お兄さんはー、私のカレシ!
アユハが家に来て一ヶ月が経った。
歪なスタートは少しずつだが形を変えて、より丸みを帯びて滑らかになり続けている。
僕たちの関係はシェアハウスという括りに落ち着いたと言える。
もうアラサーも近い僕にとって、年頃の女の子は少し怖い存在だったりする。
アユハが時折教えてくれる流行は全く分からないし、部屋の前を通る時に微かに聞こえる音楽も分からない。
街やらお店やらで耳にするフレーズが少しあるくらいで、その他は知識の「ち」の字もない。
僕もそろそろ時代に置いていかれる側になっているのをひしひしと感じている。
他に変わったところは夕食を交互に作ることになったことくらいか。
アユハは料理が好きらしく、僕の手抜き節約延命料理をより美味しくアレンジしてくれた。
そのおかげで以前よりだいぶ有意義な生活になったと自覚している。
…あぁあと、仕事を定時で帰る事が増えた。
アユハとの夕食の時間のために残業を減らしたり、どうしようもない時は家に持ち帰って行うことも増えた。
同僚も僕の変化に彼女だのなんだのと難癖をつけてイジってくるが、僕としてはとても返答に困る。
家族でもない誰かのために、こうやって変わっていくのは、自覚すると不思議な感覚だなと思う。
心理的には至極普通なことであるのが逆に憎いとも思う。
僕は今日も定時に会社を後にする。
帰り道の足並みが以前と比べて軽いのも僕は知っている。
雨の日が多い季節がやってきた。
傘を差し、いつもの帰り道である繁華街を通る。
むせ返るほどの人並みの多さと、アスファルトの匂いにはもう慣れてしまった。
人混みをのらりくらりと歩いている時に一通のラインが届く。
送り主はアユハだ。
『ごめん』
『迎えに来て欲しいんだけど来れる?』
『大学にいるんだけど』
僕はそのメッセージを見てすぐに返信する。
「分かりました。今ですか?」
『五時くらいに来てくれると嬉しい』
「OKです。迎えに行きます」
「待っていてください」
『ありがとう』
スマホを閉じて現在時刻を確認する。
十六時四十分。
家までの道のりと大学までの道を考える。
急げば十七時弱には着けるはずの距離。
僕はポツポツと降る雨の中で、ゆっくりと歩くスピードを上げる。
グレーに包まれた人混みの中を力強く歩いて行った。
現在時刻は十七時六分。
近くの駐車場に車を停めて、傘を一応二本持って大学前まで歩いていく。
先程よりも雨が強まってきた。
アユハは傘を持って行っていないんだろう、この雨の中家までの道のりを帰ろうという気概は僕でも無い。
「着きました。正門前で待ってます」というメッセージを送って、アユハを待つことにする。
程なくしてアユハともう二人の女の子が見える。
アユハは傘を持っておらず、もう一人の女の子の傘にお邪魔している。
友達と談笑している姿を見ると、アユハは何一つ変わらない普通の女子大生だと改めて思い知らされる。
一人の女の子が、校門前に立つ僕に気がついたようだ。
「ねぇ、あの人?」
「そうそう」
「えーかっこいいー」
棒読みにしか聞こえないのは気のせいだろうか。
アユハはすぐに友達の傘から僕の傘へぴょんと入ってくる。
「ありがとう。仕事の途中だった?」
「いえ、ちょうど終わったところですので、気にしないでください」
僕はもう一つの傘をアユハに渡そうとしたが、すぐに帰ることになるので結局渡すことなくそのまま持つことにした。
二人の女の子が僕とアユハを見て少し驚いているようだ。
ふむ、確かにそうだ。
アラサー手前のいい歳したおっさんと女子大生。
危ない香りは拭えないと僕自身も思っている。
「二人ってどういう関係?」
「お兄さんはー、私のカレシ!」
「……」
僕の腕に手を添えてそう言い放つアユハ。
普通に違うのだが、ここでその可能性を排除してしまうと残りは犯罪臭がするので黙っておくことにした。
「それじゃあまたねー」
「あ、うん。仲良さそうでよかったよ。バイバイ」
「また明日ー」
そう言い合って女の子二人と別れる僕たち。
この会話が転んで爆弾にならないことを祈りたい。
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