第2話 陰のエフォート

翌朝、今日の僕は昨日よりもスッキリ起きることが出来た。気持ちも軽い。これは昨日彼がバッティングセンターに連れていってくれたおかけだろう。


階段を降りて、朝ごはんを食べる。今日の朝ごはんはパインが横についているフレンチトーストだ。なんでこんなに豪華なのかと思いながら食べ進めているうちにいつの間にか食べ終わっていた。とても美味しかった。




気持ちを改めて今日からまた、学校に早く行くことにした。家を出て学校へ向かった。



学校に着いて教室を開ける。教室の木の匂いがほんのり香る。自席に荷物を置いて用意をする。かすかに何かが聞こえる。よく耳を集中させると、バイオリンの音が聞こえる。僕の知らない曲だ。僕は昔通ってた習いごとのことを思い出した。


...


「何回言ったら分かるの!ここはスラーで切らないの!」


※スラー … 音楽記号。音と音を滑らかにつなげて演奏することを表す。



「ごめんなさい...」


「ほんと君って飲み込みが遅いね、ほらあの子を見てみなさい、すぐにできてる。少しはあの子を見習いなさい。」


「はい...」


「あと1週間で発表会でしょ?姿勢も綺麗にして楽器を持つ角度も整えるのよ、こうやって」


「分かりました、やってみます」



「できてない、もっと顎を引いて」

「もっと楽器の先端を上にあげて」



思い出したくない過去を思い出して、少し気持ちが落ち込んだ。今思い出しても懐かしい気持ちよりも辛かった思いが強い。


でもそんなことをしている暇はない。僕はその思い出を頭の端に置き、バイオリンの音色を聴きながら勉強した。

にしてもとても綺麗な音色だ。相当歴が長いのだろう。誰なのか気になってしまうが、見に行って気づかれてしまう可能性も考えられたので、僕は見に行くのをやめておいた。




今日は選択授業の音楽がある日だった。音楽の選択授業は今日で3回目で、今日から楽器を弾き始めるらしい。僕はいくつかある楽器の中でアコースティックギターを選んだ。やっていた楽器があったのだが、どうしてもやりたくない事情があるので避けた。


アコギを弾くためにまずは教科書を見ながらコードの練習だ。Cコードはこう、いやこうか?あれ音が違う。アコギって思ったよりも難しいんだな。


少し離れたところから音がする。バイオリンの音だ。どこか聞いた事のある音。僕は頭の中で振り返った。これは...!

今日の朝綺麗だなと聴いて思っていた音だ。誰なのだろうか、今なら見に行ける。音楽教室の戸を少し開け、見てみる。そこには川名かわなくんの姿が見えた。


彼なのか、こんなに綺麗な音を出していたのか。でも彼は元からこんなに上手くはなかったのだろう。朝早くから来て練習しているから、陰で努力しているからだろう。でもなぜそんなに努力しているのだろうか。しかしまだ話したこともないから聞くことは出来なかった。



授業が終わる頃にはC、G、Eのコードを教科書を見ながら弾けるようになった。覚えるのに少しばかり苦労しそうだが、これからの授業で覚えられるだろう。一方の川名かわな君はもうほぼ与えられた楽譜を完成しているようだった。それ以前に、初見でほとんど完璧に弾いていた。弾いている曲は僕もわかるクラシックだから分かる。




授業が一通り終わり、僕は部活に向かう。僕は水泳部に所属している。まだ4月の上旬なので泳いではいないが、5月の上旬からは泳ぎ出す。このことを友達に伝えると必ず、


「え!早ない!?」


や、


「早すぎん?寒くないん?」


など聞かれる。

早くないという質問には何も早いと思わないが、寒くないんという質問に対しては、勿論寒い。寒いので僕は1時間弱が限界だ。他のみんなも。メニューもその時間に合わせるのでピーク時の4分の1程度だ。



部活で自主制の陸上トレーニングをしている最中さなか、僕は水筒を忘れたのに気づき鍵を取ろうと職員室へ行った。しかし、鍵はまだ閉まってないと言われ、まだ教室に誰かいるのかと思いながら教室の前に立ち、開きかけの戸を覗くとそこには机に向かって勉強をしている川名かわな君の姿があった。なぜこの時間に勉強しているのだろう。この機会だ、その質問を兼ねて一回話してみようと思い教室に入る。



