第3話 謝罪

 目を覚ました私は、見覚えのない暗い一室の床に寝転がっていた。


 床にはマットが敷かれ、私には毛布がかぶされていた。

 部屋の扉の隙間から、向こうの部屋の灯りが漏れ、そこから、シュッシュッと刃物を研ぐ音が聞こえてきた。


 その隙間から、そっと様子をうかがうと、男が背を向けて刃物を研いでいた。

 生きた心地がしなかった。


 王都では夜な夜な浮浪児を捕まえて食べる元軍人の話が怪談として語られている。笑って済ませられる話ではない。

 事実、私の友人も、知らない間に連絡がつかなくなったりしていた。多くが連れ去られ、奴隷として働かされていたと聞く。中には大人たちの慰み者になったり、剣の試し切りに使われたりした者もいると聞いていた。


 殺されるかもしれない……。

 バラバラにされて、もしかしたら、食べられてしまうのかもしれない。

 そう思うと、体に緊張が走った。


 そんな時に限って、人と言うのは、音を立ててしまうものだ。

 お約束だ。

 床に置かれた桶に足を引っ掛け、大きな音を立てた時、扉の向こうから呑気な声が聞こえた。


「ああ、起きた? 大丈夫? 首」


 それでようやく思い出した。

 そうか。私は、シドという男に斬りつけて、逆に倒されたんだった。

 言われて首を触ったが、少し腫れている。

 いつ首をぶつけたのか、覚えがないが、確かに痛い。自分の身に何が起こったのかを知ったのは、後で教えてもらったからだ。


「あの……すみませんでした」


 いきなり斬りつけておきながら「すみません」で許してもらえるわけがないだろう。私は扉を開き、服のすそを掴んだ。

 浮浪児が殴られるなんて、日常茶飯事だ。殴られたくらいで済めば上出来だ。また街のゴミ箱を漁れば生きていける。


「君の剣、いま研ぎ直しているからさ」


 研いでいた刃物は、私の剣だった。


「……なんで?」

「え? なんで……って剣は斬れないと困るでしょ?」


 当然だと言わんばかりの口調だ。

 だが一体、何を私はこの先斬ればいいのか。

 負けた時点で、もう終わった話だ。

 私は軍人になれず、浮浪児に戻るだけ。

 最低限、生きてこの家から出られればいい。


「いえ、剣は、いいんです。その……お邪魔しました」

「もう、帰るの?」


 そりゃ帰るだろ?

 これ以上、ここに残って、何があるのか……。

 想像だけで体がこわばった。結論、碌なことはない。


「えっとさ、この剣は君には重すぎだと思う。それに剣を横に払うのは反動が大きい上に、隙が出ちゃうから良くないよ。この剣なら、横に振るよりも、縦に振ったほうがいいと思う」


 何を言っているのか理解できなかった。

 いや、言っている意味が理解できないというより、「何故」そんなことを言っているのか理解できなかったというべきか。


「で……帰る家はあるの?」


 そこで初めて気が付いた。

 私はこの男に、あろうことか、心配されているのだ。

 その時の複雑な気持ちは、あれから何年経っても、言いようがない。

 屈辱と、嬉しさが同居する、感情がちぎれそうになるほどの辛さが、私の心を襲った。


 私には、帰る家なんかない。

 それは惨めな現実だった。


「もう山も夜だし。ここら辺は、夜行魔獣もうろついて物騒だから。朝まで泊っていけば?」


 私の顔を見ずに言うのは、彼の優しさだったのか。

 私にはどうすることもできない。選択肢はない。

 その時だ。私は思わずお腹を押さえた。

 ぐぅという音が同時に二つ。


「お。そういえば、私も今日は、まだ何も食ってないぞ!」


 シドは大声で笑いだした。

 私の腹と、シドの腹が、どういうわけか共鳴シンクロした。


「よし、飯にしよう! さっき、柴を拾っている最中に、山の中で食えるものをいくつか拾ってきた。食べられないものはあるか?」


 首を横に振る。私は生きるために何でも食べてきた。

 ……いや、それよりもだ。え、飯だと?

 一昨日、食べたばかりだよ。


「よーし、じゃあ、手伝ってくれないか。ええっと……名前は?」

「レイ。レイ・スターシーカーです」


 ぴくりとシドの手が止まり、私の顔をじっと眺めたのを私は昨日のように覚えている。

 困惑と憐憫は、人の顔を無表情にするのかもしれない。


「……レイ。私はシドだ。シド・スワロウテイル。一緒に手伝ってくれ」


 シドは、取り繕うような笑顔を見せ、台所に私を連れて行った。

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