パスタでいいですか
自分の思い通りにならなくて、苛立つ事はよくある話なのだろう。
その事実に立ち向かうのも、背中を見せて逃げ出すのもその人の自由であり、両方とも真っ当な選択肢だ。
時間の進みが年々速くなっていくのを感じている僕は、どこか揺蕩うような時間が好きになった。
思い通りにいかない時間や思い出は、まさしく揺蕩うような時間へと変わってくれるのだろうか。
そんな事をふと考えることが増えた今、それこそが僕の命題になっているのを時折感じている。
名前の知らない彼女は自身をアユハと言った。
紫の髪、整った顔立ち、華奢な身体、覇気のない目、耳にはたくさんのピアス。
あの日のあの後、彼女はメイドカフェのバイトを辞め、僕に惜しみもなく車を出させて彼女の住むアパートへ向かった。
居候する気マンマンで準備をするアユハに、何も言えない自分が不思議なくらいに惨めだし、可笑しくて笑いそうになっていた。
『猫は寂しくなる生き物』というアユハの言葉に、そんな事はないだろうと、心の中でツッコミを入れながら車は僕の家の方へ。
急な展開なのに、やけにポジティブな自分が気持ち悪い。
実際乗り気ではなかった僕だが、事が決まるとすぐに前向きに捉えている、そんな事はこれまでも沢山あった。
今回ばかりが例外ではない。
ただし懸念点もやっぱりある。
彼女、アユハはどのくらいの期間僕の家に滞在する予定なのか。
男女が一つ屋根の下で生活する事になる。
どうあがいても気が気でないのは確かだ。
そう考えているうちに車は目的地である僕の家に到着する。
アラサー手前の僕には勿体無いくらいの立派な一軒家。
車庫に車を入れて、玄関のドアへと向かう。
明かりをつけてアユハをもてなす。
「空いてる部屋ある?」
「二階の部屋が空いてるからそこを使ってください。上がって一番奥の部屋は僕の部屋なので、そこ以外だったらどこでも自由に」
「ありがとう」
やけにスピーディーな展開に頭は追いついていないが、アユハの方は特に緊張している様子もなく、飄々とした様子のままに階段を登っていく。
玄関に置かれたアユハの荷物を持って、後をついて行く。
二階ではアユハが部屋を一つずつ見て回っている。
私服に身を包んだその姿は至って普通の女子大生だ。
アユハは一つの部屋の前で立ち止まり、僕の方を見る。
「ここにする。いい?」
「はい。荷物入れても大丈夫ですか?」
「お願い」
頭の中「?」だが、どんどんと居候の準備が終わりつつある。
最後にやけに重たそうな荷物を入れて無事支度が終わったようだ。
これからよく分からない共同生活が始まる。
さっき名前を知った彼女、アユハとの生活。
偶然にして出会い、そして一つ屋根の下で過ごす。
そう思うと不思議と腑に落ちる感覚が…、ある訳ない。
誰かと生活?
住はあるが衣食はどうする?
僕は何をすればいい?
これはいわゆるシェアハウスなのか?
そもそもなんで居候なんだ?
……。
とやかく考えるのは無駄だと悟り、先程まで回っていた思考が現実世界にフォーカスされる。
時計は十八時を指す。
もうそろそろ夕食の時間だ。
一階のキッチンに戻るとアユハがリビングのソファーでくつろいでいる。
今さっきここの家に来たばかりなのにこの順応の高さ。
自由奔放な子供を見ている感覚を僅かに感じる。
でも僕としても緊張されるよりかはのびのびとしてくれた方が良いので、何も言わないでおく。
冷蔵庫の中を確認して必要な具材を取り出していく。
歪な感覚を自覚しながら、スマホをいじっているアユハの方を見る。
そしてその感触のままに口を開く。
「今日の夜は」
もう少し大きな声が必要らしく、僕はやや声を張ってもう一度話す。
「今日の夜は」
「?」
僕の声にアユハが視線で反応してくれる。
その事に僕は少しだけ安堵しながら、続ける。
「……パスタでいいですか」
♯
『私も手伝う』
『…いや、私一人で十分ですので大丈夫ですよ』
『いや、手伝うよ』
『いやいや………』
と、まあなんやかんやありはしたが、最終的にはアユハが折れてくれた。
パスタは自分の分しか残っていなかったが、他の食材が余っていたのでそれらで数品作った。
多分足りない事はないだろう。
名前しか知らないアユハと面と向かって食事をする事になるとは、数時間前には到底想像は出来なかった。
誰かとこうやって食卓を囲むのは久しぶりの感覚で、なんだか居心地の悪さを感じた。
昔からそうだったように、今もなおこの気持ち悪さはあまり癒えてはいない。
ありがたい事にアユハが食器の後片付けをしてくれて、今は一人テーブルに座ったままでいる。
片付けを終えたアユハはすぐに自分の部屋へと戻っていった。
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