「ごめんね勉強してる時に、忘れ物しちゃって」


「全然大丈夫だよ!むしろ1人で寂しいくらいだから」


「そうやったんや」


僕は第一印象を少しでもマシにするため、笑顔で声を少し上げて喋る。


「川名くんやんな?僕は21番の戸崎とざき あお、よろしくね」


「なんで俺の名前知ってるん?」


「そりゃイケメンの転校生がいるって巷で話題になってるからね」


「え?俺そんなウワサされてたん?」


え。結構話題になってたのに当の本人は全く意識もしてないし気づいてなかったのか。イケメンは無意識なんだな。


「そうだよ、みんなイケメンがおるって」


「ええええ...///恥ずかしすぎるわ」


えっ可愛い。見た目イケメンでこんな可愛い反応見せるの?反則じゃん。


「そうそう、僕学校に早く来てるんだけどさ、今日の朝聴こえてきたバイオリンの音、もしかして川名君?」


「そうだよ〜、あもしかして邪魔しちゃった?本当にごめん!」


「いやいやそれどころかめっちゃ綺麗だったよ!僕も昔やってたんだけど、そんな綺麗な音出なかったよ」


「いやいやそんな綺麗な音出てないよ〜、ちなみに昔っていつくらいのとき?」


この人、すごい謙遜してる。自分がすごいのに、それを一切認めず遠慮するところも彼の周りに人がよくいる理由の一つなのだろう。


「僕は幼稚園の時かな、幼稚園3年間」


「そうなんか、俺も幼稚園3年間やって、そこからイギリス生活だったんだけど、バイオリンは持って行ってなかったから帰ってくるまで全然弾けてなくて、」

「中学校で戻ってきても弾く場所がなくて弾けなくてさ、高校から久しぶりにやり始めたんだ。」


ブランクがあってこの上手さなのか、やっぱり川名君なにか隠してるのかな。


「そうなんや、でもそんなやってて辞めたくならない?僕は怒られっぱなしで辞めたくなったけど...」


「うーん特に辞めたいと思ったこともないなあ、高校入ってから顧問に怒られることもあるけど、なにかモチベーションになるが自分の中にあるのかもしれないね」


「あ、今更だけど川名君ってストリングオーケストラ部?」


※ストリングオーケストラ部 … ヴァイオリン・ ヴィオラ・チェロ・コントラバスの4つの弦楽器で編成されている合奏部活。スト部と呼ばれる


「そうだよ〜」


「え、すご!ここのスト部って全国出てるよな?めっちゃ顧問の先生厳しいってよく聞くわ」


そうなのだ。僕がいる真田高校は特に文化部がとても優秀で、ストリングオーケストラ部を始めとし吹奏楽部(マーチングバンド)、書道部は全国大会によく出場している。その3つの部活に入部しようとこの高校に入る人も少なくない。


「厳しいけど、部員が仲良くて話してて楽しいから、全然苦じゃないな〜」


「今日は?部活」


「今日はオフだよ」


え、オフなのに家でごろごろせずにここで勉強してるの?偉すぎない?


「じゃあこの勉強は自分でしようと思って?」


「そうだね、みんなに置いていかれないように」


いやいやいや、数学の最高点出してるのあなたですけど。置いていかれないようにどころか僕たちを置いていってますけど。僕は念のために確認をした。


「でも噂で聞いてんけどさ、数学の学年最高得点取ったの川名くんって...」


「ちょっとミスっちゃってんけどなあ、その最高得点って何点なん?」


「98点」


「あ、じゃあ俺なんかな」


あ、じゃないんだわ。そんな無意識に取れるもんじゃないのよ今回のテストは。


「やばー!ちなみに他のテストの点数聞いてもいい?」


「えっとねー、国語が97点で英語は満点だったよ」


「え?英語満点?」


僕は流石に信じられず聞き返した。


「うん」


「えじゃああのめっちゃ難しかったリスニング満点やったってこと?」


「うん」


頭が混乱する。リスニングは7問あるうち、1問でも正解ならばすごいと先生が言っていた。なのに川名くんは全問正解。なにも理解ができない。


「で今は数学の勉強?」


「うん。塾の数Cの勉強」


「数C?」


再び聞き返す。最近数Bを学び始めたばかりなはずだ。数Cは3年でベクトルだけやると担当の先生がおっしゃっていた。


「うん」


「ちなみにだけど今ベクトルどこまでやってるん?」


「もうベクトル終わりやな」


?????

