何? お兄さん
約束の場所に約十分前に到着する。
目的地まで車で向かったのだが、思った以上に時間が掛からなかったみたいだ。
辺りを見渡すと仲野さんはもうすでに到着済み。
スマホをいじっているところを話しかける。
「遅くなりました」
「私もさっき来たとこだよ。…ていうか、まだ十分前だし」
「それを言うなら、仲野さんの方がですよ。…良いお店って言ってましたけど、ここからどれくらいですか?」
「五分くらいの場所にあるらしいよ」
「そうなんですね」
「意外と近いよね。それじゃあ行こっか」
そう言って二人で歩き出した。
夜の繁華街は、昼間とはまた一つ違った様相を見せている。
浮かれたように群れて闊歩していく大人たち。
僕の好きなネオンライトはムーディーに光っている。
そんな大人な雰囲気の中でも、僕はアユハの事が頭によぎっていた。
そんなにアユハのことを心配をしているわけではない。
アユハは多分、今ごろ自分で料理を作って何も問題なく過ごしているだろうし、僕もその光景が容易く想像できる。
でも、その事実が本当にそうなのかどうかが分からない以上、僕には疑うことしかできないのである。
程なくして着いた目的のお店。
お店の外装はお洒落な居酒屋という感じだ。
店内に入り、案内を受けて個室へ。
僕と仲野さんはお互い向かい合って席につく。
店員が去って、完全に静かになったところで仲野さんがメニューを開ける。
そうして頼むメニューを決め、注文し、また雑談が続く。
話題は次のプロジェクトの話やら、近況報告やら、部内の痴話話やら。
どこにだってある至って普通の会話が繰り広げられる。
料理が届き、それらを一通り堪能した後。
「一つ、聞いてもいい?」
「なんですか?」
仲野さんは少し溜めて、遠慮がちに話す。
「───くんもしかして……彼女できた?」
僕は動かしていた手を止めて、仲野さんを見る。
仲野さんは僕を見て続けて話す。
「───くん最近帰りが早くなったじゃない? 会社のみんなから彼女だのなんだの言われてると思うけど、君がいつもひけらかすから、余計に本当なんじゃないかって感じになってるよ」
「あぁ───」
確かに、振り返ってみるとそんな気もする。
そういういじりに対して毎回毎回曖昧な返事で誤魔化していた。
というか、誤魔化さずにはいられなかったと言う方が正しいか。
「私もそうなんだって思ってたんだけど、本当はどうなの? 彼女、できたの?」
「いや、彼女は今もいないですね」
「え〜? もしかしてみんなに知られたくない感じ? でもそれが本当だったら、定時に帰るのが増えたのはどういう理由?」
「それは───」
僕は誤魔化すこともせず、本当のことを話す。
「───今僕の家に居候がいるんです。最近定時が増えたのは、その子のために夕食を作る必要があるからですね」
「居候? 弟さん?」
「えっと、まあそんな感じです」
僕は適当に誤魔化す。
流石に同僚の仲野さんにも言えないよな。
居候の正体は偶然出会った名前しか知らない女子大生だなんて。
「だから、別に彼女が出来たわけではないですよ」
「ふーん、そうなんだ」
仲野さんはどこかまんざらでもない様子で続ける。
「私てっきり君に彼女が出来て、同棲でもしてるのかと思っちゃった」
「そっちの方が話のネタになりましたかね」
「いやいや、私を置いて先にいちゃいちゃされるのはゴメンだからねー!!」
「仲野さん、彼氏さんは居ないんでしたっけ」
「そうなの。今絶賛彼氏募集中」
仲野さんは少し首を傾げてやや上目遣いに僕を見つめる。
「───くんでも良いよ?」
「あはは、そういうのはもっと仲野さんに似合う人にしてあげてください」
僕は薄く笑って軽く受け流す。
僕は、誰の隣にも似合う資格がない。
彼女、いわゆるパートナーとして誰かの隣に自分がいるという事は、今の僕にとって一つの苦痛であるのだ。
僕は誰かの何かになれないし、もしなれたとしても僕自身が誰かの隣に並ぶという感覚に慣れていない。
「ほんと、そういうとこなんだから……」
「……? 何か言いましたか?」
「ん? 何でもないよ」
そして慣れたとしても、その感覚は僕には存在しない。
単純に理解できていないのだ。
僕という存在が誰かに影響を与えている事が。
食事を終え外へ。時折吹く夜の風が肌寒い。
「ねぇこの後どうしようか?」
「そうですね。どうしましょうか…」
スマホで時間を確認する。21時42分。
明日仕事である事を踏まえると、これぐらいにした方が明日への支障をきたさないだろう。
一応テレワークも可能ではあるから、もう少しこの時間を楽しむのもアリだが。
「仲野さんはどうしますか? どこか行きたいところでもあります?」
「うーん、ちょっと飲みたいかも」
仲野さんは髪を耳にかけながら続けて話す。
「もうちょっとだけ───くんと話したいなーなんて」
「僕今日車なので一緒に飲むことはできないんですが、話すだけなら全然いいですよ」
「本当? じゃあ一緒に───」
そこでブルブルと僕のスマホが振動する。
確認してみると、アユハからの着信だ。
「すみません」
「うん」
仲野さんに断りを入れて、アユハからの電話に出る。
「もしもし」
『──────』
「もしもし……? アユハさん?」
『あっ』
電話越しに聞こえたのはいつもと違う腑抜けた声だった。
『何? お兄さん』
「何って、あなたが掛けてきたんですよ。…それで、どうかしましたか?」
今までアユハから電話を掛けてくる事は無かったから、僕は少し焦っている。
もしかすると、アユハが助けを求めている可能性もある。
『あー…』
当のアユハからはそんな焦燥を感じないが、こうやって電話を掛けているという事は、それ以外できっと何かがあるんだろう。
『もうすぐ帰ってきたりする?』
「丁度これからどうしようか決めているところです。何かアユハさんの方で問題でもありましたか?」
『…いや、問題はないよ。問題はないんだけど』
「?」
『やっぱりごめん。何でもない』
その声が少しだけしおらしく聞こえたのは、おそらく間違いではない。
「そうですか。じゃあ少しだけ待ってて下さい」
『……うん』
「すぐに向かいますから」
それだけ言って僕は電話を切る。
そして振り返って仲野さんに謝る。
「すみません。飲むのはまた今度でもいいですか?」
「居候の子が心配になっちゃった?」
「えっとまあ、そんな感じです。…今日はお誘いいただいてありがとうございました」
「───くんも付き合ってくれてありがとう。今度は休日にでもどう?」
「良いですね」
そう言い合ったところで僕は駐車場に向けて歩き出す。
「それでは。また」
「うん、お疲れー」
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