第二章

 冷凍室の扉が開いたのは、それから三時間も経った頃だった。その間に人肉配達事件を担当している殺人課の塩月も現場に到着していた。


 塩月は坂下署では唯一の女性警部であり、様々な形の尊敬と注目を集めることの多い人物だった。人肉配達などという奇妙な事件の担当になったのも、そんな経歴が関係していたのかもしれない。


 金属扉は専用の機材を用いて円形にカットされた。塩月はできたての穴から中を覗くと、右腕を入れて内側から閂を外した。塩月および相棒の浦部、そして小日向らは、防弾チョッキを着て最大限の警戒をしながら扉を開けた。


 冷凍室の中は真っ暗だった。塩月は壁にあったスイッチを押したが、電気は点かなかった。警官たちは各々懐中電灯を取り出し、部屋を照らし出した。光は水浸しの床で反射して、部屋中に散らばっていった。


 だが、いくら光を部屋中に巡らせてみても、先ほどまで小日向が追いかけていた配達人の姿は見つからなかった。代わりに見つかったのは、床に上に無数に転がっているバラバラにされた人体のパーツだった。


 それも一体分では済まない。足も腕も頭部もそれぞれ何個もある。配達人は注文に応じてここにある人肉を配達していたのだろう。


 警官たちは遺体の欠片を踏まないように、びしょ濡れの床の上を慎重に進んでいった。人が隠れられそうなところを片っ端から見て回ったが、生きている人間は一人もいなかった。密閉された冷凍室の中には死んだ人間しか存在していなかったのだ。


 小日向は扉が開いてからずっと鳥肌が立ちっぱなしだったが、先輩や男性警官が多くいるところで怖がっている姿を見せるわけにはいかないと、精神力を振り絞って何とか耐えていた。小日向の後ろから入ってきた若手の男性巡査は、懐中電灯がバラバラ死体を捉えた瞬間にえずきながら大慌てで部屋の外に避難していた。


 部屋を一通り見て回ってからようやく小日向は冷凍室にしては部屋が大して涼しくないことに気がついた。電灯だけでなく冷凍設備も壊れているのだろうか。あるいは、そもそも電気がまったく来ていないのかもしれない。


 鑑識の職員が大きな照明を持ってきた。冷凍室の全体がパッと明るく照らし出されると、室内の異様な全貌が明らかになった。


 首、胸部、腕、脚、手、太腿、脛などなど、大小様々な大きさにカットされた人体の部分がいたるところに放り出されている。一方で、これだけの死体がある割には、流血はほとんど見られなかった。掃除が丁寧にされているようで、室内にある机や切断道具には今でも光沢があった。


 アングラな人体解体場を想像していた小日向にとって、病院の手術室のように綺麗な冷凍室の様子は驚きだった。違法とはいえ、高級なサービスを運営する以上は、衛生面にもきっちり気を配っているのかもしれない。それだけに、バラバラになった遺体が床の上に放置されていることには違和感を感じなくもなかった。


 部屋の中央部には金属製の机が二つ置かれている。床に固定されており、おそらくこの上で遺体の解体が行われていたのではないかと思われた。本当に手術室のようである。鋸など、遺体の切断に必要な道具は、壁際の棚に整理されて並べられている。見れば見るほど配達人の几帳面な性格が伺われた。


 現場慣れしている塩月警部は、バラバラになった遺体の上をひょいひょいと跨ぎながら、室内を歩き回っていた。特に壁際や天井を丁寧に観察している。そして呟くように言った。


「逃げられたな」


 冷凍室のあまりに衝撃的な光景のせいで小日向は忘れかけていたが、扉を開けた目的はこの部屋の中に逃げ込んだ配達人を探すことである。扉を開ければ中に配達人がいると思われていたが、実際にはどこにもいない。逃げられたと判断するしかなかった。


 でも、一体どこから?


 冷凍室には搬入用の裏口があったが、こちらも表側と同じように内側から鍵と閂で閉ざされていた。まったく同じ構造であるため、先ほど専用の機械で切った扉を外側から閉める手段がなかった以上、こちらも外側から閉ざすことは不可能だと考えるしかなかった。


 人間が出入りするために作られた扉はこの二つしかない。ただし、もう一つ、人間が通れそうな場所がないこともなかった。それは、天井の隅に設置されている通気口である。格子状の蓋がされているが、これが開けられるなら大人が通ることは十分に可能な大きさだ。その上は屋上になっている。


 応援の警官が到着してからは裏口も屋上も監視されていたが、小日向が到着してから十五分程度は誰の目も行き届いていなかった。裏口あるいは通気口から外に出ることができたなら、逃亡することはできただろう。


 表口と裏口には細工が困難な二重の錠が内側から施されていた以上、配達人は通用口からから逃げ出したと考えるしかなかった。しかし、通気口を脱出経路とするのにも他の二つと同じくらいの困難がある。


 というのも、天井が高すぎるのだ。天井の高さは四メートルほどあり、大の大人がジャンプしても手が届かない。脚立でもあれば良いが、そのようなものは冷凍室のにはない。室内にある机は床に固定されており、いずれも通気口に近い場所にはないため、これも利用することができない。


 はたして人肉配達人は背中から翼を生やして、通気口から飛んで逃げて行ったのだろうか? そうでもしなければ逃げることができないのだ。エナジードリンクだけでなく人肉にも翼を授けてくれる効用があるとするなら、これは大発見である。

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