頭の中にクエスチョンマークが飛び交う。ひたすらに混乱する。おかしい、早すぎる。この高校は偏差値58で、それほど高いはずもない。


「え早過ぎない?大学とかもう決まってるん?」


「いや全く」


「なのにそんなハイペースなん?」


「そうだよ」


「塾どこ行ってるん?西進せいしん?」


「いや、聞いてもわからんと思う、『ステップアップ』ってとこなんだけど...」


ステップアップ。個別指導の塾とは耳にしたことがあるくらいで他はあまり知らない。けど西進せいしんみたいに頭のいい人が集まるようなところだったら有名だからきっとそうでは無いのだろう。だとしたらますますこの人がバケモノだ。


「そこの塾で数Cやってる人って今どのくらいおるん?」


「うーん、高三はみんなやってるけど高二でやってる人聞いたことないなあ」


そりゃあそうだ、だってあなたみたいな人以外はそんなハイペースで進まないから。理解力がとんでもない人では無いのだから。


「多分川名君だけだよそんな進んでるの」


「そうなんかなー」




その後も川名君と会話を交わした。時間を気にせず話していたので、時計を見ると1時間はすぎていた。そろそろ練習しないと。



「ごめん川名君、部活の自主練行かな、今日はありがと!」


「おう、その呼び方呼びずらいやろうからこれから『蓮』でいいで」


「じゃあ分かった蓮、ありがと!」


「うん!蒼もありがと俺の相手してくれて!」



それが蓮との邂逅だった。会話を終えて僕は部活に再び向かって練習をした。




部活が終わり、家に帰ると晩御飯が既に出来上がっていた。時間を見ると午後の7時半。そんなに過ぎていたのか。

僕は席について母と晩御飯を食べる。



「お母さん、今日さ新しく友達できてん」


「へーいいじゃんどんな人なの?」


川名かわな れんって言うんやけどさ、日本人とイギリス人のハーフでさ--」


そこで母が僕の話を止める。


「待って、イギリス人とのハーフ?瞳の色は?」


「えーっと、緑色、厳密に言えば翡翠色だけど」


「やっぱりそう!蒼、覚えてる?幼稚園の時のバイオリン」


思い出したくない記憶を一日に2度も思い出すことになるとは...


「それがどうしたの?」


「蒼が先生に姿勢を直されたりしてたとき、その後ろに翡翠色の瞳を持った子がいたわよ

多分その川名くんだと思うわ、すごい綺麗な瞳を持っている子ねって思って頭に残ってるわ」


まさかそんなことがあるのか。僕は一度食事の手を止め、階段を登って自分の部屋へ行き、お母さんが写真を撮って保存していた幼稚園のバイオリンのアルバムを持って降りる。

お母さんと一緒にアルバムを見返す。やはりみたくない気持ちが大きかったが、真実を確認するため僕は一つ一つ自分が写っている写真をパラパラとめくっていった。


するとあるページに、自分の後ろに誰かが写っている写真を見つけた。それをよく見る。翡翠色の瞳、爽やかな顔立ち。間違いない、蓮だ。


「ほんとだ、これ蓮だ」


「でしょ?やっぱり合ってた」


「蓮今スト部に入っててさー、」


僕は蓮との出会いや会話を話した。




「そうだったの、あの子たしかに上手かったけど、スト部で自主練もしてるの、すごいじゃない」


「そうなんだよ、本人は全くしんどくないらしいよ」


「すごいわね、私がそんなことしたら絶対倒れちゃうわ」




そんな会話をし、お風呂に入る。お風呂に入りながら僕は、


(まさか蓮と幼稚園のバイオリンが一緒とは思わなかったな、明日また伝えよ

でも蓮を動かし続けているモチベーションの元ってなんなんだろ、やっぱり穂高ほだかさんなのかな...)


僕は複雑な気持ちになった。お風呂に入って何も考えずくつろぐ予定が、その事を考え続けてしまって結局ゆっくり出来なかった。



お風呂から上がり、諸々の用意を済ませ布団に入る。掛け布団をかけ、真上を見ながら決意を固めた。


(でももし仮に蓮のモチベーションが穂高ほだかさんだとしたら、こっちも負けてられないな。一方的にそう思ってるだけだけど、僕も頑張らないと)


僕はまた明日早く学校に行って勉強をするため、あの綺麗な演奏を聴くために目を閉じた。

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