第三話
昼休み。食堂でお昼ご飯をテイクアウトして中庭に向かうと、すでに彼はいつものガゼボに腰掛けていた。
「お待たせ」
一言断りながら向かいに座る。チラッと彼を見るといつも通り穏やかな微笑みを浮かべていた。その美しい濃紺の瞳が、他の人に向けられるものよりも甘さを含んでいるように感じるのは、私の思い上がりだろうか。
「いや、そんなに待ってないよ。じゃあ、食べようか」
「えぇ」
いつも通り他愛の無い話をしながら、ランチを食べる。内容は、もっぱら昨日結果が発表されたテストについてだが。年頃の男女が二人が、甘い言葉のひとつもなく、勉強の話をしているのもどうかとは思うが、これが私たちの唯一の共通点だ。本来、婚約者でもなければ、雲の上の存在である王弟殿下と貧乏伯爵家の令嬢に接点はない。私にとって勉強は、楽しいものでもあり、二年前に一目惚れしてしまったこの人と話ができる唯一の手段なのだ。
(この時間が、永遠に続けばいいのに)
後二ヶ月で学園は卒業。なんなら、婚約者ができた今、こうして二人きりなんてことはできない。本当に最後だ。だからこそ、こうしていつになく喋っている。できるだけこの時間が長く続くように。
「ところで、リシュエンヌ。話ってなんだい?」
避けに避けてた話がついに降られてしまった。まぁ、話がある、と呼び出しておいていつまでも本題に入らないのだ。ましてや、学園で前世の記憶を持つ私と主席争いをするほどの頭脳の持ち主である彼がそれに気付かないわけがない。
「え、っと」
(どうしよう。婚約者について話すつもりだったけれど、いざとなると言い辛い…)
ーもういっそ予定通りに告白して仕舞えばいいじゃないー
一瞬そんな考えがよぎった。それは、まるで悪魔の囁きのような、甘美な誘い。
ー婚約者のことなんて忘れて、想いを伝えてしまえ。彼だって憎からず私のことを思ってくれるはずじゃないー
なんて自分勝手で、それでいて魅力的な考え。
「私は、あなたが」
(だめよ!)
自分の思考に乗って自分の思いを口にしてしまいそうになったその時、私の理性が働いた。
(そうよ。親に決められたとしても、婚約者がいるのに殿方に『好き』なんて言ってはいけない。貴族として、それはダメでしょう)
それが、私が大好きなこの微笑みを歪めてしまう事実だとしても。
「っ、私ね婚約することになったの」
私の言葉を聞くと彼は、驚いたように大きく目を見開き、その綺麗な、さっきまで楽しそうに微笑みを浮かべていた
その顔をみた途端、なぜか泣きたくなった。私が泣くことじゃないのに。…でも、最後まで伝えなくては。表情に出してはいけない。
笑え、私。お母様に似て、『妖精姫』とまで謳われるこの顔が一番美しく見えるような、角度で、仕草で。作り物の笑顔を。
「お相手は、クリスフォード公爵家のレイモンド様ですって。貧乏な伯爵家には勿体無いほどの良縁ね」
なるべく明るく、さも喜んでいるかのように私は言い切った。
彼は、少しだけ呆然としてから、微笑みを浮かべて、まるで動揺なんてなかったような様子で言った。
「そっか…婚約おめでとう、リシュエンヌ」
現実は残酷だ。
御伽話のように、ハッピーエンドで終わってくれない。少なくとも、親の庇護下にいる現時点では、この恋は一生叶うことはないだろう。
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