第026話 水辺

 植物園での食事について春野が妙な行動に出た以外のトラブルは起こらず無事に済んだ。

 そしてお次の目的地である水辺のコーナーに入った。

「素敵な場所だね」

「ああ」

 水の上、あるいは水際を囲って花々が咲き乱れていた。

 水面が太陽と花の両方を反映しており、花の色彩が散りばめられたところを光がキラキラと照り映えさせる優美な世界が水に描き出されていた。

 他のお客さんもちらほらと歩いているが基本的に人は少なく、また騒ぎ立てるヤングな方々もいないため自然の音以外は流れない静かなものだった。


 その静寂は俺達二人が破ることになってしまった。

 春野と俺の二人で水辺に浮かぶ植物群を堪能していると、

「きゃ!」

「ん?」

 春野が突然悲鳴を上げた。何だ? 背中に氷水でも大量投入されたのか?

「わ、私の手に虫が」

 春野が俺の前に左手を差し出した。

 見ると確かに一匹の羽虫が春野の手の甲に堂々と居座っていた。

 普段家の中で見掛けるのよりはやや大きい虫だった。

「わ、悪いけど取って」

「お前虫苦手なのか」

「そ、そーなの、だからゴメン、お願い」

 春野が泣きそうな顔で懇願してくる。このままだと周りへの体裁もよろしくないな。

「腕を適当に振ったり息を吹き掛けたりすれば追っ払えると思うぞ」

「へ? ……い、いや、お外でそれをやるのって、人目もあってちょっと恥ずかしいなーって」

「さっきレストランであんなことした奴が今更人目を気にしなくても。あと息を吹き掛けるってそんな悪目立ちする行為か?」

「い、いーからお願いします!」

 春野が再び懇願してくる。おい、泣きそうな表情が「へ?」のときにえらく素っ気ない感じになってたけど一体どういうことだよ。


 今の春野の状況にすごい疑惑があるのだが、さっきのレストランの件もあり面倒事をさっさと済ませたい気分になっていた俺は春野のペースに乗ることにした。

「わかったわかった。手を動かすなよ」

 春野の手に止まる虫へ視線を一点集中。準備よし。

 俺は虫を右手でつまんだ。

 一瞬の勝負であり、虫は俺の右手の人差し指と親指の間でもがいていた。

 虫を潰さないように気を付けつつ、春野のいる方とは全く逸れたところへリリース。その後右手をハンカチで拭いておしまい。

 ちなみに春野の手には少しも触れなかった。

「あ、ありがと、黒山君」

「別に。それよりもここは植物だらけなんだから虫には気を付けた方がいいぞ」

「そう、だよね。考えから抜けてたよ」

虫除むしよけ対策もしてないのか」

「はい……」

 何かやけに準備が足りないな。

 虫が苦手というのなら虫除けスプレーとかしてきてもよさそうなものだが。

 スプレーのような薬剤が受け付けない体質だとしても、今よりもっと露出を抑えた服装をするとかできる対策はしてきていいと思うぞ。

 普段からそういう細かい注意を払わないような大雑把な奴ならまだしも、女子四人の中でも真面目な春野には似つかわしくない様子にどうも違和感を覚えた。


 と、春野がここでモジモジしだす。

 ん? 何だこの仕草。なぜかさっきのレストランの件を思い出してきたぞ。

「ね、黒山君。もう一つ頼みいいかな?」

「一体何だ」


「私の手、虫が来ないように握っててくれない?」


 へ?

「どういう意味だ?」

「ほら、私の手をさ、黒山君の手で覆ってくれたら虫が止まりようがないでしょ。だからさ」

「服のポッケに手を突っ込んだら万事解決なのでは」

「そ、それだと転んだとき危ないからさ。あとはぐれなくて済むでしょ」

「幼稚園児か俺らは」

「と、とにかく、手繋ご?」

 春野がまたしても俺の目の前に手を差し出す。なぜか虫が現に止まってた左手でなく右手の方だった。いや右手にも虫が寄ってくる恐れはあるけどさ。

 連続してやってくる面倒に俺はやぶれかぶれになり、春野の右手を握った。


「……!」

 直後に春野が目を見開き、頬が赤く染まった。

 さっきのレストランでも思ったがそうなるような行動をどうして積極的に起こしてしまうのか。まさか今日の春野は俺に内緒で何かのミッションにチャレンジしているのか。クリアすれば賞金ゲットなのか。

「やっぱやめるか」

 その方が俺も気楽だし。

「な、何言ってるの? このまま植物見て回ってこーよ」

 この状態をかたくなに続行しようとする春野さん。もうあなたの真意がよくわかんないです。とりあえず虫の件とかもう関係なくなってる気がしてならないです。


 この後俺達二人は手を繋いだまま植物園を回った。

 春野も最初のうちは俺の手を強く握りしめており、

「ちょっと痛いからもう少し力を緩めてくれないか」

「あ、ゴ、ゴメン」

 というやり取りがあっても強さが大して軽減されなかったが、時間が経つにつれて緊張が解けていったのか次第に小鳥をそっと掴むような力にまで緩め、道中の草花をでていた。

 俺も最初は人と手を繋いで移動するという状態に息が詰まったが、程なく慣れていき最終的には周りの風景を楽しむぐらいの余裕は感じていた。


 春野と俺の手を繋いだ状態は植物園を出るまで解除されなかった。

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