第2話 師との出会い

 今でも覚えている。


 あの秋の山の張り詰めた空気。あの足元の枯葉の立てる音。どこからともなく聞こえる大きな鳥の啼き声。

 そこが人を不安にさせる光景だったのか。それとも既に不安でいっぱいのまま、この山に入ってしまったのか。

 沸き起こる心細さを吹き払うように、その乾いた空気を肺の奥まで吸った。

 だがその冷たい空気と言いようのない孤独は、私を余計に不安にさせていた。

 半日ほど山を彷徨って、ようやく、人影を見つけた時の私は、緊張とその空気で、既に喉がカラカラだった。


「おま……げふん。お、お前が、シドか?」


 男は、私のしわがれた声に小首を傾げながら、そっと頷いた。

『怪訝』を絵に描けと言われたら、この顔を描くだろう。

 そんな顔でこちらを見つめていた。

 山奥の枯葉の積もる道で、私はその男──茶髪を後ろに留め、無精ひげを生やしたおっさんに、斬りかかっていった。


「え! なになに? なんなの?」


 予想外に相手は動揺していた。

 相手に武術の心得があると思っていた私は、もしや人違いかとも思ったが、もう止めることはできない。もう違っていてもいいとさえ思って剣を振った。


「いざ、尋常に勝負!」


 しかし私の振り回した剣は、その男に躱され続けた。

 何度打ち込んでも、何度薙ぎ払っても、全て躱されてしまった。


 間違いない。武道の心得がある。……ような気がする。

 こいつが、シド・スワロウテイルだと、自分の疑いを払いのけたのを今でも覚えている。


 シドは何度も「待て!」「待てって!」と言いながら、剣を躱し続けた。


 華麗……とは言い難い避け方だが、私の剣も未熟だったことは否めない。

 こっちは初めて剣を振るったのだから。

 一方のシドも枯葉に足を滑らせながらも、私の剣を何とか防ごうと必死だった。

 のちに「ちっとも尋常な勝負じゃないし。話を聞いてくれないし。こっちは丸腰だったし」と、この日のことを思い出すたびに何度も苦情を言うほど、当時の私も必死だった。


 私は十四歳。ただの痩せた子供だ。

 面倒が無いよう髪は仲間同士で短く刈り、服は拾ってきた季節感のない半袖。ズボンのポケットは破れかかっている。

 かつて母譲りと言われた明るいオレンジ色の髪も、父譲りと言われた美しい緑の瞳も、この痩せこけた体には不似合いだった。

 実のところ、父の記憶も、母の記憶も、明確なものはほとんどない。あるとすれば、面影くらいだろう。

 それどころか、戦災孤児は、日々、碌に食べることすらままならない。

 少しのチャンスも逃すわけにはいかないと、必死だった。

 この目の前の男を倒せば、軍に入れてもらえるという話を信じていた。


 今から思えばバカな話だ。話を持ち掛けた側も、私がシドを倒せるなんて思ってなかったろう。仮に倒せたとしたら、軍に入れるどころか、犯罪者として私は牢屋に入っていたはずだ。


 彼が名の知れた「傭兵王」であり「竜を殺した冒険家」だと知ったのは、随分と後のことだ。先に知っていたら、斬りかかることはなかった。敵う訳がない。

 今思えば、無知とは恐ろしいものだ。


 何度目かの私の下手くそな斬撃のせいで、剣が誤って近くの木の幹に深く刺さった。


「あ」


 力任せに振り回していた私の剣は、深くその大樹にめり込み、全く動かなくなった。

 ぜぇはぁと肩で息をしながら、シドを見ると、シドも肩で息をしながら、見守っている。


「んんっ」


 力任せに抜こうとするが、ビクともしない。


「あ。ダメダメ。そんな風にしたら、剣が曲がっちゃうよ?」


 勝負をしに来た相手の剣が曲がることを心配するとは、随分とお人よしだが、当時の私はその言葉にビクっとした。


「困る。……この剣は高かったんだ」


 今から思い起こせば、私は剣を振り回していたというより、……剣に振り回されていたのだろう。渾身の遠心力で刺さった剣は、全く動こうともしない。


 いや、本当は勝った負けたという世間の価値観に振り回されていただけなのかもしれない。


 負け組の人生から、勝ち組に変わりたかった。

 今思えばバカな話だ。人生は勝ち負けじゃない。


「ちょっと貸して?」


 そういうとシドは代わりに剣を握り、私の代わりに引っ張ったが、それでも全く動かない。


「これ、完全にめり込んだなぁ。後で研ぐから、いいな?」


 と腰に下げた手ぬぐいで刀身を包むと、石でコンコンと剣を叩く。すると、キュッキュッと音を立てて緩み始めた。


「よっと」


 その後は剣をクイクイっと何度かひねると、ようやく幹から剣が抜けた。


「やあ、取れた!」

「わあ、取れた!」


 二人で子供のように喜び、はしゃぎ、その剣を返して貰った瞬間に、私はシドを刺そうとし、同時にシドはそれを躱しながら、私の首に手刀を叩きつけた。


 これが私とシドの出会いだった。

 私は十四歳の浮浪児。シドは中年の隠遁者だった。

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