第七話
音楽が流れ出し、お辞儀をしてから踊り始める。
「先約なんてあったかしら?」
「いや、なんか困ってそうだったから…迷惑だった?」
「ごめんなさい、冗談よ。助かったわ。ありがとう」
少しからかったつもりが、眉を下げて聞いてくるものだから、少し罪悪感が湧いてくる。あ、どうしようステップミスした。
フワッ
ミスをして倒れかけた私を受け止めて、さも元々あったかのようなごく自然な動作で、アルフレッドはミスを修正した。他人の目にはただアレンジしたように映っただろう。少し、歓声が上がった。
(うまいわね…)
「ありがとう」
「このくらいどうってことないよ。…ねぇ、このダンスが終わったら花畑に行かない?」
「いいわよ。あなたずっと踊ってたものね。なのに私を助けるために踊ってくれて、大丈夫?疲れてない?」
「いや大丈夫。むしろ君と踊れたんだから、疲れなんて吹き飛んだね」
「っ!そう…なんかさっきから助けてもらってばっかりね」
また思わせぶりなことを…明確に自分の顔が赤く染まっているのがわかる。ダメよ、勘違いしちゃ。だって、友達なんだもの…
そろそろ音楽が終わる。この人と踊るのも最後かと思うと名残惜しい。二人で踊ること自体初めてなんだけど。
〜♪
「ありがとう」
「え?」
「なんでもない」
音楽が終わり、互いにお辞儀をしてダンスを終わる。
「行こうか」
「えぇ」
☆ ☆ ☆
「わぁ」
「満開だね」
花畑には満開の紫色のリナリアが一面に咲いていた。
昼間日の下でみるのも綺麗だけれど、月光に照らされて風に揺れる様子は神秘的で、幻想的で、なぜか泣きたくなってしまった。なんだか最近涙脆い気がする。
(あ、満月…)
「月が綺麗ですね」
彼に背を向け、夜空に輝く満月を見上げながら、私は言った。
「え」
後ろから、彼の驚いた様子の声は聞こえてきた。きっと、普段空に興味がない私がいきなりこんなことを言ったからだろう。
この言葉は、とある文豪が、英語の「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したという逸話が由来らしい。直訳すると「愛してる」になるが、文豪は、日本人の性格からして「愛を告白する時に、直接的な表現をしないはず」と考え、このような言い回しを思いついたそうな。実に回りくどい、それでいてとても便利な言葉だ。告白として使うもよし、もし失敗したら「ただ、月が綺麗だと思っただけ。意味はない」と誤魔化してしまえばいい。
もっとも、日本文化が存在しないこの異世界では、そんな意味は持たないし、通じないが。
(今日でこの恋は終わり。綺麗さっぱり忘れよう)
既に婚約者がいる私は、彼に直接的に告白できない。してはいけない。だから、学園を卒業する時に、この恋心とはお別れしようと決めていた。告白なんかするつもりはなかったのに、気付いたらあの言葉を呟いていた。
(ダメだなぁ。私、未練たらたらじゃない)
まぁ、伝わってないからセーフだセーフ。
「なんでもないわ。さ、戻りま」
「死んでもいいよ」
少し気まずくなった空気を誤魔化すように振り向いた私の言葉を彼が遮った。
「え?」
まさかの返事に私は大きく目を見開いた。
(え?なんで?どうして知ってるの?え?)
だって、その言葉は…「月が綺麗ですね」の返事として使われる言葉だから。
「死んでもいいわ」この言葉はまた別の文豪が、異国の物語を翻訳する中で、「ваша(yours)」を「死んでもいいわ」と訳したことが由来で、よく「月が綺麗ですね」の対となって使われる。直訳すると「私はあなたのもの」。
実際はこの二つのエピソードはまったく別のもので、文豪が「月が綺麗ですね」と訳したかも定かではなく、あくまで逸話ではあるが、とてもロマンチックな言い回しだ。
そして、この返事が帰ってきたということは…両想いであり、彼も転生者だということ。
(あぁ、なんで言ってしまったんだろう。こんなの、知らない方がよかったのに)
「そっかぁ、そっかぁ…ありがとう。三年間、楽しかったよ。本当に。この感情は一生ものの宝物…………あぁ、変な事言ってごめんね」
『さ よ う な ら』
そう言って口元に笑みを浮かべる。一筋の涙が溢れたのがわかった。最後は口先の動きだけの言葉だったけれど、彼には伝わったらしい。彼も泣き笑いを浮かべながら言った。
「あぁ、そうだな。本当に、意味がわからない」
これで、本当の終わりだ。
リシュエンヌとアルフレッドの淡く、
この恋は、この感情は、押し込まなければ。
だって宝物は、奥深くにしまって、厳重に閉じ込めておかなければ、溢れてしまうのだから。
第一章 完
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