メイドカフェ興味あります?
悪い夢を見たと、適当に呟いて忘れる方が良いのだろうか。
分からない。
あの日あの時の彼女が僕に向けた言葉が支離滅裂で、意味が分からなかったとしても、それでも知ってしまった以上は運命共同体と成す。
あの子の責任を僕が取るとか、そんな事は言えなくても僕に出来ることが何かあるのかもしれない。
そうやって考えている以上、僕は優しい人間であると思う。
そうやって考えているから、僕は大きく踏み出せないんだと思う。
……。
あ、やばい。またミスった。
今日はなんだかミスが多い日だ。
名前の知らない彼女との邂逅から早くも一週間が経過した。
僕は変わらず仕事をこなす日々。
でも彼女のことが頭から離れずにいた。
まあ一応部屋は片付けたし、よっぽどの事がない限り彼女が生活に困る事はないとは思う。
おそらく彼女は大学生だろう。
誰からも見放されている方がむしろ今のこの世の中では不自然だ。
だから大丈夫なはず。
どちらかというと、こんな心配をしている僕が一番気持ち悪いか。
アスファルトの匂いが鼻にツンと香る今日は雨だ。
時刻は16時なのに辺りは夜のように暗い。
繁華街に所狭しと並ぶ店の通りを進んで、歩いている。
あまりの人の多さにはもう慣れてしまったが、今でもあまり心地の良いものではない。
特に嬉しいことでもない。
そのまま歩くとある一つの店の前で思わず立ち止まる。
この通りで一つだけあるメイドカフェだ。
そして客の呼び込み役だろう、三人の女子大生がメイドの格好をして店の前で宣伝を行っている。
その中の一人、プラカードを持った女の子に視線が引っ張られる。
紫色の髪、耳にはたくさんのピアス、やる気のなさそうな覇気のない目。
そしてやけに似合っているメイド姿。
間違いなく、あの時の名前を知らない彼女だ。
僕は感情が動くことも知らず、ただボーッと彼女を眺めていた。
そしてその様子が呼び込みの子の一人、金髪の女の子に見つかってしまう。
その女の子は僕の目の前まで来て甘ったるい声で話しかけてくる。
「お兄さ〜ん、メイドカフェ興味あります? 可愛い子いっぱい居ますよ? 私たちが精一杯おもてなしさせて頂きますね♪」
「え、あぁいや、その…」
僕はなんて言おうか、思わず逡巡してしまう。
咄嗟の見苦しい言い訳をするか、正直に彼女のことを話すか。
彼女のことを話したら多分、ご来店ありがとうございますだよな…。
別にメイドに興味はない。
どちらかというと早く帰りたい。
それでもあの名前の知らない彼女のことが気になる。
僕は例の彼女の方を見て、一つ聞く事にした。
「彼女もここで働いてます?」
呼び込みの金髪の女の子も僕の視線の先を見つめる。
件の彼女は僕たちの視線には気付いていないようだ。
店の前で一人、客を呼び込む事もせず、プラカードを持ってどこか退屈そうにしている名前も知らない彼女。
呼び込みの女の子は彼女を見て、あからさまに声色を低くして話し始めた。
「えーお兄さん、あんなのが好きなんですか? 絶対メンヘラですよ、あの子。それよりもっとかわいい子いっぱい居ますよ? 私とかどうですか?」
「あー…ごめんなさい。僕これから用事があって、どうしても急がないといけないんです」
「そーなんだ、残念…。それじゃあ、今度ここ通った時は絶対に遊びに来てくださいね?」
適当に返事をすると用がなくなったのか、その女の子はすぐに店の前まで戻って行った。
清々しいほどにビジネスな一面を見て、何も感じなくなったのは僕が大人になった立派な証拠なんだろう。
咄嗟に用事があると嘘を吐いた自分にも嫌気はしない。
それでも、もう一度だけ名前の知らない彼女の方を見る。
僕の視線に気付いた呼び込み役の女の子が笑顔で手を振る。
その視線の先を追うようにして、僕の方に振り向く名前の知らない彼女。
一瞬目が合ったが、彼女は表情を変える事なくすぐに目を離した。
この前の僕だという事に気付いていないんだろうか。
とりあえず今はここを離れないといけない為、深く考える事はせずそのまま家へ帰ることにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます