ただいま

 アユハが二日連続で帰って来ていない。


 結局昨日の僕はそのまま寝て、今日もまた仕事へ向かい、今は帰路の途中。


 ポツポツを降り注ぐ雨の中で、一歩一歩と進んでいく。

 道の途中で目に入るあのメイドカフェを一瞥して、早足で家へ向かう。


 「只今帰りました」


 そう呟いて玄関から部屋を見渡す。

 当然と思えてしまう真っ暗な視界。

 それはリビングも同じようで、僕は玄関の明かりをつける。


 そして、アユハの靴があるのを見つける。


 そこからは身体がバネのように動いた。


 毎日毎日同居人の靴を確認する自分が気持ち悪いという事実は横目に、すぐに二階にあるアユハの部屋へ向かう。

 雨で冷えた体温に若干汗ばむ身体がなんだかいじらしい。


 そして、アユハの部屋の扉の前へ。

 ノックもせずに扉を勢いよく開く。


「アユハさん!」


 綺麗に整理された部屋、明かりが灯った部屋にアユハは居た。


 紫色の髪に、ピアスが沢山付いたパンクな印象の耳。

 いつも見ている部屋着に身を包み、今は突然やって来た僕に驚いて思わず目を見開いている。


 ……。



「……」


「……」



 僕は黙ったまま視線をアユハの隣に移す。


 アユハの目の前には、メイド服を被っているマネキンが置いてある。

 それは以前、アユハが言っていた大学で制作しているものだ。


 アユハは数刻経って、僕にからっとした笑顔を見せて話す。


「おかえり」


 そのいつもと変わらない調子のアユハに、僕はこれまでの不安や心配がどうでも良くなった。

 そのまま、お邪魔しますと言ってアユハの部屋に入る。


「只今帰りました」


 アユハがメイド服のマネキンをじっと見つめているその隣にまで行き、僕も同じようにそのマネキンを眺める。


 確か一ヶ月近く前に見た、あの時以来に見るアユハのオリジナルのメイド服。

 僕はメイド服に詳しくないから、細かくは分からないがどこか貴族のような印象を受ける。



「メイド服、好きなんですか?」


「うーん、割と好きな方」


「そうなんですね」



 アユハはメイド服を見て何やらぶつぶつと呟いている。



「もうちょっと肩のフリルを大きくしても……」


「服を作るのは大変なんですか?」


「大変だよ。かわいいとかかっこいいっていうのを服で表現しないといけないし、自分で一から作るし、教授の説明は下手だし」



 そう淡々と話すアユハ。

 教授…。かわいそうに。



「今でも充分完成してると思いますけど」


「いや、お兄さん。ここからが本番なんだよ。これからもっと可愛くするの」


「ここからですか…。なかなかに骨が折れそうですね」


「うん。でもそれが楽しい」



 アユハは立ち上がって僕を見上げる。



「一回着てみる?」


「……僕がですか?」


「…ぷっ……それでも面白いかも。…お兄さんちょっと部屋から出てて。着替えるから」


「分かりました」



 そう言ってアユハの部屋から出て着替えるのを待つ。

 程なくして部屋の中からアユハの声が聞こえる。



「お兄さんいいよー」


「着替えれました?」


「うん」


「…それでは」



 ドアノブを捻り、ゆっくりとドアを開ける。

 すると目の前には、


「お帰りなさい、ご主人様」


 丁寧にお辞儀をするメイド服姿のアユハが居た。


 小さなフリルが沢山散りばめられた、上品だけど可愛さもあるメイド服。

 大きくて豪華なロングスカートがまさしくメイドさんっぽい。


 やる気のなさそうなその大きくて綺麗な目を持ち上げて僕を見ると、すぐににかっとした笑顔を見せてくる。

 そのギャップを目の前で見て、あのメイドカフェでアユハが人気嬢だった理由がすぐに分かった。



「どう? かわいい?」


「そうですね。かわいいです」


「でしょ? かわいいでしょ?」


「確かに、これは何回も指名したくなるメイドですね」


「あはは、絶妙にキモい」



 アユハは上機嫌に回ってみたり、スカートの裾を持ち上げたりして、僕はその写真撮影に付き合わされた。


 アユハが途中から自ら猫耳のカチューシャを着けて撮影したが、これは決して僕の趣味ではない。

 そこは間違いないように。


「はい、チーズ」


 最後になぜか一緒に自撮りをして、撮影会が終了した。



「お兄さん、撮った写真後でラインで送ってね」


「分かりました。後で送っておきます」



 スマホで時刻を確認する。十九時半に差し掛かるところ。

 思った以上に撮影会が盛り上がったらしい。


 僕は夕食の準備をするべく、リビングに戻る事にする。

 ドアの前に着いたところで、振り返ってアユハの方を向く。



「アユハさん」


「?」



 アユハが僕を見つめる。

 僕は一度息を吸って、言霊を吐き出すように言葉を紡ぐ。


「おかえりなさい」


 僕から出たその言葉は、自分ではどんな風に聞こえるのかは分からない。


 もしかしたら上手く伝わらないかもしれない。

 不器用だと思われるのかもしれない。

 自ら傷を負う事になる可能性も否定できない。


 アユハは少しきょとんとした顔をした後、何かを察したような表情をする。

 そしていつも通りのあのにかっとした笑顔を作る。


 そして、嬉しそうな声で、


「ただいま」


 と言った。


 アユハが今何を感じて、何を考えているのかはちゃんと分からない。

 僕の言葉がどんな風にアユハに届いているのかも分からない。


 それでも。


 さっきの問いに、ちゃんと答えがある訳ではないけれど。

 僕が知りたかったのは、アユハの、僕に見せるその表情のことで。


 良いも悪いもなく、本当にただそれなんだと思った。


 言いたい言葉を言って肩の荷が降りた僕は、気を楽にして話す。



「今から夕食を作りますので、この後リビングに来て下さい」


「今日は何作るの?」


「アユハさんの好きなオムライスです」


「本当? やった〜楽しみ〜。お兄さんの作るオムライス美味しいんだよねー」


「では今日も期待していてください」


     ♯

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