メイドミー
桃深 春
あー…、ありがとうございました!
目が覚めると知らない天井だった。
僕の記憶にない和室の古くて錆びれた、どこか懐かしさを感じるような天井だった。
目を擦ると、さらに分かる至る所にある汚れ。
微かに香る甘い匂いと、鼻をくすぐるタバコの匂い。
慣れない空間と慣れない匂いに思わず目を見開く。
どうやら僕は知らない部屋の布団に眠っていたらしい。
そう一つずつ状況を理解している時にまたやってくるタバコの匂いに釣られて、窓の方に視線を向ける。
そこには下着姿でタバコを吸っている女の子の姿があった。
上半身はキャミソール、太腿から下は白いきめ細やかな肌をおおいに露出させている。
そして耳にはいくつものピアスが開けられている。
面識のないあられな姿の女の子が目の前にあって驚きを隠せないが、それでも頭は今の状況を理解しようとしている。
昨日の夜からの記憶があやふやな僕、目が覚めると知らない天井、一つしかない布団に面識のない知らない女の子。
…寝たのか?
確かに、布団にはあと一人入れるくらいのスペースがある。
そして女の子の方は下着だし、部屋にも衣服が散らばっている。
しかし、僕の衣服はあまり乱れていない。
シャツは第一ボタンだけで、ズボンのベルトはそのままだ。
もちろん、それだけで完全に可能性を捨てきれている訳ではないが、それでも彼女が僕を襲ったという可能性は思った程高くはないと思われる。
一番の判断材料は辺りにゴムがないことか。
手元にあったスマホで時計を確認すると、今日は月曜日。
時刻は五時半前を指す。
妙な温かさのある身体に吹く朝の風がやけに涼しい。
もう一度窓の方を眺めてみる。
彼女はずっと外の景色を眺めていてはっきりと表情は見えない。
タバコの煙が風に吹かれて、部屋の中にまであの独特な匂いがする。
例の彼女はその紫の髪が揺られていることも、僕がこうしていることにも目もくれず、興味がなさそうな雰囲気だ。
布団から立ち上がって改めて部屋を見渡す。
六畳ほどか、よくある1Kの間取りでゴミやら服やら(特に服)がところどころに散らばっている。
彼女に話しかけようと思ったが、かける言葉が見当たらず、とりあえず部屋の中を回ろうとした時。
「おはよう」
背中から透き通った落ち着いた声が聞こえて振り返る。
僕より一回り小さな背でやや上目遣いに彼女がそう言った。
女子大生? 僕よりは年下っぽいが…。
「やっと起きた」
彼女は僕の目の前まで歩いて来て子供っぽく笑った。
声のトーンは変わらず、だけど窓を眺めていた時からは想像もできない距離の近さに思わず驚いてしまう。
僕は彼女の名前も知らないのにどうして?
「あの…」
「?」
「とりあえず…、服を」
その格好では何如せん目のやり場に困る。
彼女は自分の格好を見て、特に恥ずかしがるようなこともなく、床に無造作に置かれていたパーカーを羽織ってまた僕の元に戻ってきた。
そしてそのまま僕に勢いよく抱きついてくる。
やたらと距離が近い彼女の行動にドキドキするというよりは、疑問の方がどんどん浮かび上がってくる。
彼女を振り払うとこもせず僕は身動きが取れず、十分ほど経っただろうか、彼女は僕の元から離れていく。
そのままベッドにダイブ、そしてスマホをいじり出した。
……。
何をするべきか分からず、急に手持ち無沙汰になる僕。
…どうする?
まず名前を聞いてみるか…?
それとも帰る?
どうしてこの状況になった経緯を聞いてみるか…?
いろいろ考えた結果、どういう訳か部屋の掃除をするという結論に至った。
その事を彼女に伝えたところ、彼女はその提案にむしろ喜んだ。
自分一人では掃除は面倒だからという理由らしい。
「服片付けよ」
「じゃあ、僕はゴミを」
綺麗に並べられたゴミ袋を一つ取り、テーブルや台所に置かれているペットボトルや弁当の空き箱を一つ一つ取っては入れていく。
台所に並べられた酒の空き缶の山を見ては、彼女は大人で、そして何らかの事情を抱えていることが分かる。
どちらかといえば他人の事情に興味はない方だが、それでもこの状況を見ると嫌でも何かがあると察してしまう。
今日会った名前も知らない彼女。
どことなく踏み込んではいけない香りを感じている。
そうこうしている内に部屋の掃除は終わった。
そもそもこの部屋は綺麗に整頓されていて、最近になって散らかっているような感じではあった。
むしろその事実が今の彼女自身を表しているようで、なんだか居た堪れない気持ちが生まれる。
流石に昨日の服のまま出勤するわけにはいかないので、一旦家へ帰る事にする。
その旨を彼女に伝える。
それと泊めてくれたことの感謝も含めて。
「泊めてくれてありがとうございました。僕はこれで帰ります」
バッグを手に取ってここを去ろうとすると、彼女はベッドから飛び上がって急いで僕の近くにまで寄ってくる。
「もう行っちゃうの?」
別に僕は君にとっての何でもないんだが…。
この子にとって出会って累計一日の僕は一体何なのだろうか。
それでも仕事に生きる社会人として、僕はキッパリと断ることにする。
「はい。その、先日はありがとうございました。多分僕が酔ってたところを助けてくれたんですよね? おかげで助かりました」
「…、何のこと? 私たち明後日で一周年だよ? 助けたって何? ずっと一緒だったじゃん」
「?」
一周年? ずっと一緒だった?
どういうことだ?
僕は今日彼女と初めて出会った。
それは決して嘘じゃない。
加えて彼女の言葉に全くもって心当たりがない。
僕はこの一年間カノジョなんて居なかったから。
「あー…、ありがとうございました!」
そう言って彼女を振り払って、足早に部屋を出た。
彼女の声を張った言葉は、頭が動揺していてまともに聞こえなかった。
アパートを出て、場所が分からないので取り敢えず大きな道路へ出る。
思ってる以上に繁華街が近くで、ここからなら道が分かる。
そうやって僕は家へ歩き出した。
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