食用人肉配達人の消失~不可能犯罪捜査ファイル02~

小野ニシン

第一章

 食用人肉配達サービスの噂が警察署内で囁かれ始めるようになったのは、今から三ヶ月ほど前のことだった。話によると、富裕層の間で近年、究極の食材「人肉」への関心が高まっているらしい。並みの食材を食べ尽くした彼らは、新たな味を開拓するために、人体の各部位に様々な調理法を施し、適切な料理を模索しているのだという。


 そこに目を付けたのが、食用人肉配達人だった。人肉を趣味とするのに最も高いハードルは、どのようにして人肉を手に入れるかである。そこで配達人は、新鮮な人肉の調達、部位ごとの解体、顧客の家への配達をすべて一手に引き受けていた。当然、すべては極秘裏に行われ、料金は法外に高かった。


 殺人課が捜査を始めてから、人肉配達サービスを利用している顧客の一人が逮捕された。そのおかげで、配達人に関してもいくつか情報が得られたが、まだ個人を特定するまでには至っていなかった。


 配達人の情報は坂下署管轄内の交番にも配布され、上町交番に詰める巡査の小日向の耳にも入っていた。通知の中には、特に黒と緑のロゴでお馴染みの出前サービスのリュックを背負った人物には注意するようにとの文言もあった。人肉配達人は、カモフラージュのために某出前サービスを装っていることがあるという。


 自転車に乗って午前中のパトロールをしていた小日向が目撃したのも、巨大な四角のリュックを背負っている男性だった。白いマスクと黒い帽子を被って自転車を漕いでいる。本物の出前サービスの人間か、食用人肉配達人かはわからなかったが、男の様子に不審なものを感じた小日向は試しに尾行してみることにした。


 すると、尾行されていることに気づいた瞬間、男は猛烈な勢いで進行方向を変え、後ろにいる女性警官を撒こうとし始めた。小日向も負けじと足がちぎれんばかりの勢いで自転車を漕ぎ出したが、二人の間の間隔は広がるばかりだった。


 配達人の自転車は、商店街に入っていった。ただし、店はほとんど開いていない。シャッター街である。小日向が後を追って商店街に差し掛かったとき、配達人は自転車を乗り捨てて一つの店に入っていった。その姿を目撃すると、小日向は息を切らしながら無線で応援を呼んだ。


 小日向が倒された自転車のところに辿り着くと、その場所は元々は精肉屋だったことがわかった。両隣の店にはシャッターが下りているので、配達人が入っていったのがこの店であることは間違いない。


 元精肉屋の扉に鍵は掛かっていなかった。中に入ってみると、そこには空の陳列棚が並んでいた。かつては赤い生肉やずらりと置かれていたのあろうが、今やその面影はまったくない。正面のカウンターの上にも何一つ物が置かれていない。閉業して片付けが終わったときの状態のままであるようだった。


 カウンターの奥には、一つだけぴたりと閉ざされた銀色の金属扉があった。精肉屋が営業していた頃に肉を切断し保管をするために使われていた冷凍室なのであろう。あるいは今も同じ用途で使われているのかもしれない。


 小日向は金属扉の把手に手を掛けて力を入れてみたが、ぴくりとも動かなかった。鍵が掛かっている。試しに扉を押したり引いたりしてみたが、それでもまったく動かない。扉を叩きながら大声で容疑者に向かって呼びかけたりもしたが、もちろん返事は戻って来ない。


 店の前にパトカーが停まる音がした。応援の警官が到着したようだ。お馴染みの白と黒のSUVから現れたのは、これまたお馴染みの顔の須田だった。須田と小日向は同じ交番に詰めている同僚である。


「一人で容疑者を追いかけるなんて危ないじゃないか」


 店内に入ってきながら、須田は普段の冗談めかした調子ではなく、本気の口調で注意してきた。本当に同僚の身を心配していたのか、それとも自分の手柄を奪われるのを怖れていたのか。須田の自己中心的な性格を知っている小日向は、後者の可能性が最初に頭に浮かんでいた。


 だが、容疑者が壁一枚隔てた向こう側にいるかもしれない状況では、ゆっくりと話もしていられない。早速、須田は金属扉の正面に立つと、小日向がやったように押したり引いたりを繰り返してみた。いずれも小日向よりも強い力を掛けてやっているが、扉はうんともすんともしない。


 本署からさらに応援の警官がやってきた。多くの警官は店の周囲に配置され、逃亡する人物がいたら即確保するように命じられていた。


 ピッキングの道具を持ってきて警官もいた。彼が金属扉の鍵穴に道具を差し込んで作業をすること十五分、ようやく鍵が開いた。


 ついに扉が開く。そう警官たちは思ったが、実際には把手が回るようになったのみで扉を開けることはできなかった。内側から閂のような鍵も掛けられているらしい。


 こうなると外側からピッキングで開けることはできない。扉は厚く、隙間は全くないため、他のいかなる小細工を駆使しても開けられそうにはない。扉を直接焼き切って開ける強行突破しか残された手段はなかった。

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