さないくらいの勢いで聞かれることも覚悟していたが、満腹感がそうさせなかったのか。


「あの……実は、話すと長くなるんですけど、麓の村に来ていた槍使いの方に弟子入りをしようと思いまして」


 事実だ。王都の浮浪児狩りが激しくなってきて、逃げるように王都から脱出したものの、行く場所もなく、北に向かっていた時、とある村に、有名な槍使いがいると聞き、見に行ったのだ。


「……槍使い? ああ、ヴィマルか。ちっ。先週までここにいたんだが……まだ麓にいたのか」


 シドが舌打ちをして言った。


「そのヴィマルっていう人かどうかはわかりませんが、『魔槍』って奴を持っているとか」

「ああ。それは『魔槍クルディール』だ。まあ、それなりに有名な王軍の将だね。知り合いだ」

「将?」

「知らなかったのかい? 将軍だよ」

「はい。あの、軍の方とは聞いたので、その方に『従者にしてほしい』って言ったんです」

「えー!? ヴィマルにかい?」


 シドの反応を見ると、どうやら、よほどバカなことを言ったのだろう。王軍の一員となった今から思えば、これほどバカなことを言いだせば、誰でも呆れるだろう。


 だが、当時の私は貧困から逃れるためにも、必死だったし、なにより無知だった。

誰でもいいから貴族や軍人の従者になれば、いつか軍に入れるかもしれない。軍にさえ入れば、平民でもチャンス次第で、最低限の暮らしができると信じていた。


「彼は『チビに何ができるんだ?』と言ってきたので、荷物運びでも、剣でも何でもできると答えたら、『そこの山にシドという男がいるから、倒してこい。あいつは軍を勝手に抜け出した大罪人だ』と」

「……あいつめ。私は、ちゃんと正規の手続きを踏んで軍を辞めたぞ? どうやら君は、えーっと、レイはヴィマルに担がれたな」


 どうも、私はヴィマルの冗談を真に受けたと言いたいようだった。まあ、今思えばその通りだろう。


「いや。正直、危ないところだったよ。こっちは丸腰だったし、急だったから、躱すのがギリギリだ。全てヴィマルが悪いんであってレイは何も悪くないよ」


 そうは言ってくれたが、自分の馬鹿さ加減が嫌になった。


「ところでレイの親御さんは? お父さんは……」


 急に話題を変えてきたが、まあ、見れば分かる話だ。

 首を横に振った。


「今は孤児かい?」


 この秋空に半袖の服、色違いの靴下。ほつれたズボンを直すお金もない。小遣い稼ぎをしながら、コツコツ集めた金で、護身用の剣を買うのがやっとだ。

 見ればすぐにわかるほどの孤児だ。


「昔、君と同じ苗字の男に逢ったことがあってね。西のコルネットという街で」

「ああ、コルネットなら多分、私の親族か親戚と思います。スターシーカー家はコルネットに多い名前だそうですから。私が物心ついたときは、もう両親は他界していて、父の縁者に育てられましたが……」


 その縁者もすぐに急死し、その日から孤児として街に放り出された。


「そうか。まあ、あの町の出来事はもう随分前だ。小さくて覚えてないよね」


 後々、ことの次第を知った時、私は、自分の生い立ちにぞっとすることになるが、それはまた別の話だ。

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